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あなたに「ぬくもり」を届けたくてブログをつくっています

I belive you

2025-08-21 20:28:03 | 日記

夕方の空がどことなく秋の空になってきた感じです。でも、空気が澄んでいるせいか昼間の陽ざしと暑さは身に応えます。戦い済んで日は暮れてはいない昼間なのですが、自転車に乗ると右腕全体が痛みます。これは名誉の負傷か?

縁の下の力持ちでいい、と思いながら仕事をするようになりました。自分にできることはできる限りしていこう、文句はよほどでない限り言わない、と決めました。そのほうが余分な体力や気力を使わないからです。私自身とても 気が楽になりました。最近は、特に特性のある子の問題行動が多くケガの寸前になることが多いです。支援員もあきらめムードで、よほどでないと注意をしません。(夏休み疲れです)今日は今日とて、リーダーと二人で注意していたことを守らず、私の手から板を奪い取り一ひねりした感じで、私の手はかなり痛みました。

でも、それでも私は以前よりもこの仕事が好きになりました。誰がけがをしたらおしまいだ、という思いが強いからかもしれません。一つ間違えば大きな問題になります。そして、子どもたちの中に小さな真実を拾うことができるからです。

天災でも人災でも、痛ましいことが多いですね。なんと言葉をおかけしたらいいかわかりません。出来ることは、私の場合は、神に祈るだけです。

それでも、I belive you.  あなたの力を信じています。

 

 

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限界を教えるのは父親?

2025-08-20 20:41:57 | 日記

朝夕だけは吹く風が少し涼しくなったような気がします。八幡様の境内では蝉が必死に鳴いています。「ああ、蝉時雨か・・・」山寄りのところにお住いの方は虫が鳴き出しました、と話されます。自然界は季節の動きをちゃんと知っているのですね。

あと10日余りで8月も終わります。学童クラブの支援員たちは早、カウントダウンにはいりました。「きついねぇ…」と皆さん口にします。普段来ていない夏季だけの子どもたちは、どうしても乱暴です。言葉の暴力は、「うるせぇー、ばばぁ、死ね!」です。年長の人にきく口ではないということが無駄のようです。あと男の子は支援員が生傷が絶えないほど蹴る、たたく行為をします。私ですら足に内出血痕があります。低学年の子どもの行為なので手加減がありません。

昔、TVでどなたかが「限界を教えるのは父親である」と言われました。前にもぶろぐに書きましたが、これ以上のことはしてはいけないということを教えるのは父親の役目だと言います。確かに、私も子供の頃に父親には最後に厳しく叱られて反省しないと許してもらえませんでした。いまのお父さんは叱らないのかな?子どもたちはお父さんやお母さんにお話ししますというと「絶対にしませんから言わないでください」といいます。(翌日は忘れるのですが)この頃思います。言わないからいけないのではないかと。お宅の子さんはこれこういうことをして、ほかのお子さんにこういう迷惑をかけたとか、きちんと言わないとわからないのでは?

でも、「家でもそうですから、言っても無理なのです」という母親の声。そうやって放置されているのでしょうか・・・。もちろんすべての家庭がそうではありませんが、おばあさんは「しつけ」とは、といいたいのですが。食事の仕方、遊具の扱い方、まず、挨拶ができない・・・。

ニコニコして送り迎えをするおとうさま、あなたにぜひお願いがしたいです。物事には限界というものがあることをおしえてください。そんな時に、母親はむしろ愛情ある言葉をかけることが大事なのではないのかな、と思うおばあさんです。

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利害関係のない貴重なお仲間

2025-08-19 21:21:59 | 日記

7月からは暑さもありますが、自分の楽しみのために出かけることがありませんでした。現状に満足していることもあるのでしょうね。でも、このままでは無芸少食で終わってしまいそうなので、頑張って陶芸教室に出かけました。午後1時から4時までという厳しい時間帯です。先生にお会いするのが楽しみのですが、なんと今日はコロナでお休みされました。94歳?というご高齢なので心配でしたが、ご自宅からご自身でお電話されてきたとか。お盆でお客様も多かったのかもしれませんね。

今日は6名の参加で通常の半分くらいでした。私も含めて先生に相談をしてから作品に、という方ばかりで全員ほぼ暇状態でした。とりあえずやれる部分だけでもやろうと始めました。お友達に教えていただきながら、新しい作り方でお皿を作り出しました。いや、待って、これは5年前くらい前の前の先生に習ったわ、でした。作り出すと手が覚えていたのかわくわくしてきました。もう一人のお友達はいつも先生にしていただいていたろくろを使ってお茶碗作り。ところが、しばらくすると、「ここからどうすればいいの?」と悲鳴をあげました。(笑いながらですが)電動ろくろの上に乗った土の塊・・・。余裕の男性陣は「いや、それは口では教えられないよ。ろくろを回して茶碗にするんだよ」との返事。私も電動ろくろだと同じ状態です。

「見ていてくださいね」と先生に言われて、見ていただけでは、少しも覚えていないのです。どうしよう?どうしよう、という彼女も笑いながら、ひとりでろくろを動かしました。出来上がったのはご飯茶碗には程遠いいびつな薄い形の水盤みたいでした。誰も笑いませんでした。「少しずつやればできるようになるよ」と男性陣。

ここでコーヒータイム。高齢者の陶芸教室ですが、とてもあたたかい雰囲気です。利害関係のないただの仲間ですね。私のお皿もさらさら皿とはいえないもの。みなさんで少しずつアドバイスをしてくださいました。今日は無理してでも出てきてよかった!

帰宅してがっくり疲れて、朝、聞いたエリーゼのためにを聞きながら一寝入りでした。笑。

習い始めたころの作品です。

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受け継がれている家の価値観

2025-08-18 21:59:10 | 日記

お盆休みも終わり日常が戻りつつあります。家の中の冷房の効いたところにいた体には外の暑さが厳しいですね。学童クラブも始まり子どもたちが期待に反してたくさん戻ってきてくれました。(今日は少ないことを支援員は期待)でも、やはり家でのんびりいていたせいか子供たちは遊んでいても食事をしていても勉強をしていても、ごろりと横になります。今日は迷惑をかけない程度なら大目に見ていました。

帰宅して2階へ上がろうとるると足が思うように動きません。結構疲れていたようです。夕食後、動かずにテレビの前にいました。ファミリーヒストリーで松岡修造さんのお話をしていました。番組紹介を見ていたので「ああ、素晴らしい家系のお話なのね」と冷めていました。でも、見ていますと、伝わってくることはそういうものではなく、心を開いてくれてあたたかくするものでした。そこにあるものは、家族愛であり、地域に対する愛であり、夢のある冒険ともいえるお話でした。

あなたの中に生きているファミリーヒストリーはありますか?それは金銭的な財産とか事業とかではなく、また別のこころの遺産というのか、気づかずにいたそういう豊かさがあるのではないでしょうか?そして、むしろ、隔世遺伝というような、祖父母の代が伝えてくれたものがそうなのではと、私個人は思うのです。

この長浜のぼろ長屋まで落ちぶれた?私の貧乏な暮らし。財産なるものがなにもないこの生活。でも、従弟がここへ昨年遊びに来てくれた時にいってくれた「昔の林町の家みたいだね。家具のすくない広い空間のいろいろなところに花が飾られていたじゃやない。この家もそうなのでうれしいよ」と。

そこそこ恵まれた家庭で育った父方の祖父母が伝えてくれてもの。花を飾る心だったのでしょうか。

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たそがれに哀愁を感じて

2025-08-17 20:27:51 | 日記

お盆休みも今日で終わります。帰省も孫守りも関係なく静かなお休みでした。特に昨夜の五山送り火は心に残るものがありました。

どうしてもしなくてはならないことは全部完了して、今日は最後に山積みの衣類のアイロンがけをして終わりました。とても穏やかな気持ちでぶろぐを書いています。

人それぞれに人生があって、それはそれで尊重していかなくてはならないように思うのです。そして、この年になるとし残したことのつけの精算をすることになるようです。ある意味で残酷な気もします。非難をするなら、「だから、きちんと始末をしてこなかった事がたまったからこうなるのよ」なのでしょうね。でも、人のためにと貢献されてきた方もなかなかお当番が終わらないようです。私も貢献とまではいきませんが、人のお世話の役はまだ終わらないようです。まぁ、自分で引き受けているのだ、断ることもできるのだから、その勇気も必要だ、などと思います。

フェイスブックに「夜の東京の静かな路地」というタイトルで写真が投稿されています。なんでもない黄昏時のちょっと哀愁がある写真です。「いいね」と思われる方が多いのは、この哀愁がいいのかな、と思うのです。きっと「黄昏に哀愁を感じる」年頃の人たちなのではないでしょうか。

そろそろ宵闇が迫り、一つひとつ町の灯りが消えていきます。それが夢なのか幻なのかわからないのですが、五山の送り火を見た後の微睡の中に2本のろうそくがしずかに燃えていました。誰の人生も許されてしずかでおだやかであってほしいものですね。

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