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あなたに「ぬくもり」を届けたくてブログをつくっています

年の瀬の満月

2015-12-28 22:08:49 | 日記
 何処へ行っても待ち時間にいらいらしいる。仕事の帰り、早く帰りたいのにバスが来ない。空を見るとぼんやりした満月が昇ってきている。秋の満月とは風情が違う。なにか穏やかだ。澄み切ったではない泥臭さがある。「そんなに急いでどうするの」と言っているようだ。そういう間が抜けたというのか風情が好きな年になった。ここで勝ち点というシュートをしっかり外す。「いいの、いいの、最後のシーンを撮らなければいいシュートよ」と私は思う。それが土臭い草サッカーよと。人気の五郎丸だって決してあか抜けた顔をしていない。土から這い上がった感じだ。

あの高級車にそのゴムぞうり?靴下を間違えてはいてきたので、片方を裏返しにしてみた?そのサッカーバックを山下清みたいに腹にのせないで・・。などなど泥臭さはいいねぇ。愛すべき男たちのように、年の瀬の満月はおとぼけだ。

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その一言で

2015-12-26 23:23:35 | 日記
 大掃除をしなくてはならない年末。テーブルの上は出さなくてはならない手紙が山になり、終わらない仕事に泣いている。座っているのは立っているよりも腰に負担がかかる。痛みがひどくなる。腰をかばえば足まで痛くなる。でも、今やらなくてはならない。そういう流れだ。そんな状態の身体をケアしてくれる治療師さんは「お正月は休養が必要ですね」という。「五郎丸さんが何にでも出過ぎていう心配の声があるでしょ。でも彼は、このブームの時にやらなくてはならないという信念でやっているそうです。そういう時ってあるんでしょうね。(私もそうなのです)」と私。内心、熱心な治療を台無しにするようで申し訳なく、きっといやな顔をされるだろうな と思った。彼は力強く言った。「やるしかないでしょ!」と。草サッカー支援のNPO法人の立ち上げ。来年7月ごろまではきつい。でも、その一言が私を後押しした。「大丈夫、ちゃんとケアしますよ」というメッセージだろう。また、よき同士を得ることができた!
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背広の似合うスポーツ選手

2015-12-24 19:55:49 | 日記
 暖かいクリスマスイブ。街もなにか地味なクリスマスのようだ。私はミサにも行けず、神にお許しを乞うている。電車で素敵な手編みのセーターを着ているロマンスグレイの紳士。ああ、昔はクリスマスに間に合うように必死でセーターを編んだなぁ と思い出した。

そういえば先日のJリーグアウォーズを思い出した。スキー場で知り合った素敵な男性と街で再会したら、イメージが違くてがっくり! はよく聞いたことだが、スポーツ選手がユニフォームでなく背広を着るとがっかりすることは多い。今年の最優秀選手の青山敏弘はそれなりに似あっていたが、どうもサッカー選手が背広を着るとやくざさんのようになる。それに比べて、ラグビー選手は胸の厚さが背広が似あう要因の一つかなかなか似合っている。でもそれは、ラグビー選手が社会人だからなのではないだろうかと思った。話し方もそうだ。Jリーグも選手に話し方教室なるものをしているそうだが、日常の生活の違いだろうか、やはりラグビー選手の方がそつがない。この辺が、サッカー界の問題なのかもしれない。誰かが言っていた、「試合をしていない時もサッカー選手としての仕事なのだ」と。

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冬ソナを聞きながら

2015-12-23 14:15:27 | 日記
 天皇誕生日。どんよりとした寒い日。家のこと、仕事(家庭教師)のこと、そしてボランティアのこととやることが山積みになっている。まず、身体が第一で治療を優先にしているが、さすがにこの時期はそうも言っていられない。食事や睡眠時間以外は何かしている。デスクワークの今日は冬ソナを聞きながら、心を和ませている。なんであんなに熱心に冬ソナを見たのだろうか。涙が流したかったのだろうか?自分の青春も重ねたかったのだろうか?

そう、不幸でなくてはならない、不幸であることで安心していた自分がいた。誰かに「大丈夫か」と声をかけてほしかったのかもしれないし、星の王子様を待っていたのかもしれない。いつからだろうか、昼と夜が入れ替わるように

そんな自分とさよならしたのは。幸せであることに感謝できるようになった。「幸せ」でいたいとも望むというよりは、ある環境を「幸せ」と思えるのだろう。冬ソナを涙を流さずに見る自信はないが、そんなにもみたいとも思わないのが元気な証拠かもしれない。


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2015-12-21 15:33:21 | 日記
 冬らしい日。それでも暖冬のように思う。夫婦別姓に最高裁の判決が出た。ふ~ん と思う。同姓にしていて、離婚した夫婦もあるだろうし、別姓で添い遂げた夫婦もいるだろう。家族のまとまり・・・は名乗る姓でできてくるのだろうか。確かに姓が変わるということは、夫婦としての意識ができるのかもしれない。昔は、それがなに結婚の喜びであった気もする。(女性の場合)好きな人の姓に自分の名前を下につけてみたりした記憶もある。ふと、菊池寛の「形」という短編を思い出した。「形」は「形」で必要なこともあるような気がする。しかしそれがすべてでもなく、中身と一致した時に意味があるのだろう。同性婚を認めだしているのに、ここで家族の形を「姓」というものでくくれるものなのだろう。私は「形」にすることを、好きではない人種のようだ。

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