今日も陶芸教室へ。抹茶茶碗の2個目に挑戦。1個目の仕上げのときに、内側をきれいにしていなかったので(注意はされていたのに)仕上げは難しかった。2個前は内側はきれいにできたが、最後でうまく筒状にならなかった。初めて先生がやり方を見せてくれた。微妙な手の力の入れ方で決まる。先生はなかなかこつを教えて下さらない。ひとつクリアできると一つという感じだ。だから、どうしても3回くらい同じものを作らないとコツをつかめない。なんだもそうだろういな。3度目に正直か。
午後からは教会のお友達とお昼を食べて、それからなんじゃもんじゃの木を見に行くことになった。ランチはお友達の義理の弟さんがいるお店へ。そこのご主人84歳のおばあちゃん、そして80歳の教会のお友達の話がおもしろい。今でいうキャリアウーマンだ。ともに店を切り盛りしてきた。したたかに老人談義だ。お墓の話もおもしろい。どこの墓に入るかなのだが、「まぁ、私は死んでいるからどうでもいいんだけど」と明るいこと。コロナ禍など飛んでいく。
それから安土の沙沙貴神社へなんじゃもんじゃの木を見にいく。3人ともキリスト者。「すみません」と頭を下げながら境内を回る。見事ななんじゃもんじゃの木とたくさんの手入れされた花を見ることができた。その境内の一角で見つけたのが「出逢いの椙檜(しょうかい)」
椙はさかえて すくすく のび ひのきは いぶきをあたえる
人の世の 幸不幸に 人と人とが 出逢うことからはじまる
よき出逢いを お祈りください
の立て札。その前に 出逢いと縁結びの 石がある。女性は女石から 男石へ 目を閉じて歩く。うまく男石の前につけばいい出逢いになるらしい。
毎日歩いている成果か見事成功。年甲斐もなくよろこぶ。今日はコロナウイルスを忘れた日だった。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます