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あなたに「ぬくもり」を届けたくてブログをつくっています

かれのくつとあかいくつ

2019-01-31 20:17:20 | 日記

冷たい雨の日になった。長浜に越す前に消化器内科の薬をもらいにいった。ここ2年くらい、食事に注意をして過ごしたら、血液検査の結果もよくなった。「口からはいるもの以外で身体はできない」という言葉のとおりだ。予想よりも早く病院が済んで帰宅すると、都内よりも平塚は寒かった。人通りも少ない。ああ、明日は2月だ。暦の上では春になる・・・・。

「冷たい雨」という歌があった。ファイファイセットが歌っていたような気がする。許してもらえると思って部屋に戻ると、彼の靴と赤い靴があった・・・というような悲しい歌詞だった。さすがにそういう経験はないなぁ。合鍵があって開けたらそうだったのか なんて想像する。急いでドアを閉めて外へ飛び出すのか?赤い靴を部屋に投げ込むのか?飛び出して追いかけてこない彼に「別れ」を決意するのか?もうつらい思いの歌は聞きたくない。ハッピーがいい。

それよりも想像力の欠如(全て他人事)か、小4の女の子の虐待のニュースには心が痛む。TVで会見を見ていると、さらに腹が立つ。NPOのことで神奈川県とやりとりしたときに思ったのは、出来事を記したものがただ紙でしかないということだった。ただ紙を見ていることからは対応なんて生まれない。紙に書かれたことから何を想像するかだろう。これは危機的な状況だ、それではなんとしても話を聞かなくては・・・ という想像力がない。そういう義務感もない。これをお役所仕事とは片付けられない。世の中がそういう傾向にあるのだろう。相手の状況を思いやるこころは消えてしまうのだろうか。

そんな日の雨はさらに冷たい。悲しむように降っている。ちょっと悲しい思い出も甦る。さびしい夜もある。

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あかるくあたたかく

2019-01-30 21:54:44 | 日記

毎日、いろいろなことが起こる。文句を言わなくてはならないこともある。そのストレスで昨日はソファーで寝込んでしまった。普通ならきちんと寝床にはいるのにそれさえもできなかった。朝起きたら、あさドラが始まる時間だった。今日はお茶に行く日だ。1ヶ月近く離れているので、さすがに復習した。久しぶりのお茶の練習が嬉しかった。お茶の世界にはいるとほかの事は忘れられる。

先生のお宅のドアを開けるといつものように炭の香りがする。あたたかい匂いだ。長浜に越すのに一番心残りのことがこのお茶の先生と仲間とのお別れだ。この先生の下で、資格をとっていこうと決意したからだ。ただ、引越しはとんとんと進んでしまった。正直に事の流れを先生にお知らせした。先生から届いたメールは決断を喜んでくだる内容だった。嬉しかった!

私の中にあった古典的なものへの憧れがこのお茶室で始まった。風炉だったが、静かなお茶室に湯の滾る音だけが聞こえた。その静寂さとあたたかさが私をどんなに癒してくれたことか!これなら人が癒されるとも思った。毎回拝見する掛軸やお茶花。清楚な美にも心が癒された。夕方なると、障子を通して日が翳るのがわかる。

「初釜やお茶時の時にはぜひいらしてくださいね。ここは私たちみんなで守っていますから」と先生が言われた。お稽古を見ているだけで涙が出てきたのに・・・。

「家庭のあたたかさとか明るさはやはり火鉢のあたたかさ、一杯のお湯の温かさ、炭火の明るさではないかしら」と先生は言われた。そうだわ、私にもできる家庭のあたたかさ、あかるさがある。あなたにそのあたたかさとあかるさを届けたいのです。

 

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茶断ち

2019-01-29 18:46:02 | 日記

お友だちから年末に届いた紅茶の封を切った。ハンドメイドというティーバックはうつくしいレースの糸がついていてガーゼのような素材だった。香りといい味といい今までには味わったことのないような優雅なものだった。貴婦人のようだ というのがあてはまりそうだ。調度朝からNPOのことで神奈川県のNPO推進部とのやりとりでいらいらしていたとき、ピュアのカモミールティーは心が安らいだ。すてきな紅茶カップがほしくなった。

そういえば、親友のYちゃんは昔、喫茶店に行くと紅茶しか飲まなかった。(喫茶店がたくさん時代のこと)この人はコーヒーが嫌いなんだと思っていた。それはどのくらい続いていたのだろうか。もう二人が40代になった頃、「実は私、コーヒーは大好きなのよ」と打ち明けられた。えっ!という感じだった。「人をとても傷つけるようなことを二十歳のときにしたわけじゃない。せめてそのことを忘れないようにと、許してください という意味で好きなコーヒーを断ったのよ」と彼女が教えてくれた。そうか・・・・・。紅茶が好きだったとうわけではなかったのか。傷つけたと思っていた人と会ったそうだ。元気で暮らしているので、それでほっとして、コーヒー解禁にしたそうだ。でも20年くらいコーヒーを断っていた。

そういえば私は「お米断ち」した。「茶断ち」は神仏へ祈願した時などに、ある期間お茶を断つこと という意味らしい。お茶ではと思い、お米にした。結構大変だった。朝飯と昼食はいいが、夜は食べるものに悩んだ。約半年、住まいの近くの神社に祈願した。。「念願」がかなったときに食べたのはおすしだった気がする。まぁ、若き日は純粋だったのかなぁ。今の人たちはしないだろうな。

新しい住まいで新しいティーカップで、Tea for Two にはならないが優雅に貴婦人のように(笑わない)この紅茶を味わおうかな。

 

 

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だいじなもののために生きてね

2019-01-28 18:40:18 | 日記

今日は網膜はく離手術後の定期の診察だった。都内のK大学病院へ。都内は風が冷たい。網膜はく離の手術はつらかった。どこまで視力が回復できるのか不安だった。手術は成功して、今は矯正すれば、0.9の視力はある。情報を得る手段の8割は視覚によるものだというから、本当に良かったと思っている。先生も回復を喜んでくださる。そんな時間を共有できるのが医師と患者のいい関係のようにも思う。

昨夜はTVをつけると、嵐の会見ばかりだった。特にファンでもないが、レベルの高いいいグループだと思う。その休止活動へはいる理由は経験したことが多いのではないだろうか。「好きな釣りに行っていても、明日のステージのことやらを考えていて、自分の時間を楽しむことができなかった。それがつらかった」と話していた。いつも何か(主に仕事)に追われていること、そのことから解放されることがないこと、例えば介護にしても20年続くのはつらいことだろう。リーダーとしてさまざまな企画をしていた彼は、才能があるゆえに苦しんだのだろう。

「翼がほしい」と思ったことがあった。やってもやっても終わらない仕事に疲れている人も多いのではないだろうか。手を抜くことを覚えるというのか、人は自分が思うほど何かを期待していることはないということに気がつくこと、相手は断っても、自分が思っているほど落胆しないということ、そんなことを勇気を持って一つしてみることではないだろうか。えっ!こんなことなの!とさぼること、断ることが罪でないことがわかるのではないだろうか。という、私もできるようになったのは最近だが。

だから、昨日のぶろぐのようにゆるがない自分の核を作ることかもしれない。あなたには、あなたの大事なもののために生きてほしいと思うのです。

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なおみフィーバー

2019-01-27 19:29:06 | 日記

「勝ったあー!!」と思わずTVの前で叫んでしまった。そんな人も多かったろう。そして、NHKに感謝。世界1位で一番キュートな女の子だ。大坂なおみフィーバーの昨夜だった。すばらしい!かわいい!

今日はミサに出かけられた。お話がお聞きしたかった神父様のミサだ。今日は「世界こども助け合いの日」だった。飢えで苦しむ子供達や難民として住む所もない子供達に祈りを捧げた。神父様は「あなたは今、何に縛られていますか?」とお話を始められた。それは偶然、私が今朝「縛られていたものが消えた!」と思ったあとなので、びっくりした。縛られるものがあると(執着なのだろう)どうしても穏やかになりきれない。心が平穏になるには越えなくてはならないものだろう。神父様のお話では、その縛られたものから人を解放するために、神はこられた という。それは仏さまも同じではないかとも言われた。

大坂なおみさんの記事、ハイチで水を汲むために何キロも歩く貧しい人を見て「自分は恵まれている」と謙虚な気持ちになれたとあった。強打で相手を圧倒しなくては気がすまないという縛りから解放されて得た勝利ではないだろうか。もちろん、謙虚になれたのは彼女の感性だと思う。心のなかのなかなか解けない結び目を解くのは難しい。解いたと思っても、また沸々と出てくる。

長浜へ引っ越すという決断。それを喜んでくださった方。もうそれで「十分だ!」と思えた。それ以上何がほしいのだろうか。自分の生活を大事に送ろう と思えた。そこからしかボランティアも出発できない。束縛から解放されたのは、自己の核を生きようと思ったからではないだろうか。自分を生きるのであって、自分を縛るもののために生きるのではない気がする。なおみさんほどではないが、素直になれた。多くの人に感謝の日だった。

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