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あなたに「ぬくもり」を届けたくてブログをつくっています

母の日に  とんカツを揚げる

2020-05-09 20:09:38 | 日記

午後から雨の日になった。スーパーのカーネーションもほとんど売れていない。いつもならエプロンやらセーターもたくさん並んでいるのに。お花や衣料品よりもおいしいものを食べましょう!なのかもしれない。悔いが残る母との生活だが、神さまは3人の母もどき人を与えてくださった。母と同じくらいの年齢の方だ。お二人にはささやかなプレゼントをお送りした。「息子に頼んでも用が足りなくて・・・」と言われていたものをお送りした。

あとは、いちごのロールケーキを焼いた。何年ぶりだろうか。難しいので特別な時にしか焼かない。いちごも今朝新しいものを買い求めた。結果は散々で、ロールケーキの部分が少し焼きが足りなかったので、べたっとしてしまった。生クリームとイチゴを巻いたが、痩せのロールケーキになった。味はいいけど、人さまにお分けするには見場が悪い。もう1回焼くのはさすがにできない。迷ったけど、大家さんのおばあちゃんに届けた。「まぁ!」と喜んでくれたが・・・。

母にもロールケーキを供えて、1日早く料理も作ることにした。魚が好きな母だったが、亡くなる前は意外に「肉」が食べたいと言っていた。豪華?に見えるように、フライにしてみた。フライも久しぶりだ。新じゃがや新玉ねぎも揚げて、何人家族か?の量になった。でも、うれしい。

料理をする前に少し書類の整理をしていた。冊子の入っているコーナーからデーサービスで作ってくれた母の誕生日の写真カードが出てきた。ちょっと首をかしげて、童女のようなそして天使のようなかわいい母(しわやシミはあるが)がいた。

ちょっと財布は寂しくなったけど、4人のお母さんが喜んでくれるならいいか!給付金が早く振り込まれますように。(笑い)

 

 

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コロナを忘れた 出逢いの椙檜

2020-05-08 20:22:28 | 日記

今日も陶芸教室へ。抹茶茶碗の2個目に挑戦。1個目の仕上げのときに、内側をきれいにしていなかったので(注意はされていたのに)仕上げは難しかった。2個前は内側はきれいにできたが、最後でうまく筒状にならなかった。初めて先生がやり方を見せてくれた。微妙な手の力の入れ方で決まる。先生はなかなかこつを教えて下さらない。ひとつクリアできると一つという感じだ。だから、どうしても3回くらい同じものを作らないとコツをつかめない。なんだもそうだろういな。3度目に正直か。

午後からは教会のお友達とお昼を食べて、それからなんじゃもんじゃの木を見に行くことになった。ランチはお友達の義理の弟さんがいるお店へ。そこのご主人84歳のおばあちゃん、そして80歳の教会のお友達の話がおもしろい。今でいうキャリアウーマンだ。ともに店を切り盛りしてきた。したたかに老人談義だ。お墓の話もおもしろい。どこの墓に入るかなのだが、「まぁ、私は死んでいるからどうでもいいんだけど」と明るいこと。コロナ禍など飛んでいく。

それから安土の沙沙貴神社へなんじゃもんじゃの木を見にいく。3人ともキリスト者。「すみません」と頭を下げながら境内を回る。見事ななんじゃもんじゃの木とたくさんの手入れされた花を見ることができた。その境内の一角で見つけたのが「出逢いの椙檜(しょうかい)」

 椙はさかえて すくすく のび  ひのきは いぶきをあたえる

 人の世の 幸不幸に 人と人とが 出逢うことからはじまる 

 よき出逢いを お祈りください

の立て札。その前に 出逢いと縁結びの 石がある。女性は女石から 男石へ 目を閉じて歩く。うまく男石の前につけばいい出逢いになるらしい。

毎日歩いている成果か見事成功。年甲斐もなくよろこぶ。今日はコロナウイルスを忘れた日だった。

 

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今日は5月8日 金曜日!?

2020-05-07 18:18:19 | 日記

連休が明けると5月7日木曜日だったのに・・・。私の暦はどこで狂ったのか5月8日金曜日になった。おそらく、昨日が木曜日と勘違いしていたので昨日からなのだろう。しかし、ぼけが進行しているのかこわい。今日は金曜日、プラごみの日、陶芸教室は10時から、教会のお友達と午後に会う、だった。まず、ゴミ出しのプラごみで気が付かず、陶芸の先生のところで発覚した。先生はご自分の作品を作っておられたので、「いいよ、いいよ、作品を作りましょう」と優しく言ってくださった。ああ、なんということだ。???そして、可燃ごみとプラごみを間違えたことに気が付く。どうしよう・・・。ぽつんと一つゴミ袋が道に残っていたら・・・。

今日の陶芸は「希望の鐘」にペーパーをかけて仕上げて、抹茶茶碗を作る。ペーパーをかけだして気が付いたが、きっと陶芸に早く来たかったのだろうと。いくら散歩をしても、軟禁状態のような毎日はつらかったのだろう。そして、もう一つ、高校の同級生(幼馴染)の逝去が心に残ってのだろう。決して、親しくしていたわけではないが、小学生のころから一緒に遊んだ幼馴染の死は重さが少し違うようだ。

年とともに耐久性がなくなる。もし、大事な人に不幸があったら、1か月くらいで天国へ会いに行くのではないだろうか。(などといって長生きしたり)そういう弱さは自分にはあるような気がする。それでいいと思うし。

このコロナウイルス禍でこころがピュアになっているのだろうか。至らなかった(人の気持ちがわからなかった)自分を見つける。家族のことも友人のことも。「ごめんなさい」ではなくて「ありがとう」になり、こころを開いてくれるようにも思える。前へ前へ行くことだけを考えていたらわからなかった。

明日は5月8日金曜日、また陶芸教室の日、そして、教会のお友達に会える日。やはり、うれしい!出かけられる元気がなにより。私は先に天国で待っているのではないかもしれないな。

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T君を悼んで

2020-05-06 18:00:35 | 日記

お昼ごろ買い物に出た。毎日お買い物は問題なのだが・・・。スーパーはかなり空いているし、バターやらの乳製品が手に入りにくいので、2軒はお店に行かなくてはならない。スーパーを出るころ、雨が激しく降りだした。用心に傘は持って出たが、半端なく降り出し足はびしょびしょで帰宅した。

町は、雨でしっとりして情緒がある。この町には雨が似合う。家でパソコンを開けると、訃報が入っていた。高校の同級生の訃報だ。というよりは、小・中・高と同じ学校に通った幼馴染の男の子の訃報だ。小中は同じクラスではなかったが、家も近く母親同士も仲がよかったので遊んだりしていた。高校は3年間クラス替えがないので、ずっと一緒だった。このぶろぐに書いたと思う。名前で呼び捨てにしていた。でも、近すぎたのか、恋愛感情は生まれなかった。ジャニーズ系のきれいな顔の男の子だった。

クラスでは、開業医だった二人が亡くなっている。T君は心不全という。家族間でいろいろ問題があったと聞いているが、私のなかのT君は幼馴染のT君でしかなかった。クラス会がオリンピックの年に開かれる。今年はどうなるのか?などと私らしくなく思っていた。エリート集団のクラス会は行かなかった。独身でもその道で成功している人ばかりだし、私のようなどうしようもない半端物は行くのがつらい。T君とは20年まえに出たときに会ったのが最後だった。大阪にいると聞いていた。会っておきたかった。

コロナウイルス騒ぎの中、私は信仰を強めるしかない と思った。そうしないとつぶされそうになる。信仰を強めるとは、「祈る」ことしかない。雨の夕方、シャガの花を摘んできた。T君が尽きることのない安らぎに満たされるように祈った。

 

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新型コロナウイルス 少しずつおかしくなってきた?

2020-05-05 17:40:31 | 日記

だんだんやる気がなくなってきたのも困ったと思っている。こんな時に資料やらの整理ができるのだが。毎日きちんと実行できているのは、お散歩だけだ。ようするに、家の中にいたくないのだろう。

今朝、7年以上連絡もなかった人から電話が入った。お別れしたころは英語の先生だった。いまは60代中ごろだろうか。数学を教えてほしい生徒がいる ということぐらいかと思うと、何かNPOに使う通信費がないから(運賃)貸してほしいという。関東にはいないというと、わりと簡単にあきらめてくれた。というか、すぐお金が必要だったらしい。しかし、ほかにお友達がいるだろうから、理由はなんであれかなり苦しいのだろう。

なんとなく体調がすっきりしないまま散歩にでる。たくさん歩くのがきついので琵琶湖畔でランチだけにした。ツーリングのバイクが何台も騒音をまき散らして国道を走る。県外のナンバーの車も猛スピードで走っている。もう、がまんはできない!という感じだ。静かな湖畔にも若者が8人くらいでサッカーボールで遊んでいる。子供たちも多い。観光客らしい人たちも来てる。「出口の見えないトンネル」という言葉がまさにこの状況を生んでいるのだろう。

お友達からも「ラインに登録して」と言われて断れず登録したら、どうでもいいようなことが恐ろしい数流れてくるという。流してくる人には、悲しいことかもしれないけど(飼っている動物が死んだとか)次から次から大の大人がこの時期に流すことだろうか という。流している人は仕事も個人的な面でも、コロナの影響を大きく受けていることは知っているが・・・。

マイナンバーカードのパソコンからの給付金の申請もいつの間にか始まっていた。ただ、カードを読んだり、ソフトをダウンロードするなど準備がいる。カードリーダーは、スマホ(機種が決まったいる)かカードリーダーが必要だ。できる人はそう多くないだろう。市町村からの郵送書類は、私の住んでいる市では5月末からだ。給付は6月末でも無理そうだ。

一番怖いのは、「意欲」がなくなることだ。諦め というのどうでもよくなるというのか。前途ある若者はそうであってほしくない。(もちろん若者だけではないが)必要なのは、経済的な補償と出口がどこにあるのか(いつか)でしかないような気もする。もはや精神論だけでは、おかしい人が増える一方だ。

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