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あなたに「ぬくもり」を届けたくてブログをつくっています

春愁

2015-03-30 23:04:03 | 日記
 あっという間に桜が咲いた。関西の(京都の)桜はどこか艶があるが、関東の桜はどこか寥を感じる。手入れの違いなのか、花が関東の桜は薄く少ない気がする。勉強を教えている小6の女の子が「春はさびしい」と言った。どきりとした。去年まで、私は春が好きでなかった。その明るさが心の底のさびしさに眩しすぎたからだ。12歳の女の子が「さみしい」という。「何故?」とは聞けなかった。「そうね、まわりが明るいとなんとなくさびしいね」「そう、さびしいんです・・・」深い意味はないのかもしれない。彼女の感性がそう感じただけなのだろう。いつも陽気にふざけている彼女。「そうか、さびしかったんだ」ふと、孫のような彼女と旅をしたくなった。


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そうか もう君はいないのか

2015-03-28 20:26:27 | 日記
 今日の朝日新聞の 再読 こんな時 こんな本  「さよならだけが人生ならば」に城山三郎氏の「そうか、もう君はいないのか」が紹介されていた。なにかこの言葉が心に残った。最愛の奥さまを亡くされた筆者が放心して「ふと、容子に話かけようとして、我に返り、『そうか、もう君はいないのか』と、なおも容子に話かけようとする」のだった。だれかと別れたとき、その悲しみがほんの少し和らいだとき、「そうか、君はいないのか」と思うのかもしれない。大きな土管真ん中を宙に浮いているような、悲しいとかさびしいとか、そんなものじゃない寂寥感に襲われることがある。掴るところもなにもない宇宙に放り出されたような・・・・。そんなときは、いない君に話しかけて、時をやり過ごすのがいいのかもしれないと、思うようになった。忘れられないものはそのまままに、もがかずにそのぬくもりのなかで過ごせばいいような気がする。いつか自らの涙が心を癒してくれるような気がする。

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たまご焼き

2015-03-23 13:16:09 | 日記
 昨日日曜日は、炊き込みごはんを作りました。しらすや干し海老の入ったものなので、さておかずは? と思うと久しぶりにたまご焼きが食べたくなりました。甘めの厚焼きのたまご焼きが。たまご焼きはあまり上手に焼けません。子どもの頃は「巨人、大鵬、たまご焼き」というフレーズがありました。お弁当の定番でした。母の焼いてくれるたまご焼きはおいしかったです。いまでも、実家に帰ると「なにもないから、たまご焼きを焼いたのよ」という母。だしもきいていて上手に焼けています。そして母の甘さです。午後から隣町で出かけて、「キリンラーメン」というインスタントラーメンに出会いました。中学の頃、母がお友達が勉強しに来ると、即席ラーメンを作ってくれました。50歳の時の同窓会でお友達が「あのときのラーメンおいしかったわ。キャベツと卵が入っていて」と話してくれました。ちょっとした料理に母の愛情を感じるこのごろです。母の大好きな花、ミモザです。

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父親の重み

2015-03-21 22:33:42 | 日記
 いろいろな青少年の事件が起こるたびに、家庭という問題が浮上してくる。家庭は子どもにとって一番安全な所なはずなのに、ただ孤独やさびしさのもとになっていることがある。子供たちと関わりだして20年は経つだろうか。ドロップアウトした子供たちを元の進路に戻したり、問題あると言われる子たちとの関係は多かった。そのどこにもぶつけることのできないさびしさを抱きしめてきた。この頃感じることは、父親の存在だ。父親とは「限界を教えるもの」だと聞いたことがある。確かにそうだと思う。これ以上はしたら事故になる というようなことを教えていくのは父親だと思う。どうもその重さが軽くなってきてしまったようだ。母性の欠如と父権の喪失。そんな家庭で育ったら、子どもは愛情不足でどれだけさびしい思いをしているのだろうか。


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リスクを負って生きる

2015-03-16 23:25:25 | 日記
 一雨ごとに春らしくなる。桜のつぼみも少しずつふくらみ始めている。整形外科通いが始まり、なにか落ち着かない日が続く。ストレスがたまるのか、仕事に向かう前にコーヒーショップで気分転換。そんな病院とのお付き合いが多い日に、NHKのプロフェッショナルで小児外科医の山高篤行氏を見た。きれいな眼をした大人を久しぶりに見た気がする。58歳になられるらしい。いのちのぎりぎりのところと戦い続けた目なのに・・・。だから美しいのか。そしてやさしい目だ。名誉や権力とは別世界で生きいるからだろうか。大きなリスクのために最善の準備をし、限界に挑む。そんな姿に久しぶりにすごい男を見たと思った。リスクが人の仕事の(生き方の)ばねになるとしたら、私は負っていきたいと思う。どうも日常という薄められたミルクは好きでないらしい。損な人生かもしれないが・・・。

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