終には覚むる 夢の世の中 

組織や団体等には一切所属致しておりませんが、日蓮聖人の法華経信奉者です。日々の所感の記録・備忘録として活用させて頂きます

然る程に夜も明けたり 2

2014-09-16 09:18:58 | 日蓮聖人・本来の姿に戻ろう!
.一晩寝かせてしまった記事ですので、
コピーされ、また何処かで使われているかもしれませんが(苦笑)

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さあ、奮い立て、外へ出で行け。
仏の御教えにつとめよ。
死王(魔王)の軍勢を追い払え。
~象が葦の生えている住居(池)を
出て行くように。

この教説と戒律とにつとめはげむ人は
生れをくり返す輪廻を捨てて、
苦しみを終滅するであろう。

(修行僧アビブー)


人々から離れて(孤独で)坐臥することを習え。

恐怖から脱れて
恐怖のない境地において
解脱しておれ。

恐ろしい毒蛇がはびこり、
電光ひらめき、
雷がとどろくところ、
~夜の闇のうちにあっても、
身の毛をよだててゾッとすることなく
修行者はそこに坐した。

このことを実にわたしは、
実際にこの眼で見た。

(梵天)


悪魔との対話   ブッダ
兼利琢也 訳
岩波書店より



仏たゆむ心なし、

我此の法門を諸人にをどされて
ゐいやむほどならば、
一切衆生地獄に堕つべしと・
つよくなげかせ給いしゆへに・
退する心なし、

この外道と申すは
先仏の経経を見て・よみそこないて候しより事をこれり。

(三三蔵祈雨事  日蓮)



法の下では釈尊も弟子たちも
平等であり、
すでに覚った者と、
いまだ覚っていない者という違いが
あるだけである。

「法」に目覚めればだれでも
ブッダであったのである。


仏教、本当の教え
~壮大な伝言ゲームの果てに~

植木雅俊 著
中公新書 より



男性的・女性的といった区別にあまりこだわらず、
人間のあらゆる強みや資質を大切にし
ようとする傾向が強い。

このような意識がある人は、
逆境に負けず、
試行錯誤への意欲が強く、
型にはまらない発想を受け入れやすい



女神的リーダーシップ

ジョン・ガーズマ&マイケル・ダントニオ 著
有賀裕子 訳
プレジデント社 より


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Mr.Mount-hat氏のお便りから


法華経には「一切衆生 悉有成仏」と説かれています。
つまり、一人一人の命の奥深いところに尊い仏の生命が宿っている、と教えていらっしゃるのです。
だが、このことが信じられないほどに、人の心は六道輪廻を繰り返していて、仏の生命など感じることもなく、出てくるのは地獄・餓鬼・畜生・修羅といった邪悪な生命と、時折人・天という穏やかな心が湧いてくる程度だったりします。

じゃあ、誰にでもある仏の生命がなかなか出てこないのは、一体どうしてなんだろうかねぇ。
それはね、私たちが仏に縁していないからなんです。

十界の生命はその時その時の縁に触れて現れてきますね。縁する相手によって様々な生命に変化し、湧き起こってきています。
仏の生命もこれと同じで、仏に縁しなければ湧いてこないんです。
その為日蓮聖人は、仏の魂傀である南無妙法蓮華経を受持することで仏の生命が湧現して、誰でも成道を遂げられると示されたんですね。南無妙法蓮華経こそが、唯一最高の成仏の法だからなんです。


インドの王家に生誕された釈尊(お釈迦様)は、十九歳の時に出家され、三十歳で開悟されました。
それより五十年間、釈尊は八万法蔵とも言われるほど沢山のお経を説かれました。これを大別すると、法華経と、それ以前の経経に分別されます。
それ以前の経のことを、爾前経(にぜんきょう)と呼んでいます。

爾前経、それは華厳時の大広仏華厳経に始まりますが、衆生がその内容を理解できなかった為に、改めてより低い(易しい)教えである小乗経(阿含経)から説き始められました。
そして、仏教以外の教え(外道の宗教)を破折され、戒律を定めて生命の尊さを教えられたのです。

次に方等部(大日経・阿弥陀経等)を説かれ、
次に般若部(金剛般若経等)へと、
一段一段、階段を昇るように、次第に高い教えてへと導かれていったのです。

そして無量義経に至って「四十四年未顕真実」と説法され、これまで説いてきた教えは全て方便(仮の教え)であって、一切衆生成仏のための真実の法は未だ説いていないことを明かし、これより説くところの法華経こそが真実最高の教えであると宣言なされたのです。


それでは法華経と爾前経とはどこが違うのだろうか。

人はよく「どのお経も、お釈迦様が説かれたのだから、行き着くところは同じだ」と仰いますね。

しかしこれは大変に間違った理論で、仏の真意を踏みにじるものなのですよ。


仏が世に出現されたのは、一切衆生を成仏へと導くためですが、
成仏の法である法華経を説く為に、
衆生の機根に応じて段階的に低い教え(爾前経)から説き示されたのでした。
それは私たちが学問を極めるために、小中学校・高校・大学と段階を踏むのと同じであって、小学生にいきなり高等数学を教えても、理解できないのと同じことなのです。

法華経という最高の法を説いたとしても、誰も理解できません。
だから、小乗教という低い教えから説き進められたのですが、その低い教えで充分だとしているのが世間一般の宗宗です。

法華経が最高の教えであるということについて、日蓮聖人は「一代の肝心は法華経」と、釈尊出世の本懐(釈尊がこの世に出現された目的)は法華経を説くことにあった、と明言されています。


続く


転載以上
深謝申しあげます。

ありがとうございました。
南無妙法蓮華経






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