名聞名利は今生のかざり、
我慢偏執は後生のほだしなり。
鳴呼、恥づべし恥づべし、
恐るべし恐るべし
(持妙法華問答抄 日蓮)
各々師子王の心を取り出して、
いかに人をどすともをづる事なかれ。
師子王は百獣にをぢず、
師子の子又かくのごとし。
彼等は野干のほうるなり、
日蓮が一門は師子の吼ゆるなり
(聖人御難事 日蓮)
今以上の何か、
ここではないどこかにある幸せ、
それを追い求めても、それは蜃気楼。
近付けば近付くほど遠のいていく。
ガンディー魂の言葉
浅井幹雄 監修
太田出版 より
〈Mr.Mount-hat氏のお便りから抜粋〉
・私達は眼で見ている世界が全てだと思っているが、実は見える世界はほんの一部であって、目に映らない世界の方がよっぽど広いのです。
私達にとっての世界とは、決して周りに広がっている世界ではなく、私達自身が作り出した心の世界が、私達にとっての世界そのものなのです。
周りの世界に見えるものとして存在していなくても、私達の心の世界の中に存在していれば、それは私達にとっては存在です。このことからも、自分の心こそが世界そのものです。
自分の心、一念が変われば世界も変わるのです。汚い心を出せば、自分にとっての世界は地獄に変わってしまいます。綺麗な心が出れば、自分にとっての世界は菩薩・仏に変わるということなのです。
…ですから日蓮聖人は、悪知識、つまり誤ったものの見方や、それを説く人、或いは仏法を異解して説く人を恐れなさいと仰ったのでしょうね。
(夢の世の中)
・何の為に學問し修養するのか。一口で言えば「人になる道」「仏になる道」を見いだすためです。学問をすることは、人になる道を明らかにする為ですし、仏法を学ぶことの目的は、仏になる道を学ぶ為です。
自分の内面の側から言うならば、自分にもともと具わっていた仏性を十分に具現化する方途を見い出す為だとも言えます。
仏道で多くのことを学ぶのは、智慧を膨らませるのが目的ではありません。知識人になって頂きたいためでもありません。
多くを学ぶことによって、自分とは何か、仏とは何か、一番大切なことは何かを学ぶ。それを掴むことで、これからの生き方が変化してきて、自分の人生をもっと大切に生きることになるでしょう。自分が大切なら、他人も大切だと知るでしょう。ならば次は己も他者を守らねばならないことに気付くでしょう。
学ということは、目的への道程・過程ですから、それ自体が目的ではありません。目的を実践するために学び修養するのです。
・これからの日本、そして世界を作っていく人々にとって何が必要かといえば、他者や自然、万物との繋がりを、己と他者といった隔別の見方をするのではなく、「月こそ心よ、花こそ心よ」と日蓮聖人が示されたような世間即仏法の見方を重視し、何者をも慈しむ法華経の生命観を科学技術の根底に据えていくべきだと思うのです。
転載以上
毎日、来る日も来る日も、
自分の目の前にある壁をちびちび「掘る」。ひたすら掘る。
自分のペースで、自分の目線の高さで
人生最強の自分に出会える感情ノート
田中ヴェルヴェ京 著
秀和システム より
臨終已に今にありとは知りながら、
我慢偏執名聞利養に著して妙法を唱へ奉らざらん事は、志の程無下にかひなし
(持妙法華問答抄 日蓮)
今日蓮が唱ふる処の南無妙法蓮華経は
末法一万年の衆生まで成仏せしむるなり。~
妙法蓮華経の大良薬を以って一切衆生の無明の大病を治せん事疑ひ無きなり。
此れを思ひ遣る時は満足なり。
満足とは成仏と云ふ事なり。
(御義口伝 日興)
其の根源顕れなば、
設い日蓮はいやしくとも
天のはからひ、
大法流布の時来るならば、
彼の悪法やぶれて
此の真実の法立つ事疑なかるべし
(根露枝枯御書 日蓮)
有難う御座いました。
南無妙法蓮華経
我慢偏執は後生のほだしなり。
鳴呼、恥づべし恥づべし、
恐るべし恐るべし
(持妙法華問答抄 日蓮)
各々師子王の心を取り出して、
いかに人をどすともをづる事なかれ。
師子王は百獣にをぢず、
師子の子又かくのごとし。
彼等は野干のほうるなり、
日蓮が一門は師子の吼ゆるなり
(聖人御難事 日蓮)
今以上の何か、
ここではないどこかにある幸せ、
それを追い求めても、それは蜃気楼。
近付けば近付くほど遠のいていく。
ガンディー魂の言葉
浅井幹雄 監修
太田出版 より
〈Mr.Mount-hat氏のお便りから抜粋〉
・私達は眼で見ている世界が全てだと思っているが、実は見える世界はほんの一部であって、目に映らない世界の方がよっぽど広いのです。
私達にとっての世界とは、決して周りに広がっている世界ではなく、私達自身が作り出した心の世界が、私達にとっての世界そのものなのです。
周りの世界に見えるものとして存在していなくても、私達の心の世界の中に存在していれば、それは私達にとっては存在です。このことからも、自分の心こそが世界そのものです。
自分の心、一念が変われば世界も変わるのです。汚い心を出せば、自分にとっての世界は地獄に変わってしまいます。綺麗な心が出れば、自分にとっての世界は菩薩・仏に変わるということなのです。
…ですから日蓮聖人は、悪知識、つまり誤ったものの見方や、それを説く人、或いは仏法を異解して説く人を恐れなさいと仰ったのでしょうね。
(夢の世の中)
・何の為に學問し修養するのか。一口で言えば「人になる道」「仏になる道」を見いだすためです。学問をすることは、人になる道を明らかにする為ですし、仏法を学ぶことの目的は、仏になる道を学ぶ為です。
自分の内面の側から言うならば、自分にもともと具わっていた仏性を十分に具現化する方途を見い出す為だとも言えます。
仏道で多くのことを学ぶのは、智慧を膨らませるのが目的ではありません。知識人になって頂きたいためでもありません。
多くを学ぶことによって、自分とは何か、仏とは何か、一番大切なことは何かを学ぶ。それを掴むことで、これからの生き方が変化してきて、自分の人生をもっと大切に生きることになるでしょう。自分が大切なら、他人も大切だと知るでしょう。ならば次は己も他者を守らねばならないことに気付くでしょう。
学ということは、目的への道程・過程ですから、それ自体が目的ではありません。目的を実践するために学び修養するのです。
・これからの日本、そして世界を作っていく人々にとって何が必要かといえば、他者や自然、万物との繋がりを、己と他者といった隔別の見方をするのではなく、「月こそ心よ、花こそ心よ」と日蓮聖人が示されたような世間即仏法の見方を重視し、何者をも慈しむ法華経の生命観を科学技術の根底に据えていくべきだと思うのです。
転載以上
毎日、来る日も来る日も、
自分の目の前にある壁をちびちび「掘る」。ひたすら掘る。
自分のペースで、自分の目線の高さで
人生最強の自分に出会える感情ノート
田中ヴェルヴェ京 著
秀和システム より
臨終已に今にありとは知りながら、
我慢偏執名聞利養に著して妙法を唱へ奉らざらん事は、志の程無下にかひなし
(持妙法華問答抄 日蓮)
今日蓮が唱ふる処の南無妙法蓮華経は
末法一万年の衆生まで成仏せしむるなり。~
妙法蓮華経の大良薬を以って一切衆生の無明の大病を治せん事疑ひ無きなり。
此れを思ひ遣る時は満足なり。
満足とは成仏と云ふ事なり。
(御義口伝 日興)
其の根源顕れなば、
設い日蓮はいやしくとも
天のはからひ、
大法流布の時来るならば、
彼の悪法やぶれて
此の真実の法立つ事疑なかるべし
(根露枝枯御書 日蓮)
有難う御座いました。
南無妙法蓮華経