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あなたに「ぬくもり」を届けたくてブログをつくっています

五感を澄ませて

2018-07-31 17:41:05 | 日記

 暑さがぶり返してきた。それでも、風があるので朝夕は心地よい。何を見ても、輪郭がはっきり見えるので、感動している。チコちゃんに「ぼーっと生きてるんじゃないよ」と叱られそうだが、朝から風に揺れる洗濯物を見ていた。洗濯物が風に揺れるのを見ることがあっただろうか。室内干も多かったし、干したら次のことをしていたり、でかけたりしていた気がする。

NHKの「チコちゃんに叱られる」が人気が出たわけがネットの記事にあった。土曜日の再放送のほうが「半分、あおい」の後なので視聴率が高いという。やはりNHKらしいくずさない娯楽のラインが「ドタバタ「の民放のお笑い番組とは違うのではないかという。確かにウエットに富んでいるし、生放送なのもおもしろいのかもしれない。その記事の最後に「普段忙しく仕事に追われている人に、ごく単純な疑問を投げかけて、見過ごしていることの多さを警鐘してるのかもしれない」とあった。確かに、この前の「カキ氷のブルーハワイはどんな味?」もそうだ。最近はカキ氷は食べないが、ただ甘いとしか記憶がない。

今日は部屋からトビの声が聞こえた。いままででも鳴いていたのかもしれない。目が見えるようになったので、耳もよくなったのか?!いやいや、きっと五感が働くようになったのだろう。そんなことを感じて、午後から江ノ島に出かけた。江ノ電はいい。江ノ島なんて何十年ぶりだ。その先の海岸へはいくのだが、どうもあそこはアベックで行く所と近づかなかった。実は江ノ島灯籠の下見。目がよく見えるようになったので、夜景を見たいと思う。忙しいときには考えられない時間と気づき。夕方も洗濯物がゆれている。トビではなく、セミが鳴いている。

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生きることを助けてくれる所

2018-07-30 18:16:16 | 日記

 久しぶりに朝から時間で動く日になった。今日は東京へ行かなくては。出かける前に済まさなくてはならないことがあって、気ぜわしく出かけた。半年ぶりの眼科の検診。病院は(眼科は)検査があるので、半日ががりで神経も疲れる という思いがあった。でも、今日は「病院」「病気」という「マイナス」のイメージではなく、「生きることを助けてくれる所」と思えた。「マイナス」なイメージの所ではない、それは生きることが大変なことだと思う年齢になったからでしょうか。

たとえ1歳のいのちでも、90歳のいのちでも、それは多くの人の(おもに医療関係者でしょうが)守られていると思えたのです。自分では、治せない病があると。それを助けてくれるのが「病院」ではないかと。そして「医師」ではないかと。そう思うと、なにか前向きな想いが出てきた。エネルギーを奪われる所のように感じていたからだろう。

わがままなくらいに自分を治療してくださる医師を選んできた。それはある意味で私の生命力かもしれない。いくつまで生きるかよりも「どう生きるか」という質の問題も含めて。

網膜剥離の手術後の後発的白内障だった。レーザー治療で、視界が明るくなった。人生にはそんな時があるのかもしれいない。急に曇りがなくなるようなときが。みえなかったものが見えてくることは幸せだと思う。

 

 

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台風一過に

2018-07-29 08:49:51 | 日記

 ザァーと雨が降ってきた。台風の余波なのだろうか、などと思っているうちに、青空が見えた。台風は関西や中国・四国方面にあるらしい。まだ、なにも水害のあとが片付いていないというのに。先日、めまいと吐き気と戦いながら横になっているときに思った。「私はだれも家族を失ったわけでもなく、家財道具は無事にある。これで目の前になにもなかったら・・・・。どんな思いで被災した人たちは猛暑に耐えているのだろうか」と。

昨日は3時過ぎごろから、ソファーでうとうとしていた。眠りばばになった。なんとか気になっていたNPOの郵便物を全部出せたからだろうか。だれも期待していないのだろうか、手元にあるのは心苦しい。目が覚めると、急に恐くなった。「なにもない。だれもいない。私はなにをしているのだろうか?」と。寝ぼけているのとは違うが、急に現実を見たような気がした。そんなときに、携帯とタブレットがけたたましい音で鳴った。平塚市の避難準備通報だった。隣町の境に川があるので、その近隣の高齢者への避難準備だった。それから5分おきくらいに警報が鳴る。我が家はマンションの3階でも不安になる。

あと10年経ったら。母が地震のときに一歩も動けなくなったのを思い出した。テーブルの下に入って と言っても動けない。マンションよりは最期は一軒家に住みたいなどと 思うが、台風でも地震でも高齢者には避難は困難なことが多い。私などにはないが、そこに長く住んでいる人は、その土地や家への想いが強い。逃げることへのためらいがわかる気もするし、身体が動かないこともあると思う。テレビでは、避難場所や情報をパソコンやスマホで確認するように言っている。今、災害が起こっても、避難場所には行けそうにないし、普段使っていてもパソコンで情報をどこまで確認できるか??

今日の青空のように、被災地が早く普通の生活が取り戻せますように。そして、高齢者にわかりやすい安全な避難方法が完成されることを祈るだけだ。神に祈りに行こう。

 

 

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ミラクルな自己解放

2018-07-27 19:48:44 | 日記

 朝、ドアを開けると爽やかな風が吹き込んできた。ベランダの戸を開けるとさらに心地よい。食卓から見える景色が緑だったら、避暑に来ている感じだ。今日は身体が楽そうだ。

「めまい」様様で、誰かの結婚ではないが「ミラクル」といえる過労だった。めまいになるまでに、少なくとも1週間は身体を酷使していた。だから回復には最低10日ぐらいはかかると思っていた。親友が言うには、「お母さんが亡くなってからずっと緊張が強かったのよ」と。先日のメンテナンスで身体の緊張を解くことを教えてもらった。彼は「いいですね、毎日これをしなくては と思わないことですよ」と笑いながら言った。「ねばならない」人生は疲れる。

携帯で毎日歩く歩数がわかった。7500歩 なんていうと近所まで買い物に出かけたり・・・。(笑い)今は、歩数は測らない。お風呂も毎日入ったほうが腰痛にいいといわれたので、実に忠実にお風呂っ子だった。「めまい」のおかげでシャワーにする日も増えた。確かにストリックな自己管理の部分もあった。だから、内科の主治医は少しくらいコレステロールが高くても、「次までには落とせるだろうな」と言って薬は出さなかった。時間の約束とお金の支払いは、これも神経質だった。

何処でどうなったのか、落ちこぼれであるが故の自己防衛なのか、妙に几帳面な部分があった。元々は、まぬけの「チコちゃん」なのだ。その間抜けさを、母は「何せ、初めて学校にランドセルでいった日、ランドセルを忘れて来るんだから」と認知症になっても言っていた。

「まちこさん朝ドラ好きなのは、斉藤工とかトヨエツは好きなタイプだからでしょ」と親友は言う。「最近は違うの。ああいうタイプはだめなんだ。ぼーっとわからないのがいいの。漢方薬的にね、わからないうちに自然に効いてくるような」効くって信じられるまでには、傷ついてきた分時間がかかったたが、時間をかけること、自分をしばらいこと、そんなことがわかったかなぁ。

 

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ときめいていますか

2018-07-26 18:40:45 | 日記

 外へ出てもまとわり付くような暑さはない。室内よりも外のほうが風が吹いて涼しい感じがする。週末は台風が来るらしい。来月は9月か と思うとまだ8月。今朝は久しぶりにコーヒーをいれた。暑いというよりは、胃が受けつかない気がしていた。だいぶ胃も機嫌がいいらしい。

時間が経つのが早いと感じるのは、「ときめき」がないからだと、チコチャンが言っていた。子供のころや若いときは、わくわくすることが多く、毎日、「ときめいている」ので時間の経過が遅く感じるそうだ。「ときめき」か。最近は、家にいることが新鮮だ。いままでなら、飽きてきてどこかへ出かけていくことが多かったが、ここ1週間は家にいるのが楽しい。あちこちの整理をしているが、1日していても飽きない。掃除もそうだ。汚い所が多い。そこまで手がまわらない というか気が回らなかった。

「ときめき」胸がどきどきするようなことはないけれど、今という時よりも、なにか先のほうに楽しみがあるような気がする。その日を楽しみに「ときめいて」いる。ちょっと新しいことへのチャレンジも始めた。一番苦手の分野なので、何年もかかるだろうな。でも、ワクワクする。少しずつ少しずつ、のんびりと「ときめき」を味わいたい。年をとったなぁ。

 

 

 

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