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伊藤貫氏の真剣な雑談 14回後半を聴く

2023-05-31 05:57:40 | お話しを聴く
後半部分の聞き書きです。

https://www.youtube.com/watch?v=L8f8Tz-XG4A
【伊藤貫の真剣な雑談】第14回「アメリカ民主政治の堕落と混乱を予告したトクヴィル!!!-後編」[桜R5/5/27]

トクヴィル
自由・平等・民主をやっていくと国民は逆に自由を失っていくことになると彼は次の5つの点で説明している。

1 多数派至上主義による専制主義。

2 世論崇拝現象から生じる知的な画一主義。

3 民主主義社会の平等主義から発生する嫉妬による抑圧現象、もしくは嫉妬による抑圧主義。

4 ヨーロッパの革命前の世界と革命後の世界、それからヨーロッパとアメリカを比べた場合に、トクヴィルは中間的な支配者層というのがアメリカには
  存在していないし、革命後のフランスにも存在していない。
  トクヴィルはこの中間的な支配者層を非常に重視している。中間的な支配者層というのは「国王」が居て「国民」が居て、
  その真ん中に「中間的支配者層」が、革命前のフランスや19世紀のイギリスには居た。
  トクヴィルの分析によれば国家の自由と国家の寛容を本当に維持していたのは、国王でも一般国民でもなくて中間的な支配者層であったと。

5  中央政府による保護者的な統制的な「新しい奴隷制度」(トクヴィルの言葉による)
   トクヴィルによると民主主義・自由主義・平等主義をやっていると、そのうち政府の力が強くなって、政府は国民を保護してやるというポーズを
   とりながら、新しい奴隷制度を作ることになるだろう。

トクヴィルはフランスでは民主主義を支持していたが、多数派が全てを決めてしまう社会というのは長期的にはマズイことになると考えていた。

彼の文章を引用

先ず1について
民主主義のエッセンスは民主派が多数を行使することである。議会は多数派の意思を立法化する。社会は多数派の政治的な優越性を認めるだけでなく、
多数派に道徳的な優越性まで認めてしまう。
民主主義では一人ひとりの議員の資質よりも議員の数が問題になる。多く議員を当選させた人が勝ち。これは人間の知性の分野まで平等主義の原則を
適応することであり、数が多ければそれで良いのだと。数が多い人間が政治的にも道徳的にも勝ちだと。

私(トクヴィル)は個人的には多数派は何をやっても良いという考え方に、不潔で卑しいものを感じる。アメリカでは多数派が少数派を沈黙させることができる。ヨーロッパでは最も専制的な国王でさえ少数派の言論を止めることは出来ない。アメリカでは多数派が物理的な権力だけでなく道徳な権限まで行使している。
トクヴィルは言う「ティラニー ドゥ ラ マジョリテ」(専制による圧政)「世界諸国の中で、(1830年代のアメリカのこと)アメリカくらい思考の
独立と議論の自由が欠けている国は無い!」 アメリカは少数派の意見を唱える人を露骨に迫害して、村八分にして社会から抹殺してしまう。
アメリカの言論迫害はスペインの異端新聞より酷いものであると彼は言う。
アメリカ人はいつも多数派の意見に迎合しようとする、そのような計算高い国民となっている。その為アメリカでは偉大な人格者というものが出てこないと。

フランス革命にしろアメリカの独立革命にしても、自由主義・民主主義を実践したということになっているけれども、トクヴィルの目から見て、
これは「ティラニー ドゥ ラ マジョリテ」専制政治を引いているように見えると。

次の2について
平等主義・民主主義の時代になって人々は一般の世論に心理の根拠を求めるようになった。革命以前の階級社会においては、それぞれ違う階級に
所属する人たちは、全く異なった見解を抱くことを不思議に思わなかった。階級社会では深い学識と教養を持つ少数の力強い人たちと多くの無知な大衆が
共存していた。そのような時代の人たちは少数の卓越した知性を持つ賢人の意見に耳を傾け、彼らの意見をガイダンスとして自分の意見を形成していった。
当時の人々は大衆の世論は真理だなどと思っていなかった。
しかし平等主義・民主主義の時代になると一般の世論が非常に強い影響力を持つようになった。人々は世論の推移に従うようになり、世論の判断を信奉するようになった。最多数となった意見が時代の真理とみなされるようになって、人々にとって自分自身で考えてみるという行為は不要となった。
多数派による世論が一種の宗教となったのである。この世論に従うという人々のパターンは人間の思考力を狭い範囲に閉じ込めてしまった。
平等主義を実践する民主主義社会は。逆に知的精神的な自由を拘束している。
階級社会の漆黒から開放されたはずの人間の知性は多数派世論による拘束という新しい別の牢屋に閉じ込められるようになった。新しい形の奴隷制の時代を作ったと彼は言う。

次に3について
平等を望む人間の心理は屡々、社会の強者や優越者に対する嫉妬や怨恨となり、人々は自由な状態における不平等よりも隷属状態における平等を望むようになる。人間の欲求の中で最も強いのは自由に対する欲求ではない。平等こそが最も強い人間の欲求である。従って民主主義社会では優越した人、
もしくは自分と違った人に対する嫉妬や不快感が、政府の権力を使って人間社会に画一化を求める。人間の格差や差異を消滅したいという衝動になる。
従って人々は社会環境に均一化と人間の同一化を求めるようになる。これによって政府は国民からの平等化・均一化を受け入れて政府の規制権と介入権を
拡大していく。

これに関して伊藤氏が感じるのは、今のアメリカは「差別反対・偏見反対」とマスコミと民主党は、それ一色である。そして「お前は差別している、偏見を持っている」と連日、相手を攻撃することが起きている。ポリコレとかウオーク(意識が冷めているとか高いとか)
今のアメリカではマスコミにおいても教育機関においても政治活動においても行政機関においても言論の自由と表現の自由が非常に厳しく規制されている。
大学に入ると教授が生徒に「私はアナタをHeとかHimとか呼んで良いか? それともアナタはSheと呼ばれたいかHerと呼ばれたいか? 
それともTHeyとかThemと呼ばれたいか?」と聞く。
外見は男の子でも自分は女の子と思っているかもしれないのにHeと言うと、彼のアイデンティティを傷つけることになる。だから教授は男の子をみると
「君をHeと言って良いか」と、女の子に対しても「アナタをSheと呼んで良いですか?」と。

ひどい場合は、小学校1年の先生が1年生の生徒に、聞くのだ。「彼と呼んで欲しいか、彼女と呼んで欲しいか」と。
小学校の先生が「ハーイ ボーイズ & ガールズ」と言うのもダメなのだ。自分のことをボーイとかガールと思いたくない子供も居るから。ジェンダーフリーとかジェンダーはその日によって変わるとか…そういう人の前で「ボーイ」「ガール」と言ったら差別表現になると。
ポリコレやウオークネスからくる極端な言論の抑圧なのだ。言論の制限が実際に起きていて、嫉妬による差別感情というのは笑い事ではない。単数形でなく複数形で呼んでほしいという人も居て、英語の文法まで無茶苦茶になってきている。
平等主義から発生した抑圧主義は、アメリカでは言葉の基礎的なことまで制限されるような事態になっている。

次の4について
中間的支配者層が無くなると政府は例え自由主義・民主主義を守っているようなフリをする政府であっても、実際には全体主義的な行動が取れるということをトクヴィルは指摘している。
国王と庶民の間の権力保持者を伊藤氏は中間的支配者層と呼んでいる。トクヴィルは中間的支配者層の存在を非常に重視している。中間的支配者層があるからこそ、彼の考えによれば16世紀から18世紀までのヨーロッパ諸政府は政府による専制主義・画一主義・言論弾圧を阻止できたと。
トクヴィルより少し前のイギリスの思想家エドマンド・バークも同じことを言っている(伊藤氏)
トクヴィルによる中間的支配者層というのは、中小の領主、もしくは貴族階級・騎士階級(ナイト、シュバリエ)・紳士階級・聖職者階層(牧師、神父)。
彼らが国王と国民の間に居て、一種のクッションのようになっていた。この中間的支配者層こそ地域のコミュニティのリーダーシップを取っていた。
国王がいちいち地域のリーダーシップを取るわけ無いので、中間的支配者層が庶民のリーダーシップを取って庶民を指導していた。
トクヴィルによれば民主主義体制よりもこの中間的支配者層のあったアリストクラシィのほうが個人の独立を保障するのに向いていた。

アリストクラシィというのは日本語では貴族制度と翻訳されることが多い。伊藤氏は貴族と訳すのは違うと思うと。アリストというのはギリシャ語で「優れた」という意味、「卓越した」という意味。「貴族」=「特権的な贅沢している人たち」というのとは違う。
アリストクラシィにおいては国王は権力を独占することが出来ず、国家の統治権を分割せざるを得なかった。
国王が勝手なことをやろうとした場合、これらの有力者たちは結束して国王の専有な行動を阻止する能力を持っていた。中間的支配者層というのは国王に対する拒否権を持っていた。しかしトクヴィルによれば、フランス革命はこのような中間的支配者層を一掃してしまった。
中間的支配者層が無力化されたため民主主義社会では、政府の権力に対する抵抗できる個人が居なくなった。民主社会における個人は弱々しく孤立する存在であり中央政府に対抗できない。無力化された群衆は中央政府の組織化された権力に従うしか無い。従って民主主義は国民を中央政府によって均一化された矮小された市民の群れというふうに扱われるようになった。これは1840年のアメリカの民主主義の最終部に書かれていることで、
これを読んだ二十世紀後半の人々は皆、驚いた。

1840年の文章でトクヴィルは第二次大戦後の西ヨーロッパもしくは北欧の福祉社会を予言したいたのだ。百年後の社会をこうなるだろうと書いていた。
スウェーデンとかデンマークとかノルウェーみたいな福祉社会主義は、必ずしも人間の尊厳にとって望ましい生き方ではないと。トクヴィルは福祉主義も
あまり賛成ではなかった。何故かと言うと、福祉主義を進めるとトクヴィルは国民が政府に従属しすぎることを凄く嫌がっていた。
トクヴィルは皆が民主主義や自由主義をやっていると思っているときに、本当の自由や深い思慮は無いのではないかと疑問を抱いていしまうのだ。
トクヴィルはパスカルだ大好きだった。
二十世紀に人間が作った福祉社会を、彼は何と新しい専制主義とまで呼んでいる。彼に言わせると新しい専制主義において政府は均一的な大衆の矮小な
快楽に対することまで満足させてやろうと行動する。政府は親切で保護者的な、かつ几帳面な態度で人々の日常生活と欲望をコントロールしていこうとする。

新しい種類の専制主義の目的は国民を永遠的に向上的に幼児的な段階に留めて置くこと。国民が精神的に大人になれない状態に留めておくこと。

すべての国民にとって何が幸せなのかということを決定するのは政府である。政府のみが国民の幸せを定義する能力を持っている。政府は国民にとって
生き方や必要な関心事や娯楽まで予め決めてあげる。政府はまるで国民の一人ひとりが自分のことを自分で考える必要性まで除去してやろうとするようである。
その結果として国民は一人ひとり考えなくなり、人間の自由意志は非常に狭い範囲内でしか機能しなくなる。
国民が自立して自治する能力は衰退していく。自分のことは自分で考えて決めるというようなことが出来なくなった国民は自分のことを幸せな境遇に住んでいると
思うようになる。社会は細かい画一的な規則で縛られるようになり、この社会では独創的な思考の持ち主や強い精神力を備えた人は拘束的な環境から脱出できなく
なる。人間の意志力は抑制されて鈍化され枯渇化されていく。そして国民は単なる勤勉で臆病な家畜の集団となっていく(この言葉は非常に有名になった)

優しくて平和的な奴隷制の下の国民とトクヴィルは呼んでいる。

このようにコントロールされ拘束されている国民は、自分たちの監督者を選挙で選んでいるのは自分たちだと思って満足している。
人々は人間としての真の自由を失った状態の下で生きながら、自分は人間としての自由を維持していると思いこんでいる。

トクヴィルは1835年のアメリカの民主主義における選挙において、政治指導者の質は低下していくと。普通選挙を実行すると政治家の質が落ちて
いくと。
1835年に書いている。その議論がもの凄く説得力がある。トクヴィルは彼自身がブルジョワ封建主義王朝の国会議員だった。彼は民主的な選挙というものを体験している。
彼は選挙で国会議員になったのに、彼の目から見ると、民主的な選挙をやると政治指導者の質は落ちていくというふうにトクヴィルは判断している。

僕は1835年のトクヴィルの分析というのは2023年の現在も正しいと思う。

トクヴィルが指摘した3つのポイントは現在でも正しいと思う。
民主主義政治の仮説もしくは前提は報道の自由・言論の自由を実践すれば、それによって啓蒙された国民たちは、質の良い政治指導者を選出するだろう。
これが民主主義の仮説、もしくは前提。しかしトクヴィル自身はこれを信じていなかった。
トクヴィルによれば報道の自由と言論の自由に関して言えば、アメリカのジャーナリズムは教育レベルが低くて彼らの言論は粗野であり攻撃的である。
彼らには本当の信念や節操というものは無く、他人の弱所や欠点を暴きたてることに熱中している。しかし、そのようなジャーナリストが群れをなして
同じ主張を繰り返すと、世論はその方向に引きずられていってしまう。
個々のマスコミ人は矮小な存在に過ぎない。それにも拘らずこれら矮小なマスコミ人が集団となると、彼らはアメリカで最大の社会的影響力を行使している。

伊藤氏:トクヴィルは言論の自由・報道の自由が実践すれば人々が啓蒙されるとは思ってなかった。

次にトクヴィルが言っているのは
全ての人に投票券を与えれば、優秀な人が選出されると民主主義は主張してきた。しかし私はアメリカで逆の事態が発生していることを発見した。
本当に優秀なアメリカ人は選挙に出たがらない。彼らは政治に関わることを避けて経済活動に専念している。選挙に出馬したがるアメリカ人は
凡庸な人たちばかりである。しかも一般の投票者たちが、選挙で優秀な人達に票を投じるということもない。
民主主義社会の投票者は自分の失望や嫉妬や怒りといった感情に基づいて票を投じているのであり、自分よりも優越した人を選挙で支持しようとしているわけではない。
従って優秀なアメリカ人にとって政治家というキャリアは魅力のあるものではない。
政治家になれば自分の独立を失うし、人前で品の無い振る舞いをしなければならないこともある。従って彼らは政治家としてのキャリアを避ける。
普通選挙を実施すれば、優れた政治指導者が出てくるという考え方は完全な妄想であるとトクヴィルは言っている。

しかも国民の知的レベルの向上には明らかに限界がある。
公の政策を理解するには政策を勉強する時間が必要である。しかし大部分の国民は自分の生活を支える労働をすることで精一杯である。
彼らには公共の政策を勉強してみる時間的な余裕と経済的余裕など無い。そのような余裕のある生活をしている人々はごく少数である。
そして、そのような人たちは一般の庶民ではない。従って大部分の国民は本当の政策理解力を持てないまま表面的な印象に左右されて投票している。
そして口の上手い詐欺師的な政治屋たちは、そのような国民を操るテクニックを身につけている。そのため質の低い人物が選挙で大量当選するのである。

トクヴィルは1835年にこれを書いたが、今でも正しい。どこの国でもそうだと思う。(伊藤氏)

最後になるが(5番目?)民主主義と平等主義はマテリアリズムを強化して学問と芸術まで低劣化させていくと。
 民主主義体制下の人々は目先の利益に執着する。
 彼らは自分の境遇に不満を抱いており、どうしたら私はもっと良い生活が出来るだろうかということばかり考えている。
 富と快楽の増大が彼らにとって、この世で最も素晴らしいことのように思える。
 自由主義と民主主義は多数の自己利益の増大主義者を生み出す。
 知的精神的に高尚な価値判断を保つことを説く者たちは、これら自己利益のチャンピオンに踏み潰されてしまう。
 民主主義において社会の進歩はマテリアリスト的な基準によってのみ図られるようになる。テリアリスト=物質主義もしくは経済利益優先主義・
 拝金主義。
 従って公徳や公正というコンセプトは空洞化していく。経済的な繁栄の追求は、徳のある生き方とは無関係なものになる。
 そして人々は競争に勝つ、もしくは成功するということが生きる目的となる。
 このような生き方によって人間は獣化していく。

 
とトクヴィルは言っている。しかももっと凄いのはマテリアリズムは精神の病であると。マテリアリズムという病気は人間に内在している利己心という
欠陥と素晴らしい共存共栄関係にある。民主主義は物質的肉体的な快楽主義を増強させて文明を劣化させていく。民主主義体制では文学も劣化していく。
作家は大量に売って金儲けすることを目指すようになり大衆受けする文章を書きまくる。アリストクラシィ社会の文学は少数の読者を喜ばせるために
洗練されたスタイルで高貴な理想を描いた。当時の文学は金儲けとは無縁の行為であった。
しかし現在の民主主義社会の文学は単なる商売に過ぎない。しかも民主主義主義社会は言語そのものを変えてしまった。
民主主義社会の圧倒的な多数派は学問や哲学には興味がない。圧倒的な多数派は商売と政治に関心を抱いている、したがって言語はこの多数派の好みを
満足させる方向に変化していって、形而上学や神学・哲学は廃れていく。
言語は決められたスタイルを失い、洗練と下品が無秩序に混在するようになる。そして言語も社会も泥沼状態になっていく。
これがトクヴィルのマテリアリズムが文明を破壊していくという理論。
蛇足になるが、19世紀はフランスでもギリシャとかラテンの古典を読むのが流行らなくなったのだが、トクヴィルは19世紀になっても
ギリシャとラテンの古典を学習することが、民主主義に内在している数々の欠陥に対抗するために最も効果的な方法であると言っている。

古典をじっくりと学ぶことが金銭欲に塗れた社会に非常に、洗練されており、非常に危険な市民を生み出すからである。トクヴィルは金銭欲に塗れた社会に、
非常に洗練された危険な市民が必要であると言っている。民主主義の欠陥を正すためには、洗練された危険人物が必要だと。

僕(伊藤氏)はこれを読んでトクヴィルは自分のことを言っているのではないかと。トクヴィルは教養があり本当のことを書く。アメリカのマスコミがゴロツキとか。
19世紀の前半において、これを言うのは危険であった。彼は自分がどういう人間か自覚していたと思う。

これが最後
トクヴィルはこういう啓蒙思想(自由主義・平等主義・民主主義)を実践すれば国民は向上し文明の質も良くなっていくだろう政治も良くなっていくだろうと
いうことに、800ページの本に色んな欠点を明瞭に説明してみせて、そんなの無理に決まっていると証明してみせた。

最後に彼がどういうふうに書いたか。
民主主義の低劣化と堕落、そして最終的には崩壊していくわけだが、民主主義が悪くなっていくのを食い止めるには、トクヴィルさんは宗教心を復活させなければダメだと言っている。
トクヴィルとキリスト教との関係は非常に複雑で、彼は16歳から17歳まで熱心なキリスト教者だった。だが16歳から17歳のときに哲学書を沢山読んで、
キリスト教の教義にはフィクションに過ぎないものが多いと悟った。少年時代に一時的にキリスト教の信仰を失った。
一生涯、彼はキリスト教の教義に対して疑問を持っていた。だからキリスト教の教義を全て肯定する立場には戻らなかったのだが、しかし、
14世紀から18世紀までのヨーロッパ文明の基盤となったのは、やはりキリスト教的な人間観とキリスト教的な世界観である。
キリスト教の教義に疑いを抱くようになったトクヴィルではあるが、キリスト教的な人間観と世界観は、捨ててはいけない、捨てたら大変なことになると、
これを捨てたら増々人間は悪くなると彼は悟ったのだ。

トクヴィルは、キリスト教の教義に失望した後も、キリスト教的な人生観や世界観は捨ててはいけないと言い続けた人。
彼によれば神、もしくは究極の真・善・美という概念を持たない限り、人間は価値判断の基準を持てない。なぜならば人間というのは目先の利益とか虚栄心とか
プライドや金銭欲・権力欲を満たすために生きているのだから、そのために人と争うことしか出来ない。
目先の競争に勝つことが人間の価値判断になるかというと、ならない。人に勝ちたいとか羨ましがられたいとかいうのは、永劫的な基準を持つ価値判断にはならない。
だからトクヴィルは、神もしくは究極の真・善・美というようなコンセプト維持しない限り、人間は価値判断の基盤となるものを持てないということを指摘した。

彼が言うには神に関するアイデアが明確でないのなら、人間が生きる意味と目的そして義務の観念も曖昧になってしまう。
その結果、人間は懐疑心に取り憑かれて動揺し、無責任になったり臆病になったり無思考状態になったりする。
神の概念(人間の理解を超えた非常に崇高なもの)こそ人間にとって最も重要なことである。
しかしながらこの概念は、人間にとって最も困難な概念であり、人間の理性を使っても答えが出てこない問題であると。

理性で神の存在を証明できないが、存在しないことも証明できない。人間の目先の打算もしくは勝ち負けを超えた超越的な価値が存在するかしないかも、
人間の理性を使っては肯定も出来ないし、否定も出来ない。
だから彼は、これが人間にとって最も重要であるが困難でもあり、しかも理性を使ってもイエスかノーか答えが出てこないものであると。

当然のことながら科学的な実証主義を使っても答えは出てこないのだ。例えばパスカルは有名な物理学者で数学者であり神の存在を信じていたし、最近になるとホワイトエッドという有名な数学者がいるが彼も神の存在を信じていたし、アインシュタインも神の存在を肯定していた。
有名な数学者・物理学者も神のコンセプトを支持している人もいる。自然科学や実証主義を使っても答えは出てこない。

トクヴィルによるとこの答えの出てこない問題(神は存在するか否か)、人間の行動は神の基準から見ると別のものに見えるというような思考が可能であるか不可能であるか、それは理性によっては答えが出ない問題であると。
つまり頭脳(ブレイン)を使って判断するか、それとも魂(スピリットもしくはソウル)によって直感するしかないと(インテューション)。
インテューションを肯定するか否定するかによって立場が違ってくる。しかしスピノザとかパスカルとかアインシュタインなどの科学者は肯定していた。
だから頭のいい人は宗教を信じないが、頭の悪いやつは宗教を信じてるということは言えないのだ。

最終的には民主主義・自由主義・平等主義の欠陥を本当に是正しようとするならば、トクヴィルは神の存在というものをもう一回考え直して信じる必要があると。
そして彼は魂の存在というものも信じるべきであると言っている。

彼は宗教心を失った近代人がマテリアリズムや快楽主義の罠にハマって行くならば、自由主義・民主主義・平等主義を実行しても社会はいずれ道徳的な
麻痺状態に陥っていくであろう。宗教を失った民主主義は価値判断力を失って不安定で無秩序になる。従って社会に古くからある宗教を慌てて捨てない方が良い。
宗教を慌てて捨てて新思想を注入してもロクな結果にはならない。人々は心の空洞を埋めるために快楽主義に飛びつくであろうと彼は言っている。
最終的には神学論争的になるが、宗教心とというものを持つことが民主主義・進歩主義・自由主義・平等主義による人間の腐敗や堕落や文明の劣化や低劣化に
対抗するためには、そういう考えを持たなければいけないと。

またアメリカのことになるが、アメリカは少なくとも1950年代まではキリスト教的な価値判断が正しいというのが一般的な世論であった。
ところが1960年代から既に60年間、キリスト教的な価値判断は笑いものになってきた。特に大学の教授やマスコミ人とかはキリスト教的な価値判断を嘲笑して、
ポリコレとかフェミニズムとかジェンダーイコーリティとか、ウオークネスとか…新しい思想を持ち込んだ。
そして喧嘩ばかりしている。今のアメリカは、政治的な問題や社会的な問題に関してマトモな討論が成り立たない。共通の価値判断を失った国民というのは
お互いに罵るだけでマトモな議論にならないのだ。
トクヴィルが言ったように、慌てて古くからある宗教を捨てて新思想を注入するとロクでもないことになると。これはホントの本当でしょう。

僕は今のアメリカの価値判断の錯乱状態はキャンセルカルチャー(お前に発言の自由はない。お前の話なんか聞きたくない)になっているから、
これで民主主義が成り立つか? 成り立たない。アメリカはここまで来ている。
アメリカのこういう状態を見るたびに、トクヴィル先生は正しかったと、180年前にアメリカがこうなるとあの人は判っていたのだと思う。


                             ・・・ここまで・・・書き間違いがあるかもしれず視聴なさってください
                                                     前半部分は5月29日にアップしています


難しかったけれど視聴できて良かったです。読み返す事ができるようにとボケ防止も兼ねて聞き書きしてみました。最後まで読んでくださってありがとうございます。
それにしてもアメリカの酷い状態に驚くばかりです。文法が可怪しくなってしまうのにHeをTheyで言うとか驚きました。ここまで無茶苦茶になっていたなんて。
日本に押し付けてくることも、日本以外の国に押し付けることも、表向きは綺麗事に言っていますが、実はアメリカの利益だけ優先していると思います。
私が心配なのは日本のことだけ。アメリカのようにキャンセルカルチャーの蔓延する国に落ちぶれてほしく有りません。

                                 *****

                                  ノゴマ 残っていた在庫から
                        



                  



                  



                  



                  



                        



                  



                  

                           今頃は お山に行って 彼女を見つけたかな?
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バラ園から (中之島)

2023-05-30 08:04:18 | 皇室のこと
                             
                   


https://news.yahoo.co.jp/articles/8a77ee3c2927d8fa85eed37f66e54141de732f8a
千鳥ケ淵で戦没者拝礼式 佳子さまが初参列 5/29(月)
第2次世界大戦中に海外などで亡くなり、身元が分からない戦没者を慰霊する厚生労働省主催の拝礼式が29日、東京都千代田区の千鳥ケ淵戦没者墓苑で営まれ、秋篠宮ご夫妻の次女佳子さまが初めて参列された。
式典では、硫黄島(東京都小笠原村)やロシアで収容された遺骨235柱が新たに墓苑に納骨され、納められた遺骨は計37万485柱となった。

 式典には計約240人が参列。加藤勝信厚生労働相が納骨し、佳子さまは納骨堂に向かって深く一礼した。続いて岸田文雄首相や遺族代表らが献花した。

                                            ・・・ここまで・・・

以前は眞子さまでしたが、今年は佳子さまが参列なさいました。しっかりと公務をなさっているので、安心して拝見させていただいています。


                              一番 気に入ったバラ   いおり  2011  日本 
                   



                   



                   



https://news.yahoo.co.jp/articles/f2c49ad527f28b8dc9091a533c4af163e1a4f73c

愛子さま、ときどきめがねをかけ…天皇陛下と“お二人では初”の雅楽鑑賞「楽しく聴かせて頂きました」 宮内庁楽部 5/28(日) 18:02
                                         ・・・ここまで・・・

お二人で鑑賞するのは初めてなのだとか。動画を視聴すると愛子さまはマスク越しにお喋りなさっているようでした。雅楽は静かに鑑賞するものと思っていたので意外でした。
午後2時半ごろから鑑賞なさったようで、雅子さまのお出ましが無かったのは残念です。三人なら、もっとお喋りが弾んだことでしょう。
愛子さまが佳子さまのようにお一人で公務を任せられるときは何時来るのでしょうか。お父様とご一緒ばかりです。


                   


上皇ご夫妻とあわやニアミス! 紀子さま「隠密行動」の京都路でなぜか「見られなかったもの」  NEWSポストセブン によるストーリー

                   

記事から抜粋します。

> 4年ぶりの地方訪問となった、上皇さまと美智子さまの京都奈良へのご旅行。お二人をお出迎えしようと駆けつけた700人もの人々の前を、紀子さまを乗せた車が静かに通り過ぎた。
 「スモークガラス越しの紀子さまは、うつむきがちでした。小さく会釈をしていらっしゃいましたが、窓も開けることもなく、人目を避けられるような雰囲気でした」(居合わせた人)
 紀子さまは、上皇ご夫妻がお姿を見せられる予定の京都駅の「八条口」ではなく、新幹線ホームにすぐに行くことのできる、「八条東口」からひっそりと京都駅に入られ、帰京された――。
 紀子さまの京都入りは、上皇ご夫妻の京都到着の前日の5月13日。大聖寺文化・護友会総会に出席されるのが目的だった。

                                
                               ・・・ここまで・・・
                
上皇ご夫妻が葵祭を見たくて京都に行かれ、大聖寺にも行かれました。大聖寺には昭憲皇太后(明治天皇の皇后)のロングドレス「大礼服」が修復されて大切に保存されています。
上皇ご夫妻が大聖寺に行かれたその前日に、秋篠宮皇嗣妃の紀子妃殿下も大聖寺に行かれていました。2015年4月に大聖寺文化・護友会の総裁に就任されていたからです。お言葉も述べられています。公務として訪問されたのです。
記事によると、紀子さまは大礼服の説明は受けられたもののご覧にはなってないのです。上皇ご夫妻より先に見てはいけないと遠慮なさったようです。

記事には以下の記述もあります。
>「葉山や軽井沢など、美智子さまのご静養先に、紀子さまは何度も合流されたことがあります。それゆえ、京都でお会いするのではないかという話もありました。ただ今回は、4年ぶりとあって、上皇ご夫妻の旅程に相当な注目が集まっていた。紀子さまがお二人とわざわざ京都でお会いすることで、さまざまな憶測を呼んでしまう可能性もありました。
万が一にも、お二人の地方訪問に水を差すような事態を招いてはなりませんから、紀子さまは隠密に行動されたのでしょう」(前出・宮内庁関係者)
                                ・・・ここまで・・・

紀子妃は公務で行かれているのに、上皇ご夫妻が行かれたために遠慮なさってしまうという、これは酷いと思いました。上皇夫妻は公務もできないということで引退なさったはずです。
いわば葵祭を見たいというお遊びの方がマスコミも集め警護もしっかりと派手に京都に行き、大切な大聖寺護友会に公務として行かれた方が遠慮しなくていけないというのは間違っていると思います。
現役と引退は一線が必要なのでは。でないと二重権威です。天皇が一番上で次に皇嗣(皇太弟)のはずでしょう(私は皇室にも詳しくないけど、上皇夫妻が上にくるのは間違いだと思います)
仙洞御所に住むのは、そういうことでしょう? 紀子妃がお気の毒だと思います。美智子さまは「見たいから見た」のおつもりかもしれないけれど、それなら引退なさらず摂政をお使いになれば良かったのに。マスコミや警護が手厚くても現役なら当然のことですし批判されることは無いでしょう。


https://news.yahoo.co.jp/articles/b3e019fda288a771b6e7c4f30a2fead33e0dde31
上皇ご夫妻が「ブルターニュ展」を鑑賞 上野・国立西洋美術館 5/29(月) 12:27 だそうです。やはり、しっかり警護の白バイも付いていました。


                   

                            鮮やかなバラらしい色も良いけど、今回はこの色と形に魅せられました。
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伊藤貫氏の真剣な雑談 14回前半を聴く

2023-05-29 05:59:17 | お話しを聴く
                              色見本のような紫陽花の色
                 



                        



                 


https://www.youtube.com/watch?v=n0kzUJHfI5c
【伊藤貫の真剣な雑談】第14回「アメリカ民主政治の堕落と混乱を予告したトクヴィル!!!-前編」[桜R5/5/27]

・・・聞き書きします・・・

アレクシ・ド・トクヴィル(1805年7月29日-1859年4月16日)フランスの政治思想家・法律家・政治家
この人の啓蒙思想批判という題で講義させていただく。

啓蒙思想は18世紀の後半に出てきた思想で、大雑把に言うと「国民主権・民主主義・自由主義・平等主義」これが理性的な国家の状態であると。
階級社会とかコウコウセイ(? 聞き取れません:婆注)とかキリスト教の世界観も迷信に満ちていると。
我々は理性を崇拝する進歩的な人間であるから、平等主義・民主主義・自由主義というイデオロギーを社会で実施すれば良いと。
トクヴィルは1805年、ナポレオンが皇帝だったときに生まれ、1827年22歳のときにナポレオンが失脚した後、ブルボン王朝が復活してブルボン復興王朝の司法庁の官僚となった。

1830年に7月革命と呼ばれるブルジョワを中心とする革命が起きて、ブルボン朝が倒れ、ブルボン朝の親戚にあたるオルレアン王朝が出来た。
これは貴族・王様の出身なのだがイギリスのマネをしている。立憲君主制というのでイギリスの憲法を少し真似したやり方で、世間ではブルジョワ王朝と、
要するにブルジョワ階級の利益を重んじる政府となった。

トクヴィルはブルボン復興王朝のときもオルレアン朝(7月王朝)のときも司法官僚として働いて、34歳のとき(1839年)に国会議員となった。
国会議員となって9年間働いていた1848年に2月革命が起きた。国王制を完全に否定して共和制になった。第二共和制と呼ばれる。

トクヴィルは第二共和政で外務大臣に任命されたが、2~3年経つとナポレオン三世(皇帝ナポレオンの甥)が第二共和制で大統領に当選したのだが、
共和制では満足しなくて、自分も皇帝になりたいと、クーデターを起こしてフランスをまた皇帝制度にした。
トクヴィルは共和主義を受け入れた人で、ナポレオンがクーデターをやって皇帝になったのは許せないとナポレオンと衝突してフランス政界から引退したという人。
トクヴィルの政治活動・政治行動というのは、穏健な保守派と呼べるし穏健なリベラル派とも呼べる、要するに中道路線を歩んだ。
彼の歴史的な重要性というのは彼が国会議員や外務大臣になったことではなくて、彼の啓蒙思想に対する支持と、それと物凄く鋭い批判、
この2つが同一人物に同居しているのだ。
彼の本を読むと、もの凄く頭が良い。この時代でも国会議員の質が悪かったので、トクヴィルのように頭の良い人が国会議員をやるのは可怪しいと皆思ったそう。

トクヴィルの一番有名な本が「デモクラシー・イン・アメリカ」この本は2冊からなり、1835年と1840年にそれぞれ出版されている。(伊藤氏から見ると1840年の本が凄い)
トクヴィルは民主主義・自由主義・平等主義というのをパブリックな場で支持していた人なのだが、ところが彼の800ページの本を読むと、もの凄い批判を書いている。
18世紀後半の啓蒙主義と19世紀初頭のいわゆる進歩主義を受け入れる政治的立場に居ながら、それと同時に民主主義・自由主義・平等主義(啓蒙思想)を
やっていて国家は本当に良くなるのか、国民の質が良くなるのかと、国民はより良い生き方をしているのか、という点で疑問を持っていた。
疑問の持ち方が所謂政治家がやるようなレベルの低いやり方ではなくて(要するに口と腹が違う的な)、政治思想と哲学(人間のより良い生き方とは何か)の点から彼は啓蒙主義に対して批判的だった。

何故、今日、トクヴィルの話をするか。僕は現在のアメリカの民主主義というのは徐々に崩壊状態に来ていると思う。
来年の選挙で誰が勝つか分からないが、誰が大統領になってもロクなことにはならない。
そして既にアメリカ人の7割以上がアメリカの大手マスコミの報道を信用していない。
国民の4割は、この前の選挙でバイデンが勝ってトランプが負けたのはイカサマであると、きちんとした票の計算はされていないと思っている。
ということは政府のレジティマシィー(正当性)に選ばれた政府であるか、それとも裏でFBIとCIAと司法省と国務省がイカサマをやって、そして選挙違反をキチンと捜査しようとしなかったから、バイデンがイカサマで大統領になった国かと。
そしてもう一つは、民主主義にとって一番大切なのは報道がキチンと、要するに国民が信頼できる言論の自由、報道の自由というもの存在しなければいけないのだが、今のアメリカは7割がアメリカの大手マスコミを信用してない。
選挙の結果を疑っているのが4割、大手マスコミの報道を疑っているのが7割以上という国で、果たして民主主義が維持できるのだろうかというと、
僕はどんどん悪くなっていると思う。

日本も自民党が現在の国防政策に関しても経済政策にしても少なくとも過去30年間失敗してきたにも拘らず、野党にロクな野党が居ない、自民党が失敗していると判っていても野党に票を入れるわけにはいかない。これは民主主義がきちんと動いてないことなのだ。

世界中の国で民主主義が上手く動いてないような印象を多くの人が持ち出した。
トクヴィルの本を読むと、国民が民主主義・自由主義・平等主義の体制を長く続けると信用しなくなるのかという一種のパラドクスをトクヴィルは分析してくれている。
だから彼の民主主義・自由主義・平等主義に対する懐疑は殆ど哲学的とも言える思考に基づいたものであって、普通の政治屋さんが口ではこう言うが腹では
別のことを考えているというレベルの低い話では無い。

彼が最初のアメリカの民主主義の本を書いたときは30歳だが、とても30歳の若造が書くような本ではない。あっさり言えば彼は天才。

トクヴィルが民主主義・自由主義・平等主義を批判したポイントを10個紹介する(彼の著作からかなり多くを引用させていただく)
先ず、彼の言いたいことを5つ要約。
1 民主主義体制を長期間続けていると国民が深く考える能力を失う。
2 国民が個人主義的になって公の問題に対して無気力で無関心になる。
3 国民が徐々に自分のことにしか関心を持たない利己的な拝金主義者になる。
4 人間としての本当の自由を失ってしまう。要するに見せかけの自由はある。職業選択の自由とか言論の自由とか表面的には政府に反対する自由とかは
   残っているのだが、生きていく上での本当の自由を実践しているのかというと、そうでは無くなってきている。
   だから自由主義体制・民主主義体制を実行しながら、国民は人間としての深い自由を失っていく。
5 人間の価値判断が軽劣化していって、学問も芸術も文明の質も低下していく。文明が停滞状態もしくは混迷状態になる。

(伊藤氏)我々はプラトンとアリストテレスを思い出す。民主主義をずっとやっていると特にプラトンは「国民は価値判断能力を失って、もう一度独裁者が出てくる。もしくは専制政治になる」と言っていた。
プラトンは24世紀前にこれを言ったが、トクヴィルも1840年に「民主主義を続けるとヘンテコリンな独裁者が出てくる」と言っている。

今の日本・アメリカがこの混迷した状態、何故何をやっても上手く行かない状態になるのか。それから重要なのは本当に優秀な政治指導者というのは出てこない、民主主義をやっていると。
民主主義をやると民意を反映した政治家が出てくるだろうと。民意を反映した政治家というのは殆どの国で表面的な、新しい政策をやっているフリの政治屋さんで、実際に歴史を変えたり、文明の混乱もしくは低迷状態を改善するような能力は持ってない。
民主主義をやっているとロクな政治家は出てこないとトクヴィルは180年前に予言している。

日本の将来にもアメリカの民主政治にも期待は持てないだろうと。
僕の考えは、両方とも悪くなっていくだろうというふうに思っている。

10個のことを説明するが、先ず民主主義・自由主義・平等主義を長く続けていると国民が深く考える能力を失う。
トクヴィルの観察によれば18世紀の階級制度が残っていたヨーロッパの方が、19世紀の民主主義を実行し始めたヨーロッパよりも国民は思考能力があったと、トクヴィルはそのように考えている。

一番目
彼に言わせると、民主主義社会では全ての国民が平等な思考力と平等な価値判断能力を持つとみなされている。従って民主主義社会では全ての人が
全てのことに自分の判断を下す能力が有るという建前になっている。そして国民は誰もが自分の判断に自信を持つようになる。
従って彼らは自分よりも優れた思考力を持つ人の意見に耳を傾ける必要を感じなくなる。それと同時に社会の伝統的な価値規範を尊重する姿勢も失っていく。
民主主義・自由主義社会ぐらい、深く物を考えるという態度に向いていない体制は無い。
民主主義社会においては殆どの人が金や社会的地位や名声や権力を追いかけて、毎日あくせくと動き回っている。
階級制度の存在していた18世紀の社会において人々は実はのんびりしていた。しかし19世紀の民主主義・自由主義の社会では機会平等であるから誰でも
自分の地位と経済的条件を向上させようと競争し始める。
従って国民は18世紀と違って19世紀の国民というのは、自分の目先の損得と目先の勝ち負けに熱中する。じっくりと自分の人生を考えてみるという
沈着冷静な態度は不必要なものとなっていく。
民主主義における人間は激流に押し流されるアブクのような存在になる。
民主主義社会ではじっくりものを考えるという態度は軽視されるようになり、社会で活動的、活発な生き方をする人が尊敬される。深い思考力は必要とされなくなる。
民主主義社会で必要なのは世間の潮流を素早く察知して群衆の心理を素早く見抜いて、自分が成功するチャンスを増大させていくことである。
表面的では有るが尤もらしく見えるアイデアが持て囃されて、深い分析能力や洞察能力は過小評価されていくようになる。
国民は自分の利益と快楽に役の立つ新しい方法やテクニックを望むが、自分の得にもならない抽象的な知的な活動には見向きもしなくなる。

二番目にトクヴィルが説明するもの
個人主義という言葉がある。個人を尊重して私はこうだからと私のやりたいことをやる、という生き方。
トクヴィルによるとギリシャ・ローマ時代から18世紀までは、そもそも個人主義という言葉が存在しなかったそうだ。
だから言い方がないから個人主義な生き方は存在しなかった。
革命以降のヨーロッパにおいて民主主義・自由主義・平等主義が広まってはじめて個人主義という生き方が広まってきた。
トクヴィルは個人主義という生き方に対して批判的である。
なぜならば彼が言うに民主主義の時代になると人々は優れた見識の人から学ぼうとするよりも、自分自身の好き嫌いの感情と生まれつきの性格(気質)の
中に自分の心情を見出そうとする。彼らは個人主義者となり自分の気に入った人とだけ交流し、社会の動きに関心を持たなくなる。
このような個人主義は人々の公徳心枯渇させていく。
個人主義とは民主主義から生まれた生き方であり、平等主義によってより強化されている。トクヴィルによるとフランス革命前の階級社会において
人々は自分の先祖を明確に覚えており、しかも尊敬していた。そして彼らは自分の孫の世代のことを考えながら自分の人生を生きていた。
人々は先祖に対する義務と子孫に対する義務の双方を常に念頭に置きながら生活し、先祖と子孫のために自分の利益を犠牲にすることを厭わなかった。
しかし、民主主義社会になってから人々は先祖のことなどあっさり忘れてしまった。そして子孫の世代のことも気にしなくなった。
そして彼らは隣人に対しても無関心になった。

トクヴィルによれば階級社会があったときは、国王から農民まで全ての人が人間関係のネットワークに組み込まれていた。しかし民主主義社会はこのような
ネットワークを解体してきた。人々はバラバラになって孤立し、お互いに関する義務感と期待感と責任感を持たなくなった。
民主主義社会で国民は人生で頼りになるのは自分だけだという孤立感を抱くようになり、緊密な人間関係を築くことが難しくなってきた。

人間の心を大きくし、しかも思考力を深めていくには、人間同士が相互に影響し合うことが大切である。
しかし民主主義社会においては人間関係が希薄になっていくから、お互いに心を大きくするとか思考力を深める機会も減っていく。

機会平等主義と能力主義を重んじる民主社会は人間を自分の成功・自分の幸福にしか興味を持てない孤独な競争者に変えていくのである。
これが普遍的であるならば人々の思考力は狭くなっていくだろう(トクヴィル)
人々は無気力・無関心な態度で時代の流れに押し流されるだけとなり、奮起して社会の流れを変えようとして努力する人など居なくなる。
それによって多くの人たちは孤独で矮小で不毛な人生を生きていくことになるだろう。このように彼は述べている。

1つ目、人は深く考える能力を失うだろう。
2つ目、個人主義者になって公共のことに関して無気力・無関心になる。
3つ目、民主主義社会・自由主義社会では国民の多くが自分のことにしか関心を持てない利己的な拝金主義者になる。
    18世紀までは良くも悪しくも考えのバックボーンとなっていたのがキリスト教的な人生観・世界観であった。啓蒙思想というのは宗教というのは
    迷信に過ぎないということで、キリスト教的な人生観や世界観を捨てた。
    神を捨て「今だけ 金だけ 自分だけ」と。

トクヴィルに言わせると、過大な自己評価とプライドを持つ嫉妬深い存在となる
  
僕に言わせると日本の場合、過大な自己評価とプライドを持つ嫉妬深い存在になっているとは思わないが、アメリカはそうだ。
アメリカ人は皆さん、もの凄いセルフエスティーム・自己評価とプライドが高くて、自己実現と自己充足がアメリカ人の宗教のようになっている。
そして自己主張をするために生きていくのだと。
ニューヨークやワシントンに住んでいるアメリカ人は自由なように見えるが、皆さん凄く嫉妬深いので、あくせくしていて生きづらそうに僕には見える。

自分の判断だけに頼る自己充足主義者は他者との関係は自分にとって損得だけが基準となる。
トクヴィルが面白いことを言っている。
このようなアメリカ社会では道徳や隣人愛という言葉の意味まで変わってしまった。
彼の観察によればアメリカ人の道徳というのは、自己利益を増大させるために利他主義を主張するのがアメリカ人の道徳である。つまり人のため社会のため
理想のため人道主義のためという理想主義・利他主義を大声で主張して自分を飾り付けて自己利益を増長していくのが、アメリカ人のセルフインタレストのドクトリンであるとトクヴィルは言っている。

このように利他主義を説いて自己利益を増強していくのが道徳であるとアメリカ人は考えており、しかもアメリカの牧師たちもキリスト教道徳を身につければ、この世で得をするというふうにお説教をする。
神の目から見て正しいかどうか判断する道徳のはずだが、アメリカの牧師さんたちは人からキリスト教道徳を実行していると人から思われれば現世で得をすると。
キリスト教はこの世で辛くても我慢をして徳のある生き方をすれば、来世では神はそのことを認めてくださり天国に行けるというのだが、
アメリカのクリスチャンは、人からグッドクリスチャンと思われるようになれば評判が上がって得をするから、キリスト教の道徳を実行しているフリをしたほうが良いと。
トクヴィルが言うには、アメリカ人が誇示したがる宗教心もしくは宗教的な情熱の底には、自己利益増大のための冷たい計算が潜んでいる。

アメリカでは既に裕福な環境にある人たちでさえ、もっともっとお金を欲しがる。
ヨーロッパの上層階層では一旦自分たちが裕福になると金儲けを軽蔑する態度を取るが、アメリカの金持ち階級は何時まで経っても金儲けに執着する。
だから民主主義社会に済む人の大部分はトクヴィルによればまるで商売人のように打算的である。
彼らは高邁な理想を冷笑し目先の利益を掴むことに意欲を集中する。
人々はちっぽけな利益や優位性を求めて相互に競争し、小規模な財産や地位を獲得した人は自分の成功を他人に見せびらかすことによって人生の満足感を
達成する。伝統的な社会に存在していた徳の高い人を尊敬するという心構えは民主主義社会から消滅していくとトクヴィルはこのように言っている。

次に啓蒙的プロジェクト、自由主義・民主主義・平等主義を続けると国民は真の自由を失ってしまう。これは先程も言ったが本当の自由とは何かと。
   

                           ・・・ここまで・・・書き間違いがあるかもしれず、詳しくは動画を視聴なさってね


耳が痛いこともありました。アメリカがヨーロッパから好かれてない理由も垣間見えるように思いました。アメリカはご親切に我が国に民主主義を教えてやったと思っているかもしれませんが、教えたのは個人主義だったのかも。日本人をバラバラにすれば勝てると思ったのかも。
実は日本はその昔、アメリカやヨーロッパよりも進んでいたのかもしれないとこの頃思います。それは江戸時代に完成していました。
キリスト教のいう平等や自由や博愛とは違う平等で差別のない社会であり、もっと自由で精神的な気高さも持っていたかもしれません(良く思い過ぎかな)
それが明治維新で壊され、WGIPで完全に潰されたと思います。でも、潰されたままで再構築しようとしなかった日本人もイマイチなのでしょう。
民主主義というのは民(つまり国民の私達)が愚かであれば、次第に愚かな国家になるということだったのか~と理解しました。

先日、たまたま江戸時代の士農工商について語っている動画を視聴しました。
士農工商は身分制度と言われていますが、ガチガチのインドのようなカースト制度ではありません。武士と武士以外の人と言ったほうが良いそうです。
トクヴィルさんのお話を聴きながら、江戸時代のことを思っていました。今の日本人よりずっと大らかに暮らしていました。それが今では目先の利益に右往左往するようになってしまいました。
ご先祖様や子孫のことにまで深く考えないようになっていると自分を振り返っても思います。また政治も皇室(特に一番上の方)さえも、そのように思います。
伊藤貫氏のお話は講義のようで面白いです。トクヴィルさんのことも知りませんでした。今のアメリカを見抜いていた人がいたのです。続きを楽しみに待つことにします。


                        



                 



                 



                 

          
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布引の滝

2023-05-28 05:56:56 | 旅行
                                    布引の滝(三宮)
                              
                                       雄滝
                         




                                  雄滝が注いだ池から流れ落ちる夫婦滝
                         



                                       夫婦滝をアップ
                         





                                   鼓滝  山道から写しました
                         
                                         数段の滝です




                                        雌滝 (雌滝は遠くて)
                         




                                        雌滝が注いた池から流れる水
                         




                    川下から 雌滝 鼓滝 夫婦滝 雄滝を総称して布引の滝ですが 上流に もう一本の滝 五本松隠れ滝があります  
                    
                        五本松隠れ滝 ここから 更に山道を歩くとダムに出ますが、ここで力尽きました(笑) 
                        でも、地元の幼稚園児たちが先生とお散歩でしょうか、ダムの方から降りてきたのはビックリでした。                              

                        何時もと違う場所、今回は三宮(JRは三ノ宮と表記)
                        三ノ宮から歩いても行ける新神戸(新幹線)の駅まで、山道を歩くことを考慮して地下鉄に乗りました。
                        ハーブ園にも行きたかったので、行きは登山、帰りはロープウェイと考えていましたが
                        着いたら逆の行きをロープウェイにしました。正解でした。
                        市街地から直ぐ入ることができる山道は急勾配で、徒歩で登っていたら途中で諦めていたことでしょう。
                        若い人は大丈夫でしょうが、私には無理。
                        ロープウェイで一気に山頂のハーブ園に到着、そこから写真を撮りつつユックリと下山し滝を探しました。
                        下りの道も悪戦苦闘。爪先が靴にめり込みそうなのを感じつつ降りていきました。
                        ハーブ園を出てからは車も通れる道です(日中は車は通らないようですが注意しました)
                        やがて次第に細い山道に入ります。
                        滝の音、水の流れ、木漏れ日、涼しい空気…心地よい足の疲れを感じつつ、癒やされた時間に満足です。
                        残りの画像はボチボチアップしたいです。異人館まで行ってしまいました。歩きまわって21000歩!
                        鳥撮りとあまり変わらない歩数でした。
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バラ園から (中之島)

2023-05-27 05:50:39 | 皇室のこと
                            ロイヤル ボニカ   1992 フランス
                 



                            ブルー バユー     1993 ドイツ
                 




                 



                             アパッチ ティアーズ  1972 アメリカ
                 




                              プロミネント     1971 ドイツ
                 




                 




                               名前は不明
                 



24日、天皇ご夫妻は戦没船員らの追悼式に出席のため横須賀に行かれたのですが、横須賀美術館のアクアマーレというイタリアン・レストランに寄られたそうです。コメントにて教えて頂いたので検索してみました。
ドタ出してでも行きたかったのはイタリアン!だったのか~と思いました。イタリアンが本命で追悼式は付け足しか、或いは逆なのか? 2回も行かれたのはトイレ休憩もありかも。
私はドタ出でも出ないよりはマシと思っていました。警備の方は困るでしょうが、ドタ出も重なると慣れるだろうと思ったからです。天皇がお許しなのだし。
やはり、今回もそうだったのだなと納得してしまいました。皇太子妃時代に外国で食欲妃と書かれたことが有りましたが、外国の記者はよく見ているものです。
翌25日に自宅の御所にラオスの国家主席がお見えになったのに、天皇一人でお出迎え、雅子さまが出てこなかったのは24日の疲れでしょうか。これでは体調の波を理由にするしか無いです。
秋篠宮家のことが叩かれますけど、こんなことはなさらないですよ。雅子さまは良いんですよね~。

産経ウェブ
天皇・皇后ご静動
(宮内庁発表分)

【午前】

両陛下 東京から神奈川県にご移動

両陛下 横須賀美術館(横須賀市)

両陛下 第50回戦没・殉職船員追悼式ご臨席・ご供花(横須賀市・戦没船員の碑広場)

【午前・午後】

両陛下 横須賀美術館(横須賀市)

【午後】

両陛下 神奈川県からご帰京
                  ・・・ここまで・・・


                               プリンセス チチブ   1971 イギリス
                 




                 




                                プリンセス オブ ウェールズ  1997 イギリス
                 


https://news.yahoo.co.jp/articles/ede67c5b2d3cf8de8d0be538d0766716c8f921c3
天皇陛下と愛子さま 28日に雅楽演奏会鑑賞へ お二人で取材を伴う活動に臨まれるのは初めて 5/26(金) 16:32配信

天皇と愛子さまで雅楽演奏会鑑賞ということです。雅子さまも久子さまや彬子さまと行かれたら良いのにと思った雅楽演奏会です。天皇と愛子さまで行かれるとは意外な展開です。
取材を伴う活動に臨まれるのは初めてとありますが、以前にも絵画や映画や音楽の鑑賞はなさっていました、雅子さまも入れて三人でしたが。
愛子さまも雅子さまも、鑑賞も活動に入れないといけないほど活動が無いです。


                                 プリンセス アイコ  2002 日本
                           




                  




                           
                                   この色、愛子さまにピッタリだと思いました。
                           お住まいに居る時間も長いでしょう、ごユーシューとお聞きしてますが、いかがお過ごしでしょうか。
                                   

                           

                                まだ、バラの画像が残っています。どんだけ~なバラ
                                同じような画像ですが、見てくださってありがとうございます。
コメント (4)
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