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あなたに「ぬくもり」を届けたくてブログをつくっています

「希望」

2017-09-29 20:48:31 | 日記
 今朝はかなり冷えました。天気予報で「風邪をひかないように腹巻を」と言っていました。腹巻はないので、毛布を厚いものにしました。朝起きて新聞を取りにいくと、なんとなく部屋が広い感じです。寒さに向うときの寂しさでしょうか。

 TVでは「希望」ということばが安売りされているようです。「違うだろー」言いたくなるような発言もあります。「希望」が持てるには、今の生活の安心が大事なのでは?心理学に「アタッチメント」(愛着)という話があります。子供が親(育ててくれる人)との関係で安心が得られないと「冒険」(どこかに自由に出かける)に出られないというお話です。そうでない子供は親の姿が見えないと泣き出したりしだすそうです。「安心」は自分をしっかり守ってくれる人がいると感じられるところからくるそうです。生きていくということは不安定なことですが、それでも将来に希望の光が見えるには、なにがあればいいのでしょうか。

 たとえば、目の不自由な人が安心して外出できるようになるには?周りの人のほんの少しの想像力(思いやり)があればずいぶん違う気がします。今は、想像力(相手を思いやる心)の欠乏時代かもしれません。何かがあれば、誰かが(何かが)守ってくれる、という環境が出来ないうちは「希望」はやって来ない気がします。

 政治向きのことは、なんとも言いがたいですが、「君の志は何でか?」と松陰先生のように訊ねてみたくなるこの頃です。

 
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アナログ

2017-09-27 21:21:55 | 日記
 取材から帰ると写真の整理に追われる。たしかにカメラを変えたので動きのある写真はよく撮れるようになった。まだ、望遠や広角レンズは使いこなせない。行きの新幹線から「されど、われらが日々」を再読し始めた。寝ぼけた頭ではこなしきれないが、なんとも四角い小説だ。何ページも読まないうちにギブアップした。少し時代はずれるがこんな価値観の中で生きていたのか と思うとそれだけで肩が凝る。しかし、私自身もくそまじめに考え、論じ合って生きてきたことも事実だ。150円?のコーヒーで何時間も語り合った。長い手紙もたくさん書いた。情報はアナログだから自分で探さないとなかなか手に入らなかった。本もよく読んだ。生きることに妥協が少なかった時代ではないだろうか。今とはちがう理由での自死もあった。あんな四角い世界で生きるのはつらかったよね、と自らを慰めた。落ちこぼれになるわけだと納得する。

 たけしが「アナログ」という小説を書いた。まだ読んでいないが、内容をTVの番組でたけしが話していた。そういうアナログな時代をすごしたものでないとわからない「マインド」と「ハート」がある気がする。「ハート」だけで生きれば、たちまち「ハート」は壊れる現代。「マインド」が優勢の時代なのかもしれない。昔より若者はより賢く生きている気がする。それはある意味でうらやましい。あんな四角い時代だから「ハート」で生きようとしたのだろうか。

 帰りの新幹線で「されど、われらが日々」を読み終えた。今、再読してよかったのかもしれない。いまある知恵があれば、もう少し生きやすかっただろう。時代は変わった。 今、「いとしき」もののために生きるには、純愛だけでは生きられないかもしれない。表面は「マインド」で深層は「ソウル」で生きているような気がする。

 
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本望か?

2017-09-26 00:14:17 | 日記
 晴天が続きました。今日は2日間の取材を終え、自由の身で自分の時間を過ごしました。久しぶりの京都の風景。ああ、また帰ってきた、という感じです。市内は遠慮して延暦寺へ。叡山香を買い求め、しばし根本中堂で静かなときを過ごしました。

 サッカー大会で一人の方が、ピッチで倒れ、皆で最善を尽くしたのですが病院で亡くなられました。ご本人がお医者さまなので、救急車を呼んでほしいと言われたそうです。他にもお医者様がおられたので手当てを。その方が属しておられたチームは何回か写真を撮って差し上げていましたし、よく存じている方もいました。いつもは試合前に写真を撮るのですが、その日は撮りませんでした。なぜかそんな気持ちでなかったのです。遠いとはいえほぼ目の前で倒れられました。その日のあとの試合は、試合前に黙祷を捧げていました。チームのメンバーは、あまりのことに感情を表わすことも出来ず、次の試合をじっと待っていました。

 「大きな声では言えないけど、本望だろうな。好きなサッカーをしていてピッチで倒れられて死ねるなんて。」そんな声があちこちで聞かれました。本望か・・・?言い残せたのが「救急車を呼んで」だけで本望なのでしょうか。

 最期は家族に看取られて という人が多い。そんな甘いものがない私もやはりピッチの横でカメラを持って倒れるのが本望なのでしょうか?いやいや、そうではない気がします。そうですね、根本中堂で静かに座ったまま成仏できれば幸せかもしれません。叡山香包まれ、1200年も燃え続けている灯明に送られて・・・。

 

 
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 あなたの心に

2017-09-21 21:35:45 | 日記
 今日は空がきれいでした。昼間のまさに空色の空でした。今週も木曜日。ないもしないうちに日が経っていきます。日曜日にミサに行けず、ずるずる木曜日。夕方やっと教会へいけました。静かに祈る時間がほしいので出かけました。何かを祈るというよりは、神に感謝を伝えに行きます。

 帰り道、飛行機雲とすじ雲が絡んできれいでした。昼間ほど空は青くはありませんが、夕日もうつくしく、瞬間、瞬間、光が動いていきます。きれいなので立ち止まって空を見ていました。はっと吾に帰ると、交番の前でおまわりさんが笑って挨拶をしてくれました。昨日と同じようにある歌詞を思い出しました。「あなたの心に空があるなら・・・」さて、だれの歌だったのか?

 懐かしい中山千夏さんの歌でした。歌詞を全部見てはっとしました。「あなたの心に海があるなら、そしてそれが涙の海なら、私ひとりで泳いでみたいな いつまでも いつまでも」。「涙の海」という歌詞にはっとしたのです。「だっていつもあなたは笑っているだけ、そして、私を抱きしめるだけ」なにかほっとすような歌詞でした。「あなたの涙の海」が「よろこびの海」なるように、私ひとりで泳いでみたいな、いつまでも。

 
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わたし髪を切りました

2017-09-20 21:11:27 | 日記
 昨日の夕方の空がとてもうつくしかったので、今日もと期待していたのですが、どんよりの空でした。取材で撮って写真の整理をしてお礼のメールなどをしなくてはならない日でした。なぜか家に帰るとよく眠れません。運動不足なのでしょうか。9/15がいいお天気でしたので、日に焼けてまたしみが増えそうです。白髪も目立ちだしました。憂鬱な朝です。

 仕事を放り出して、髪を染めに新しい美容室へ出かけました。8年通った美容室が経営者が変わるので思い切って他のお店にしました。紹介ではないので、どんなお店か、これは自分の勘のようなものです。当たりでした。腕に自信があるのか店長が髪をどんどん切りました。2年かけて伸ばした髪なのですが・・・。

 「私、髪を切りました・・・」昔の歌のフレーズでした。若い日口ずさんだ歌詞です。なにか変化があったときとか、気分を変えたいときに髪型を変えたものでした。今回はただ老いに耐えられなかっただけなのです。でも、ちょっと今までにない髪型。ご機嫌になりました。そうでした!さだまさしの曲では?ネットで調べるとさだまさしがクレープのころの歌でした。「追伸」懐かしい曲です。バイオリンの美しい音色と澄んだ歌声。情緒のある歌です。

 髪型は変わっても、頑固に動かないものがあります。ますます、頑固になります。若いときとは違う「私髪を切りました」です。

 
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