今朝はかなり冷えました。天気予報で「風邪をひかないように腹巻を」と言っていました。腹巻はないので、毛布を厚いものにしました。朝起きて新聞を取りにいくと、なんとなく部屋が広い感じです。寒さに向うときの寂しさでしょうか。
TVでは「希望」ということばが安売りされているようです。「違うだろー」言いたくなるような発言もあります。「希望」が持てるには、今の生活の安心が大事なのでは?心理学に「アタッチメント」(愛着)という話があります。子供が親(育ててくれる人)との関係で安心が得られないと「冒険」(どこかに自由に出かける)に出られないというお話です。そうでない子供は親の姿が見えないと泣き出したりしだすそうです。「安心」は自分をしっかり守ってくれる人がいると感じられるところからくるそうです。生きていくということは不安定なことですが、それでも将来に希望の光が見えるには、なにがあればいいのでしょうか。
たとえば、目の不自由な人が安心して外出できるようになるには?周りの人のほんの少しの想像力(思いやり)があればずいぶん違う気がします。今は、想像力(相手を思いやる心)の欠乏時代かもしれません。何かがあれば、誰かが(何かが)守ってくれる、という環境が出来ないうちは「希望」はやって来ない気がします。
政治向きのことは、なんとも言いがたいですが、「君の志は何でか?」と松陰先生のように訊ねてみたくなるこの頃です。
TVでは「希望」ということばが安売りされているようです。「違うだろー」言いたくなるような発言もあります。「希望」が持てるには、今の生活の安心が大事なのでは?心理学に「アタッチメント」(愛着)という話があります。子供が親(育ててくれる人)との関係で安心が得られないと「冒険」(どこかに自由に出かける)に出られないというお話です。そうでない子供は親の姿が見えないと泣き出したりしだすそうです。「安心」は自分をしっかり守ってくれる人がいると感じられるところからくるそうです。生きていくということは不安定なことですが、それでも将来に希望の光が見えるには、なにがあればいいのでしょうか。
たとえば、目の不自由な人が安心して外出できるようになるには?周りの人のほんの少しの想像力(思いやり)があればずいぶん違う気がします。今は、想像力(相手を思いやる心)の欠乏時代かもしれません。何かがあれば、誰かが(何かが)守ってくれる、という環境が出来ないうちは「希望」はやって来ない気がします。
政治向きのことは、なんとも言いがたいですが、「君の志は何でか?」と松陰先生のように訊ねてみたくなるこの頃です。