つれづれ婆は 今日も元気に!

好きなものを写していきます

錦秋の候

2022-11-30 07:05:29 | 皇室のこと
                        秋篠宮皇嗣殿下 57歳のお誕生日 おめでとうございます❁ 
                               謹んで お祝いを申し上げます。


               








                








                      

                              もっと小さく上品に画面に収めたかったのだけれど
                              鳥用のレンズゆえ どアップになってしまって(汗)
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柔らかな光

2022-11-28 08:38:50 | 日記
                               私を癒やしてくれた紅葉たち 続き
                     




 
                             
              







              



思うように写せなくて、失敗作を沢山作りましたが、それも楽しい時間でした。
老眼が進んだのかMFだとピントを合わせ難く感じることが増えました。ファインダーを覗く時も老眼鏡が必要かも。新しいのを作ろうかな。
最近、浪費が増えてます。
鳥は少ないです。ジョウビタキとカワセミの声だけ聞きました。シロハラもツグミもアオジも見つけることが出来ません。12月が来ますが寂しい冬になるかも。
エナガとの出会いも減りました。冬のエナガは一段と可愛らしいのに。



                        






                        

                            書く気力が無いので、ご紹介だけ。宜しかったら検索なさってください。
                   https://twitter.com/kazuchancocone/status/1595414930148450305?cxt=HHwWgoDTzaLbhqQsAAAA
                                スクロールして最後までご覧になってくださいね。
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嵐山の続きです

2022-11-20 16:22:16 | 旅行
              
                         川の対岸を歩き続けました。先に何があるのか気になって。

                     
                               途中の山肌を




             
                               苔むした木肌




             
                     川に沿った細い道から山へと登って行きます
                     石段が続く   上を見上げて



             
                      千光寺というお寺に到着  京都一の絶景ということですが
                      私が想像した風景とは違っていました



                      望遠にしてみます
             

                 wikiから
                千光寺(せんこうじ)は、京都府京都市西京区嵐山中尾下町にある黄檗宗系の単立寺院。
                山号は嵐山、寺号は詳しくは大悲閣千光寺と称する。本尊は恵心僧都作といわれる千手観音菩薩。
                江戸時代の豪商角倉了以の木像があることで知られる。
                境内にある、切り立った岩肌に建つ舞台造りの観音堂(客殿とも)は大悲閣と呼ばれるため、
                寺そのものの別称も「大悲閣」と呼ばれる。

                この寺の創建年代等については不詳であるが、当初は現在の嵯峨清涼寺の近くにあり、
                後嵯峨天皇の祈願所であったが長らく衰退していた。
                江戸時代初期の慶長19年(1614年)、豪商角倉了以が、大堰川を開削する工事で亡くなった人々を弔うために、
                嵯峨の中院にあった千光寺を現在地に移転させた。
                もとは天台宗であったが、文化5年(1808年)に黄檗宗に改宗した。

                千光寺パンフレットに
                角倉了以は徳川家康よりも御朱印を得て、海外貿易(主にベトナム)を行ったと書いてあります。
                当時から海外と貿易があったのだと、こんなことからも知ることが出来ました。
                鎖国して縮こまっていたのではなかったんだ。


              長い石段を頂上目指して休み休み登りました。汗をかいたので、頂上の風は心地良かったです。
              このお寺では、梵鐘を3回つかしてくれます。私も鳴らしました。気持ちが晴れるようでした。
              登って良かったです。

              

             
                         帰り道にもパチリ




             





                      
                            山肌に小さな屋根 見覚えのある窓
                            コロナ前、ここで知人と食事をしたことを思い出しました。




                       天龍寺に着いたけど クタクタ
               





               





               
                        天龍寺は以前にも訪れたことがありました。
                        紅葉を写したかったけれど、もう登山の後で足が疲れてしまって
                        門を入って直ぐの駐車場の紅葉に、モデルになって貰いました。
                        車が写り込まないように、上ばかり(笑)
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嵐山へ

2022-11-19 21:51:50 | 旅行
東山へ行こうか迷って結局、嵐山へ。
想像通り、土曜の京都は人がいっぱい。でも、行きたかったので決行しました。
写した順番に、同じような画像が続きます。


             
                    先ず ここ   午前中の画像です  午後にはこの橋は人がいっぱい!





             
                            山の紅葉が綺麗に出ません  くすんだ感じで残念





             
                            対岸を  





             






             






             
                          此方側から写すことは殆ど無かったので






             






             


帰宅したら田舎のケアマネさんからメールが入っていました。弟は母を未だ病院に連れて行ってないと。
弟にメールして、貴方も体調不良ならケアマネさんに連絡して何か方策を考えてもらいなさいと伝えました。
返事はなく、ケアマネさんも月曜に介護タクシーか往診を手配すると言ってくれました。
再度、弟にメールするとやっと返事。
母はいつもどおり元気でテレビを見ていると。月曜には病院に連れていくと言ってくれて、取り敢えずホッとしました。
弟には、もう帰れないと伝えています。
妹に言うと、こういうのを乗り越えないと施設に入れる決心がつかないから手出しはしないと言います。
私も、そう思っています。これまで弟が動かないときは、私が病院へ連れていきました。
これからはアテにはできないと分かってもらった方が良いと思います。
以前は母のことを可哀想と思っていましたが、今は少し違ってきて、母も好きなことをしたのだからと。
自分のことで精一杯の年齢になると、親の心配さえできなくなりました。
これは悪いことではなく、達観したのだと思います。思うことにします。



             
                             続きます
                            
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糸に絡まる

2022-11-18 12:38:00 | お話しを聴く
                   


https://www.youtube.com/watch?v=R6PNn0jfUCc&t=961s
伊藤貫先生が語る 日本人が知らない3つの嘘!憲法 核の傘 日米同盟 Lizzy News

上記動画から伊藤貫氏のお話の一部を聞き書きします・・・

憲法改正について

僕(伊藤氏)は日本のマスコミを全然信用していない。日本の大学教授も信用していない。
今、憲法制定会議とか作ると日本のアホな大学教授とアホなマスコミがワァワァ言い出して収集がつかなくなるし
今の日本人に憲法作らして本当に良い憲法を作るかどうか、これもかなり怪しい(笑)

憲法思想というのはイギリスみたいに何十年もかけて、徐々に形成されていくものであって、今の大学の教授とかマスコミの連中にやらせたらトンデモナイことになる。しかも自民党にも考え深い人は居ないし、野党はもっと酷い。

伊藤氏の考え
今の憲法は76年位使ってきたのだから、これを全て今直ぐ無効だというのは乱暴なやり方で、
逆に国家の法秩序に相当な混乱を引き起こすから、今までの憲法は有効に機能してきた法律として認めて、
現在の憲法を法律の段階に引き下げて、そして国会で普通の法律と同じように少しづつ変えていけるようにする。

憲法9条はさっさと廃止して良いと国会の過半数で決めれば良い。



今の日米同盟は本物ではない。ダブル・コンテインメントであることについての説明

キッシンジャーが論文を書いていて、彼によればアメリカ政府は1941年の8月の末に既に、日本と戦争をした後は日本人から永遠に軍事力を持たせないということを決めていた。
カナダのニューファンドランド島にプリンス・オブ・ウェールズと言う軍艦を停めて、その上でチャーチルとフランクリン・ルーズベルトが会談。
その席で二人は「日本を叩きのめした後は、二度と軍事力が持てないようにしよう」と決めたらしい。
パール・ハーバーは12月なわけだが、その前に既にチャーチルとフランクリン・ルーズベルトは対米戦争に日本を引きずり込んで叩きのめし、その後は二度と国防力を持たせないと決めていた。
1942年の春、ルーズベルト大統領はソ連の外相にも、そのことを伝えていた。
80年前に日本の運命は決まっていた。

アメリカの外交史の専門家:マイケル・シェルリ氏
次の戦争に備える(次の戦争とは第二次大戦が終わった後の戦争に備える)
アメリカの凄いところは、第二次大戦をやっているときに、この戦争が終わって次の戦争はどうなるだろうかと考えて戦っているのだ。
1942年の時点でアメリカ政府は戦後の日本人からは永久に自主防衛能力を剥奪しておくと。
日本が二度と自立した外交政策・軍事政策を実行できない状態に留めておくと1942年に決めていた。

それから見ると1945年に占領した米軍が憲法9条を押し付けてきたのは、それほど驚きではない。
1947年、国務省の内部文書にも
「戦後の日本が独立国としての運命を歩むことを許さない。日本はアメリカの衛星国としてのみ機能させる」と書いてある。
だから彼らのやっていることは一貫している。


ダブルコンテインメントと呼ばれる理由

メルビン・レフィラー(シカゴ大学)外交史の専門家
圧倒的な勢力(プレポンダランスパワー)という本を書いていて、その中で
1945年以降の対日政策は一貫してダブルコンテインメント政策であると。
日本をコンテインメント(封じ込め)しておいて、封じ込めたれた日本をアメリカの属国として利用して、冷戦時代にはソ連を封じ込め
冷戦が終わったあとは最近になると中国を封じ込めることに利用する。
封じ込めた日本を利用して他の国を封じ込める。これをデュアル・コンテインメントと呼ぶ人もいる(どちらでも同じ意)

冷戦後のアメリカの仮想敵国
ロシア・中国・日本・ドイツ この4カ国が冷戦後のアメリカの仮想敵国としてちゃんと書かれている(ペンタゴンの機密文書)
現在でも、このダブル・コンテインメント政策は続いている。


村田良平氏の回想録から引用
「日米安保体制の本質の半分はアメリカの日本の占領の継続である。
 日米安保条約のアメリカの日本防衛義務は、この条約の主眼ではない。主たる目的ではない。
 ことに沖縄には米軍が東アジアの制海権と制空権を見るため、そして日本を攻撃するために軍事基地を作った。
 これらの基地の主なる目的は、日本の防衛にあったのではない

と村田さんは書いていて、その通りである。こういうことをキチンと書いてくれた村田さんに感謝している(伊藤氏)

彼(村田氏)によれば、日本の領土も自衛隊もアメリカの都合のいいように利用され続けている。
しかし現在の日本人は、かつての戦争で日本人対して原爆を投下して虐殺したアメリカ人が、日本の領土の重要部分を我が物顔で使っていることに割り切れぬ感情すら持っていない。
我々日本人はアメリカが日本を守ってやるというアメリカ側の発想を受け入れるべきでない。
アメリカは既に北朝鮮の核問題で(北の核ミサイル増産を放置)日本を裏切っている。
しかも日本に対しては役に立つか分からない高額のミサイル防衛システムまで買わせている。
日本の核抑止力保持についてアメリカ政府は中国及びロシアと談合しており、日本の核保有だけは認めないつもりである。
アメリカは所謂日米同盟のコミットメントを突然、実質上骨抜きにする恐れがある。
(そうであるから日本は自主防衛すべきと村田氏は書いている)

外務省の官僚はアメリカ政府に洗脳されており、しかも自分たちが洗脳されているということを意識していない。
駐米大使や事務次官をやった村田良平氏が書いている。

村田氏は日本は自主憲法を早急に想定して核抑止力を持つべきである。アメリカ政府が話し合いをあくまでも拒否するならば
在日米軍基地の全廃を求めて、併せて日本の独力によってイギリスやフランスのごとく限定した核戦力を潜水艦をベースとして保持すべきである。

このように村田氏は書いておられる。この回想録下巻は日本にとって非常に重要な本であると思っている。
村田氏の御本は絶版になってしまいアマゾンでも本屋さんでも手に入らないそうです。

シカゴ大学ミア・シャイマー
「現在の日本は疑似独立国にすぎない。アメリカ軍が日本を占領し続けているから、日本は独立した外交軍事政策を実行する能力を持てないようになっている。
日本は潜在としての能力としては外交政策をやる能力を持っているが、それは日本においてアメリカが強力な軍事的プレゼンスを維持している限り発揮できない仕組みになっている。

MITのジョン・ダワー(「敗北を抱きしめて」の著者)
1951年のサンフランシスコ講和条約は日本を封じ込めるための体制である。
この体制は日本に対する拘束衣として機能している。
日本におけるアメリカ軍の駐留は万が一日本が独立しようとした場合に備えて、米による日本の管理を確実にするために継続されている。
冷戦終了後、日本の対米従属制は軽減されたのではなく、逆に寧ろ、より一層進化(深化?)されてきた。
日本の平和はアメリカの軍事マシーンの歯車の一部になっているに過ぎない。
日本人はアメリカのこのような対日政策に対して、ほぼ無制限の支持を与えてきた。
日本はアメリカの属国となったことで、自分たちの政治的な指導権を発揮する可能性を失ってしまった。
このように明らかに不均衡な日米関係に関して、多くの日本人は貴重な日米関係を維持するためには
日本がワシントンの命令に従うことなど「お安い代償です」と述べている。
日本人は自らの外交問題に関して、自らの言葉で語る能力さえ失っている。

オーストラリア国立大学のガバン・マコーマック教授(日本専門家)
サンフランシスコ講和条約によって、実質的な外交と国防政策を行うことを許されない、アメリカの信託統治領となった。
その後もアメリカによる日本の占領は終わっていない。
アメリカ政府は日本政府に対して、日本に対する期待は「あれだ、これだ」と指図してきた。
しかし、このような日本に対する国家主権の侵害にたいして「侮辱である」と腹を立てる日本人は少ない。
日本はアメリカに対して喜んで属国の役割を果たしてきた。
国内では排外的なナショナリズムを振りかざす日本人は、実際にはアメリカの国益に一体化しアメリカに奉仕してきたのである。
日本の政治家と官僚の荒廃ぶりは無惨である。
日本の政府高官の忠誠心は基本的にアメリカに向けられている。
日本は形式的には独立した主権国家であるが、実際には日本の利益よりもアメリカの利益を優先する隷属国の状態を選択してきた。
日本がアメリカに従うべきだと主張する人たちが、日本国内でナショナリストを自称している。

                       ・・・ここまで・・・お話は続きます。詳しくは動画をお時間のあるときに視聴なさってね・・・

国内ではこういうお話を聞くことは殆どないので、伊藤貫氏のお話は注目しています。
貴重な動画を上げてくださったことに感謝しつつ聞き書きさせていただきました。
落ち込むような内容ですが、今の日本の政治や経済の抱える問題の根本は、ここにあったのかと納得できました。
政治家や官僚が何故、ああいうことを言い、ああいう政策を行うのか。国民のほうに目が向いていない政策ばかり選択するのか
良くわかりました。
後半はウクライナ問題についても語られています。動画を視聴なさってください。

                                このシーズンは写したくなる蜘蛛の糸
                   





                   

                                 もっと魅力的に写せたら良いのに!
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