とりとも雑楽帳

狭山丘陵の里山歩きとクラッシク音楽の鑑賞日記です。

久しぶりに、楽しめた正月ラグビー

2020年01月13日 | ラグビー

 正月2日 息子が風邪での寝こみ家に戻れないとの電話。娘が旨いと喜んだ我が「鴨雑煮」を息子夫婦に食べさせようと、意気込んだが不発。その代わり、TV前に座り込み、大学ラグビーの準決勝を見る。

 早大 52 vs 14 天理大  明大 29 vs 10 東海大

 大観衆の前で浮足立った天理大が平常心に戻れぬままに、早稲田は旨く試合を運び、思わぬ大差で勝利。明治ー東海は力の入ったいい試合だったが、明治の試合運びのうまさが光った。対抗戦グループのチームは個人の力量もさることながら、選手一人一人が全体の動きをつかんで動いているように思えたが、天理にしろ東海にしても個々の選手の能力は上回っていても15人の総体では、15X1=15で+αは生じないところが敗因だった。なぜ対抗戦グループに勝てないか今もって謎だ?同志社、関東学院、大東文化とかつての優勝校の低迷の原因も知りたいものだ。(閑話休題)

 1月11日 新国立競技場でのオリンピックイアーでの大学ラグビー決勝戦。大学スポーツでの観客数はカレッジフットボールの11万人には遠く及ばないがそもそも11万人入るスタジアムが日本にはないが、学生スポーツとしては世界に誇れるものだろう。

 野球の早慶戦が昔話になりつつあるが、ラグビー早明戦は現役続行だ。この試合に参加できた早明の選手たちはオリンピックイアーの年に、新国立競技場での試合は人生の中でのメモリーイアーとして残るだろう。うらやましい限りだ。

 それにしても戦前の予想を覆し、最後の10分間明治の猛攻をしのいでの早稲田の11年ぶりの優勝は素晴らしかった。が、ちょっと気になった。選手の過半が「人間科学部」なのだ。所沢の我が鳥撮りフィールドの近くに校舎はある。正直、自然環境は鳥撮りフィールドゆえに恵まれているが、果たして勉学の環境に恵まれているかは疑問だ。聞けば最近の大学が都心回帰のごとく、学部は人気が落ちているようだ。開学当初の満員のスクールバスの姿は消えて、所沢市内の商店街での学生の姿も少なくなった。要は学生には不人気のようだ。私を含め市民の注目度もなくなった。早大が優勝しても駅前商店街に「祝 優勝」の垂れ幕も出ない。市民の関心も薄くなった。

 このままでは日大芸術学部同様所沢撤退話も?と思わざる得ない。私個人としては「人間科学部」に「人間改造部=医学部」の設置を望むのだが、何せ埼玉県は人口10万当たりの一般病床数は全国最低ゆえに附属病院の併営も行ってほしいのだ。このままではラグビー優勝のパレードもなく(もっとも合宿所もなく)あまりにも早くに所沢=早大のイメージは消えてゆく。(すでにそのようなものはないのかも?)

 1月12日 ラグビートップリーグ  ヤマハ発動機 32 VS 29 トヨタ自動車

 以前のこのBlog で社会人ラグビーの時代私は 東京三洋時代から三洋を応援し、ファンだったと告げた。宮地監督のラグビーの「押すだけ」フォワード勝負のラグビーが好きだった。三洋が消えパナソニック時代になると、有名選手を集めパナソニックはスター集団に変容しバックスの展開ラグビーになってしまった。社会人ラグビーがトップリーグに代わると、有力企業が名乗りを上げ、海外からスター選手を集め特にシーズンが真逆ゆえに南半球から一流選手を加入させ、一挙に日本でのラグビー試合は世界トップクラスの試合が見られるようになった。

 そんな時代の中で、私は会社存亡のなかで一握りの大学スター選手と無名選手?、スカウトした海外勢で健闘してきたヤマハ発動機をトップリーグ発足以来応援してきた。このチームの魅力は東京三洋時代の泥臭いフォワード勝負の魅力がたまらない。しかも三洋の時はフォワード勝負で勝つても試合では負けてしまったことが多々あった。(宮地時代は残念ながら優勝はなかった)今日のヤマハの相手はトヨタ。フォワードには世界一のNo8 キアランリードと今次ワールドカップでのJapanのジャッカル王姫野に対してヤマハ発動機は真っ向勝負で勝った。このシーンこそが私が好きなヤマハのラグビーなのだ。ただバックスに個人技で突破できる切り札がいないところがヤマハの課題だが、とりあえずは初戦を突破した。

 取り敢えずはヤマハ支援のために株主となり優待券を確保したが、娘が「ジェビロ磐田」の試合にも利用できると知り、娘の応援するFC東京との試合に利用するのでよこせと言い出した。

 


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