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伊藤貫の真剣な雑談】第12回 伊藤貫×ジェイソン・モーガン「何故、アメリカ文明からアングロサクソンとキリスト教的な価値観が消えたのか?」[桜R5/2/25]
出演:伊藤貫(国際政治アナリスト)・ジェイソン・モーガン(歴史学者・麗澤大学国際学部准教授)
伊藤氏
アメリカがアングロ・サクソン的な政治とプロテスタント的な価値規範を持っているということが言えたのは1950年代まで。1950年頃まではWASP(ホワイト・アングロサクソン・プロテスタント)という人たちが居て、一部のWASPという人たちが支配階層であるということになっていた。
しかし1960年以降はそのWASPは支配階層ではなくなって、それと同時に政治も文化もキリスト教的な価値規範を失っていって、政治においてもイギリス的な政治のやり方に則ったとは思えない事態が進んできた。
それが加速してして現在のアメリカはアングロサクソンの国とは言えない状態。
キリスト教的な価値規範も共和党の一部には残っているが、民主党とアメリカのマスコミはキリスト教的な文化や価値規範を壊そうとしている。
過去60年間のアメリカを支えてきたパラダイムが両方とも崩れてしまった。元には戻らないだろう。
このことに関してモーガンさんは、どのように評価されておられますか?
モーガン氏
伊藤先生のご指摘の通りと思うが、一つだけ先生のご意見と異なるのは
アメリカは、そもそもキリスト教の国では無いと思って居ます。キリスト教とプロテスタントは関係がないと思っている。
アメリカの問題は多分、イギリスから来ているのではないか。ピューリタンが問題ではないか。
アングロサクソンはアメリカで法律問題を植え替えようとして成功したと思うが、マディソンは「我々が作った憲法は道徳的な民族、宗教的のある民族には合っているが、それ以外の国民には全く適切ではない」と。「宗教と道徳、法律的文化が崩れたらアメリカ自体は崩れる」と思っているが
必然的に崩れると思っている。
なぜかというと、キリスト教というのは文明が必要だから。カトリックというのは全ての文明と仲良く出来る。
キリスト教と言うのは聖書ではなくてイエス様です。イエス様の体を自分の体の中に取るわけで、それがキリスト教。自分がその文明の中に存在することが大前提となっておミサに頼っていることがキリスト教(おミサ=ミサのことかな?)
でもアメリカの場合、キリスト教が概念的なことになってしまい、個人個人があまりに自己中心的になってしまった。
人種問題とかWASPとかよく言われているが、そもそもどの人種でもアメリカ的イデオロギーが失敗に終わると思う。
アメリカは概念的過ぎて民主主義とか自由主義とか普遍と言っている。その普遍的な価値観をみんなに布教しているということがあって、それが問題で、そもそもハミルトンのような概念的な国だったからこそ今のようになっていて、取り戻しようがない。伊藤先生のご意見に賛成。
ジェファーソンのいうような定住して農業をやるような国だったら大丈夫だったかもしれないが、先生のご指摘のようにアメリカの基盤が無いというよりも
基盤が健全だから崩れている。概念的すぎるからこそアメリカは今、カオスに陥っていると解釈している。
伊藤氏
アメリカ人のキリスト教がヨーロッパ人のキリスト教からズレているものであるというのは賛成。
17世紀、当時のイギリスではピューリタンは過激派だと思われていた。
当時のイギリス人にとっては、アメリカに移民していったピューリタンというのは一種のカルト教徒だった。(モーガン氏:そうそう)
ネイティブ・アメリカン(インディアン達)をどんどん殺戮して土地を盗んで、その一方では教会で「自分たちくらい素晴らしい国は無い」と。
世界の人が仰ぎ見るような徳に満ちた国を作るのだと言って自信たっぷりなのであるが、その一方ではネイティブ・アメリカンを虐殺してアフリカからアフリカ人を
輸入して過酷な奴隷制をやって、実際には物凄く残虐なことをやって、でもそれと同時に自分たちくらい素晴らしいキリスト教徒は居ないと自画自賛してお互いに褒めあって自信たっぷりなわけだ。
自分たちが現実に酷いことをやっても、いつも自画自賛しているのは可笑しな現象である。
クリスチャンの重要なのは原罪から逃げられないということ。だから神の前では謙虚でなければいけない。それがキリスト教のコアな部分なのだけれども
アメリカ人というのはアグレッシブに自分のやりたいことをやって自信に満ちているが、それと同時に17世紀くらいから自分たちみたいに素晴らしいキリスト教徒は居ないと思いこんでいたわけで。
客観的に矛盾しているように見えても彼らはその矛盾に気がつかないという、へんてこりんな国民だと思う。アメリカ人は自分たちがキリスト教の価値規範を体現していると思っていたことは事実である。
しかし、アメリカにも本気でキリスト教文明を実践しようとしていた人が居たわけで、全てが偽善で自己欺瞞だったわけではないという気もする。だが、今のアメリカには僕の尊敬できるようなキリスト教徒は居ない。
1940年50年の知識人を比べても、最近の大学教授の質は凄く下がっていると思う。
今、アメリカでアイデンティティポリティクスばかりやっているのは(自分が○○人種だからとかLGBTだからとか)、より大きな次元の高い価値観を失ったから。
皆自分のことばかり喋っている。目先のことではない高い文明観と人間観を殆どのアメリカ人が持てなくなってしまった。
本来ならば高い立場から共通の道徳規範をもう一度構築し直すという役割を果たすべき立場の大学の先生達が、そういう道徳規範を壊す立場になり破壊しようとしている。
モーガン氏
アメリカの大学は壊して草原にしたほうが良い。日本人がびっくりするくらい腐敗している。アメリカはアメリカの一番強い敵。教養のない教授が殆ど。
伊藤氏
自己評価・自己主張・自己充足・自己実現。
アメリカには、アメリカ人一人ひとりが高い自己評価を持ち、強い自己主張を持ち、詩文の才能を実現する生き方が素晴らしいという議論をする教育学者・心理学者・社会学者がとても多い。
僕から言わせると「あんた達、本気なの?」と。そういう人たちは判断基準が自分の利益を追求しているかどうかというところに落ち着いてしまうわけで。
道徳規範と言うのはある意味垂直な価値判断の存在を認めて、全ての価値判断が水平ばかりではなくて、より高い価値規範、より望ましい価値判断と、それからなるべく避けるべき価値判断の基準。要するに価値判断には優劣があるのだ。高い価値判断と低い価値判断。
ところがアメリカでも日本でも価値判断は個人次第であると。「これが俺の生き様なのだから、お前は文句をつけるな」と。「好きなようにやっているのだからガタガタ言わないでくれ」と。これは非常に質の悪い個人主義。
恐ろしいことにアメリカの心理学者・社会学者は、それでも構わないみたいな議論をする人がとても多い。
中略
モーガン氏
アメリカはソ連とナチスドイツの始まりのようになってきている。伝統的なカトリックはテロ扱いされている。
国家が全体主義になって国家が全てを取り締まる、そういう方向に走っている。
日本が、その国(アメリカ)に安全保障を委託していることが非常に危なくて、日本人に一刻も早く目が覚めて頂きたいと思う。そのアメリカはソ連レベル、ナチスドイツレベルの段階に入ろうとしていると思う。
伊藤氏
安全保障のことに関して言えば、1990年にアメリカの外交雑誌に評論を書いて「日本はアメリカに依存しない方が良い。自主的な核抑止力を持って自主防衛するようにしたほうが良い」と。
同じ頃CNNのクロスファイヤーという番組があって、今は引退したパットブキャナンが司会者で、彼は日本は貿易黒字があるから気に食わないとか言っていた。
お前たち(日本人)はアメリカに守ってもらっているくせに貿易黒字を出してけしからんと。
僕は「あなた達アメリカ人が日本から出ていきたかったら、どうぞご自由に出ていってください。日本は核抑止力を持って自主防衛しますから、アメリカ軍が日本に軍事駐留してくれなくても良いのですよ」と言った。僕は1990年代にはアメリカのマスコミなどで発言してきた。
日本にそういうことを言い出したのは、2002年に今は無いが「諸君」という月刊誌に、日本は核抑止力で自主防衛したほうが良い。アメリカはますます頼りにならない国になってきているから」と。
僕がアメリカ政府を信用しなくなったのは1985年から95年頃まで日米の経済政策主に通商交渉、貿易問題のレポートを書いていて、日本の大企業の会長さん社長さんとか、経団連の会長とか日経連の会長にもレポートを読んでいただいていたが、そのレポートを書いている最中に気がついたのは、アメリカ政府が全く約束を守らないと。
今はWTO、当時はガット。国際通商違反の言いがかりをつけて、日米で特定の産業の日本側に黒字が出ると、ありとあらゆる難癖をつけて国際通商違反の制裁を掛けたり、国際通商法では許されない一方的な要求を押し付ける(無理やりアメリカのものを買え!とか。日本の例えば半導体産業の20%をアメリカによこせとか)でたらめなことを言う。
これはアメリカの商務省と国務省と通商代表部は平気で嘘をつくと。事実と全く違うことを主張して間違った主張をもとに日本に貿易制裁をすると。
僕が、商務省と国務省と通商代表部に「あなた達のやっていることは通商法違反ではないか」と言っても、これらのキャリア官僚はケロっとしている。
面と向かって指摘されても彼らはケロっとしているのだ。
ニューヨーク・タイムズやワシントン・ポストはマトモな新聞だと、当時僕はナイーブだから思っていた。
通商問題に関して平気で間違ったことを書く。その記事を書いている記者に直接会って、これは間違いではないかと指摘しても、大部分の人はケロッとしている。
何故ならば彼らは政府や政治家から、間違った記事を書けと要求されていて、その通り書いている。僕が事実を出して間違いを指摘しても「それがどうしたの?」と。
「我々は嘘を承知で書いているのだから文句を言わないでくれと」
安全保障に戻るがアメリカの核の傘は存在しない。
中国・北朝鮮・ロシアが日本に核恫喝をかけても、それを理由にアメリカがそれらの国と核戦争をやるかというと、それは絶対にやらない。
はっきり言って日本は騙されているわけだ。国務省やCIAやペンタゴンのキャリア官僚と一対一で話をすると、彼らは核の傘は無いと認める。
そうすると日本政府、外務省にしても防衛省にしても自衛隊にしても「核の傘があるから大丈夫。日本は自主防衛しなくて良い」と言う。
「あなた達は国務省・CIA・ペンタゴンと一対一で議論しているのか」と問うと「してない」と言う。
日本政府は核の傘があるから大丈夫だと声明を出しているけれども、驚いたことに外務省・防衛省・自衛隊の一番偉い人たちが一対一で、どういうふうに日本を守るために、もしくは日本への核攻撃に報復するためにアメリカはどういうふうに核戦争をやるのだと問いただしてない。
アメリカは日本に対して二度も核戦争犯罪、広島と長崎に核戦争犯罪を実行している。
核戦争犯罪をしている国が、世界で唯一核戦争犯罪の犠牲になった国に対して、たとえ周りの中国人、朝鮮人、ロシア人が日本人をターゲットとする核ミサイルを
何百何千と持とうが、お前たち日本人にだけは持たせないと。二度も核戦争犯罪を実行した国が日本に命令している。
で、日本人はそれに従っているわけだ、文句も言わずに。
日本を騙してるアメリカは不正であり不道徳であり邪悪であるが、そういう立場に置かれていることに全く抵抗もせず、アメリカ政府の言いなりになって実際には存在しない核の傘にシガミツイていれば大丈夫だろうと、そういうことしか考えられない日本の外務省・防衛省・自衛隊・自民党の無責任っぷり。気持ち悪いと思いません?
モーガン氏
10年前までは日米同盟はとても良いと思っていた。しかし正に(伊藤氏が)仰る通りと思っている。
日本が大好きですよ。日本について悪いことを信じたくない人間ですが、この一年ぐらい自民党がやっていること、バイデンは特に中国の所有物であるとしてもバイデンファミリィは何処まで中国の傀儡人形になっているか。
ワシントンは明らかに約束は守らない。アフガニスタンもそうだった。アメリカはアフガニスタンから、いきなり撤兵してアフガニスタンの人は大きなダメージを受けて殺されたりした。アメリカの歴史を俯瞰しても約束を守らない。今だにネイティブアメリカンは収容所の中に暮らさなければならないとか、そのワシントンを信じている自民党は私に言わせれば芯まで腐敗していると思う。
日本人のことを一切考えて無くて、日本の保守派はアメリカの保守派と似ていて、何を保守しているかというと自分のキャリアを保守しているだけで、国のことを一切考えて無くて、いざ戦争となったら核の傘下ではなかったと。自民党はワシントンよりも腐敗しているのではないかと考えている。
お互い様にワシントンが必要なのはポチである。それが自民党。自民党が必要なのは主人。それがワシントン。日米同盟というリードで繋がっていて
あれは日本のためにもアメリカのためにもなっていない。
ただただ霞が関、永田町、ワシントンのためだけになっていて、本当に無責任そのものだと正直腹が立っている。
伊藤氏
世界中の人間から道徳的な堅固な一貫性(インテグリティ)のある人が居なくなっている。
今のワシントンから今の国際政治を観察していると西側諸国のリーダーになっている人はオポチュニストばかりなのだ。
日本やアメリカだけじゃなくて所謂先進諸国のリーダーになっている人たちは、モラルインテグリティを殆ど感じさせない。これって大学教育が劣化、質が悪くなっているせいではないかと。
これに関して、アービング・バビット著(日本では知っている人は殆ど居ない。一冊も日本語に翻訳されてない。TSエリオットにギリシャ古典とフランス文学を教えた人。TSエリオットがハーバードに居たときの学長がエリオット学長で、この人はTSエリオットのお父さんの従兄弟で、ハーバードから古典を追放した)は世界の大学が堕落したのか書いている。
ハーバードから名著の伝統を減らしていった。それに真正面から反論したのがアービン・バビット氏。TSエリオットはおじさんのエリオットを批判した。
ハーバードがそういうことをやったのでアメリカの大学も古典を追放していった。古典的な勉強をしなくなり役に立つことを教えれば良いとなっていった。
1960年以降にアメリカの知識人、言論界に出てきた人たちは古典を否定していた人たちが入っていった。日本人に必要な価値判断があった。中国の古典、主に儒教を読むことと仏教。寺子屋に行って仏教のお坊さんから教育を受けた。
奈良時代から江戸時代の末まで日本人の形而上的な判断力(価値判断には優劣があるという考え)を教える。日本人は仏教徒と漢籍を学ぶことで吸収していた。
明治以降の教育はそれを無くした。その代わり役に立つ西洋文明を真似すれば良いと。
現代の話に戻るが、現代の世界諸国で有名な言論人と世界的なリーダーシップを握っている人たちを見ると、道徳的な堅固な一貫性(インテグリティ)を感じない。
それってほぼ百年間にわたって教育改革という名のもとに進められた古典的な教養・文化の排斥。そういうものを無くしてしまった人間たちが目先の損か得かというだけで価値判断をするようになったと。
役に立つことは良いことだ、お金の儲かることは良いことだと、自分たちが得するのは良いことだと、そういう短期的なことだけで国の将来と社会の運営を決めていくならば、価値判断のアナーキー状態にたどり着かざるを得ない。
指導者層に関してもインテグリティの無いオポチュニストばかりになる。これは大変なことだ。
モーガンさんはカトリック的な価値判断をもう一度人類に復活させることができるとお考えですか?
モーガン氏
可能だと思いますけれども今のアメリカ冒頭に申し上げたことに戻って、しつこくて申し訳ありませんが前々回のリーダーシップがピューリタンになってしまって
水平的な判断しか無くて垂直的な判断基準がもう無いと思っているので、全世界がピューリタンになっちゃって。
形而上学的のご指摘は大きいと思います。なぜ全世界の中から日本だけをこんなに軽視しているのかワシントンは、それは何故かというと、それは神道が大きく関わっていると思う。
神道というのは先生が仰った奈良時代から江戸時代まで培われてきて形而上的判断基準であって、儒教であったり仏教であったり神道であったり、日本というのは兎に角神の国で、私は北畠顕家が言う神国だと思っていて、この国の国体は神国である。形而上的な考えから切り離された日本は日本ではない。
そういうルーツがあるとよく分かって、あのワシントンの連中はどうしても日本という国の文明を絶滅させたかったと。
他の国に対する憎しみに比べてワシントンが日本を憎んでいたのは、格別なレベル。
日本が神々を信じているから形而上学的な考えがあるから、特に日本が大嫌い。それはそれはワシントンそのものであったりピューリタンそのものであったり。
残念なことに全世界がそのようなことになっている。
私は人間は100%悪、100%善は無く混ぜてある存在で我々はカオスは好きではない。で、良い社会に住みたいので何時か人間が良い方向になるのではないか。
日本がもしアメリカを真似ているのであれば、日本の先に希望は見えていない。先生が仰った古典教育は大きいと思う。ラテン語とギリシャ語。
日本の場合は仏教と儒教、難しい文学を読んで。
アメリカの場合は衰退を止められないと思っている。
アメリカがカトリックにならない限り、この国には将来は無い。
日本の場合は形而上学的な存在に戻らない限り、ただただ水平的な判断基準だけでこの国はダメになると思う。全世界もそう。
士農工商の世界にならないと先が見えない。
伊藤氏
健全な価値判断は2500年前から賢人が出てきて既に教えてくれている。それを我々は忘れないようにすべきだ。
僕は人類の四賢人とか七賢人という呼び方をするが、人類に四人凄く賢い人が居た。
東洋では孔子と釈迦、西洋ではソクラテス(代わりにプラトン)とジーザス。
この四人が人間に必要なことの七割か八割は指摘している。
しかし啓蒙主義(18世紀の中頃)で教えてくれるどころか、忘れる方向に向かってきた。我々は自然科学とか技術とか、そういう役に立つ面では進歩したが
人間の価値判断の面では逆にフラットになって、優越した価値判断と劣等な価値判断の違いが分からなくなってしまった。
これが分からないから自分の得になる方向に回れば良いという価値判断だけを指針として動き回る人たちばかりになってきた。
世界中で大学の進学率が高まっていて日本でもアメリカでも大学進学が5割から6割になっていると思うが、大学進学率が高まった国になればなるほど
思考力が凄く薄っぺらくなっていて、深い思考能力を持てなくなっている。
アメリカに関して指摘したいが、アメリカで秀才とかエリートと呼ばれている人たちが皆さんとてもクレバーでスマートだ。
クレバーでスマートだけど、ワイズでソートフル(思慮深い)リフレクティブル(じっくり考える)、ジュディシャス(きちんとした判断力)じゃない人が殆ど。
皆自分のとこをスマートでクレバーだと思っている。
じっくりものを考えてから発言する人が居なくなっている。
何が言いたいかというと、日本でもアメリカでも大学の進学率を高くして、それでペーパーテストで学力をはかるということをやっていると、人間が薄っぺらい人間ばかり大量生産することになって、高学歴社会というのが思考力・判断力を生み出しているのか、浅い判断力を持つ人を大量に生み出す結果となっているのではないか、事態を悪化させているのではないかというようなことを感じることが多い。
モーガン氏
大学を出た私が大学の中で非常に悲しく気付いたのは、このような話は出来ない。二つの理由がある。
自分のキャリアしか考えてない教授が殆どで、本当のことを言ってくれないので話にはならない。
上から目線に聞こえると思うが教養のない人が殆どで、私は大した人間ではないが私にとっての常識や基本的知識を授業の中で言及すれば、私が何について話しているのか分かってくれる人は居ない。
大学以外ではプラトンの本を読んでいる人はいるが、大学では文明が死んでしまう。大学に行って文明が死んでしまう。
・・・ここまで・・・省いたところもあり、書き間違いもあるかもしれず詳しくは視聴なさってください。
とても難しい内容でした。アメリカは私が想像している以上に可笑しなことになっているようですが、日本も追従しているので可怪しくなっていることは日々感じています。
アメリカは特に社会主義になろうとしているように見えます。SDGsやLGBT、地球温暖化なんかもその一環じゃないでしょうか。コロナも枠も昆虫食も全て、そのために用意されたような気がします。
悲しいことに、そんなアメリカにしがみつくしかない日本です。これから先どうなるでしょう。アメリカは必ず裏切るし、約束は絶対守りません。思い起こせば、これまでどれだけ嫌がらせを受けてきたことか。それでも日本は独立できないんですよねぇ。
ところで、モーガン氏が神道についてお話しくださったので驚きました。
私はこの頃、自分が堕落していると思うことが多いです。コロナで無くした伝統にホッとすることもあるのです。簡単なのが良いやと思ってしまいます。私は本当に保守なのか自信がありません。
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