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あなたに「ぬくもり」を届けたくてブログをつくっています

男が一生に一回は

2017-06-30 21:06:31 | 日記
 九州や四国では豪雨ということ。自然災害は怖いですね。昨日は曇り時々雨の関東地方でした。サッカーのボランティアで千葉の海浜幕張へ。緑と高層ビルが絶妙にマッチしている街です。本田圭介が所属するスポーツクラブが運営するZOZO PARKで交流サッカー大会をドローンで撮影しました。ドローンは救助などで使われたり、落ちるというマイナスのイメージが多かったようですが、この日は人工芝のグリーンが美しく、英字しかみられない施設や遠くのビルを見ると、海外の街でサッカーをしているようです。まさに鳥瞰図でした。プレイーの動きがよくわかるので参加した人たちは「弁解の余地が無いね」と。それでも異世代の人たちが交流サッカーを楽しんでいました。

 雨の予報が晴れで、早くゲームが終わり「早や割り」の199円の生ビールの飲み会です。

初対面の人たちも昔話で盛り上がります。サッカーの話もありますが、ご結婚されたころのお話に。チャーミングな奥さまがいらっしゃる方に「一生懸命口説かれたのでしょう」と質問すると「いや、うちは見合い結婚だよ」と。すかさず「いや、男は一生に一回は女を口説かないとだめだよ」の発言が。えっ!いう感じでした。なにか妙に説得力があり、「そうか・・・」と一同。

 帰りの電車で、「口説かれたことねぇ・・・」を思い出すのです。この曖昧模糊とした記憶。いっぱいあったような、一度も無かったような・・・・。なんとなく押しかけられて結婚したのではなく、やはり「口説いて」結婚するのがいいのだろうなぁ などと思いました。結婚だけでなく「口説く」というようなことの意味を改めて考えた飲み会でした。

 

 
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身代わり

2017-06-27 23:08:17 | 日記
 久しぶりに都内へ出かけた。渋谷の街を歩く人は、半分が外国籍の人のようだ。お友達の会社の税務申告だった。彼女も私も学生時代を渋谷で過ごしていた。変わってしまった渋谷の街で学生時代の思い出の店の話をしていた。喫茶店も多くコーヒーが150円くらいだった。最近は胸キュンにはならないが、20年前くらい前まで、渋谷は思い出の場所だった。学生時代から30年近く心に住んでいた人がいた。その人との思い出の場所だ。

 いま、ホームページを作ってもらっている人その人に似ていた。びっくりしたが、仕事の仕方はその人とはまったく違っていた。わかりやすくいえば、ぐーたらでごまかせるものならごまかしていこう だ。なにか余計許せなくなったが、仕事が仕事だけにデータを引き継ぐまでは我慢我慢だ。

 そんなときに、ドラマ「ブランケット キャット 身代わり」を見た。老人ホームへ入れなくてはならない認知症のおばあさんを持つ家族が、おばあさんが家で最後に過ごすときを楽しくと かわいがっていた猫と似た猫を探してくる。そして、孫の結婚を心配するおばあさんのために婚約者も身代わりの人に頼んで安心させようとする。でも、おばさんは気がついていた というストーリーだった。私はどきりとした。40代までは結婚ですら、「身代わり」のその人に似た人を探しただけに過ぎなかったのかと。よく親友に言われた。「真知子さんは○○さんがYさんと背格好が似ていなかったら結婚しなかったわよ」と。

 似て否なるものか・・・とホームページを作ってくれる人のことから思った。単に「身代わり」を求めていたのか・・・。容姿が似ていたに過ぎないのか・・・・。

 まったく容姿が似ていなくても、どんなときでも受け止めてくれて、大事なことにきちんと答えてくれる人がいたとしたら、それは私が求めていた本質で「身代わり」などとは言えないだろう。その人はその人、そしてほとんど思い出さないもの。目の前の人は目の前の人、本物なのだと。

  
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人口知能

2017-06-26 22:45:28 | 日記
 藤井四段が29連勝を成し遂げた。将棋のわからない私でも興味を持ってみていた。昨夜、NHKでやっていた「人工知能は天使か悪魔か」を見ていた。将棋のソフトをはじめさまざまな分野の人工知能が紹介されていた。将棋のソフトは作った人さえもどうしてかわからないほど強くなっているという。もはや人の手を離れてしまった怖さだ。その理解を超えた手を藤井4段が使っていたような気がした。この人工知能は与えられたデータを使って分析していくらしいが、その答えがどこから出てくるのかは一切教えてこないという。自分の予測とちがっていても、その理由を問うことは出来ない。それは今までの経験知などを元にものを考えていた人に怖いことかもしれない。

 これは変な話だが、私は時々ミサ以外に教会に行くことがある。ただ、お御堂に座っていたいだけなのだが、ふといままで考えてもいないことが頭に浮かぶことがある。「えっ!」という感じのことが多い。それを「聖霊」の働きというのだろうか。なにかお御堂という空間で違う感性が動くのかもしれない。人工知能というのはそういう、今までの経験とは違うところから、単にデータだけを並べ替えて判断するのではないかとも思う。「なぜ?」と聞くほうが無駄なのかもしれない。

 ここのところ自然の中に自分を置いて、何かを取り戻しているようだ と思った。それは子供のころの自分のような気もした。でも、それは違うかもしれない。ぜんぜん違うなにかが動いている。コンピューターを遠隔操作されているように、私の中に新しい領域が出来てくる。そのような領域が(例としてはかなり違けれど)藤井4段の定跡に捕らわれないようなところなのではないだろうか。

 人工知能は「判断」においては、人を解放するかもしれないが、逆に自分の存在を危ぶませるものかもしれない。

  

  
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人生の一コマ

2017-06-25 11:57:01 | 日記
 雨で始まった日曜日。教会もサッカーの応援も行けなかった。無理して起きなかったというのか。昨日のミニハイキングの疲れというのではないが、「ねばならない」に疲れたのだろう。

 最近のニュースに藤井4段の28連勝があった。まだにきびがある中学生らしい彼。28連勝の決め手は残り1分の持ち時間で打った手とか。私は将棋は忘れてしまったが、興味深く観ていた。相手が打った「ふ」をどうするかで10手先くらいには勝てるか負けるかだったと言う。大胆な手だと言う。そんな手を打てるのが彼の強さともいう。「プロ棋士」はやはり「勝負師」なのだろうと思った。でも、それが負ける結果になる一手でも、彼にとって「打った」という価値があるのではないかと思った。

 そして、海老蔵さん奥様の小林麻央さんが亡くなられたニュース。さまざまのことを思った。そのなかで、彼女が「私には、病気の自分だけが人生の全てではなく、もっともっと家族と過ごし、愛されていた幸せの時間があった」というようなコメントを出されていることだ。たしかに、「喪失」の部分は大きいように感じる。むしろそれが全てのように感じてしまう。彼女の言葉で、むしろそれ以外の時間のほうが多いことに気づかされた。

 昨日のミニハイキング。一人で登り道を展望台目指して登った。帰る時になって、結構急な坂道を登れていたことに気がついた。ただ夢中で一歩、一歩登ったが、2年半前の交通事故後歩けなかった私には信じられないことだった。あの事故は何だったのだろうか・・・。

無性に自然に触れたかったこのごろ。私は何かを取り戻したかったのではないだろうか。そして、先への希望も見つけたかったのではないだろうか。

 
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 お金で買えないもの

2017-06-23 20:11:52 | 日記
 「晴耕雨読」ではないのですが、晴れるとカメラを持って外へ出かけます。今日も隣町の大磯町へ。10時ごろのバスがやたら混んでいます。私よりももう少し年齢が上の女性たちです。吉田茂邸が公開されているので、そこへ行くようです。すてきな日傘を差し、いいお洋服を着て、いい靴とバック、アクセサリーもしっかり。それに比べてわが身は・・・・。この貧富の差は・・・。みなさん、楽しそうに元気です。

 このごろ、人生はお金で買える と思うようになりました。この年だから余計そう思うのかもしれません。動けなくなったら、ケアが十分の老人ホームに入れるのか?病気になったら、いいお医者さまに診てもらえて、いい治療が受けられるのか?元気なら海外旅行へ

、国内でも1泊何十万もの旅行ができるのか?美術展へ音楽会へ出かけられるのか?

そう思うと、お金があればほとんどのことは解決できそうです。直接でなくても、お金で買えないものはないように思います。

 夕方、6時になると夕食の支度ができるようになりました。いそいそとエプロンをして。祖母も母も二人とも料理は得意でした。そういえば、祖父は器道楽でした。物置にまで食器が入っていました。私も今ある食器の4倍は食器を集めていました。父は? 母が私の写真が弟の写真の何倍もある と言っていました。写真は父の趣味でした。今、カメラを持って出かけるのは父譲りなのでしょうか。

 夕飯のときのお祈りで気がつきました。祖父母や両親からもらったものは、お金では買えないと。この年になっても、あほのような性格も。そしてもう一つ、大事なものはお金では買えません。

 
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