空気がからりと乾いた心地よい日だった。お昼はまた琵琶湖畔までランチに出かけた。若草色のシャワーが心地よい!なんていうつくしい季節なのだろう。
昨日整理した押し入れの書類がまだたまっている。時々、整理に飽きるとその書類を読んでみる。10年前に作った冊子に書いた文章を読んで、びっくりした。何と真面目にきちんと(理路整然と)書いているのだろう。主に「家族論」的なことが多い。私自身が問題を抱えていた時だった。別の人が書いているようだ。
10年の歳月は、私を怠けものにしたのか・・・。「いいじゃないの、ねぇー」という感じになった。洗礼を受けたのが2012年。(プロフィールは更新していない)そこから、少しずつ変わったのか。あまりなにかにこだわらなくなってきている。そういうひとといるからっだろうか。
夜中に目が覚めて眠れないと、キリスト教関係の本を読んでいる。(毎回同じ本)神の愛というのは「献身的な自己奉仕の愛」が語られるが、むしろ、エロス的な「相手を求める激しい愛」がなければ、深い充実感は生まれないと思うようになった。人を許す気持ちや何かにこだわらなくて生きていけるのは、やはり心の深いところにある相手を求める激しい愛があるのではないだろうか。そして、求められていると感じる瞬間があるからではないだろうか。
生きていることの充足感というのだろうか。あの若葉からあふれるエネルギーをあびているような、「いのち」そのものをかんじるような。だから、セブンのおにぎりに88円の野菜ジュースでも「ええやん」になるのかもしれない。