夫婦と言うものは、おかしなものだと思う。独り者からみると、やはり同じ穴のムジナなのだろう。でなくては一緒に何十年もいられるわけがない。
寒いかと思い、やや厚着で散歩に出かけた。今日も琵琶湖でランチにした。段々晴れてきてきた。若葉も色濃くなり、黄緑色の新鮮さは少し薄れてきた。そんな時に携帯が鳴った。サッカー仲間の90歳のおじいちゃんからだ。脳梗塞で入院中の奥さまが施設に入るようなことは、仲間から連絡が入っていた。20日に病院から細かい説明を受けるという。新しい施設に入る前に、家に3日くらい置いてあげたいという。奥さまは言葉が不自由になり話せないと。それが不憫だと、話しながら涙が出たと言われた。男同士の会話ではそこまでは言えないのだろう。
おじいちゃんは養子さんになった という。奥さまは、国立大学の看護科の1期生だという。だから、おじいちゃんはいろいろ頑張ってきたのだろう。どうしてもいさかいが絶えなかった という。最近までもそんな発言があった。でも、奥さまが、言葉を失い、自分で字が書けなくなると、後悔ばかりが出てくるという。そして、奥さまがもう家に戻れないと(自分は看たくても看れない)思うと、涙が出るという。
夫婦とはそんなものだ。特に男性は、やさしいから。それゆえの夫婦なのだ。こんな時期は特に夫婦で助けながらが必要になる。それが「優しい想像力」なのだろう。奥さまもきっと同じ思いで、おじいちゃんに謝っているのかもしれない。コロナの時世は、「やさしさ」回復のときかもしれない。