終には覚むる 夢の世の中 

組織や団体等には一切所属致しておりませんが、日蓮聖人の法華経信奉者です。日々の所感の記録・備忘録として活用させて頂きます

然る程に夜も明けたり 3

2014-09-18 12:13:59 | 日蓮聖人・本来の姿に戻ろう!
(第六編第一章)

かれには前もなく、後もありません。
安らぎに帰し、
煙なく、苦悩なく、望むことのない人

かれは、強い者にも弱い者にも
暴力をふるうことがありません。



(梵天が次の詩を詠じた)

「この世における
一切の生あるものどもは、
ついには個体を捨てるであろう。」



(帝釈天が次の詩を詠じた)

「つくられたものは実に無常であり、
生じては滅びるきまりのものである。
それらは生じては滅びる。
これら(つくられたもの)の静まった
やすらいが、安楽である。」


(尊師は修行僧たちに告げられた)

「怠ることなく修行を完成なさい。
もろもろの事象は過ぎ去るものである。」と。

これが修行をつづけてきた者の
最後のことばであった。


悪魔との対話 ブッダ
中村元 訳 岩波書店より



怒りに陥らないようにすること。
それから
怒りの最中に過ちを犯さないこと。


怒りについて セネカ
兼利琢也 訳 岩波文庫 より


……………………………………………


〈法華経を読むると雖も還て 法華経の心を死(ころ)す……伝教大師〉


世間のことわざにも一は万が母といへり、此等の道理を知らずや、
所詮実相の理の背契を論ぜよ、
強ちに多少を執する事なかれ

(聖愚問答抄 日蓮)


誰所詮一心法典の旨を説き顕すを
妙法と名く故に
此の経を諸仏の智慧とは云うなり、

一心法界の旨とは
十界三千の依正色心・非情草木・虚空刹土いづれも除かずちりも残らず
一心の心に収めて此の一念の心・法界に遍満するを指して万法とは云うなり、
この理を覚知するを一心法界とも云うなるべし。

(一生成仏抄 日蓮)



三世の諸仏も妙法蓮華経の五字を以て仏に成り給ひしなり。

三世の諸仏の出世の本懐、一切衆生皆成仏道の妙法と云ふは是なり。

(法華初心成仏抄 日蓮)



後生のたのもしさ申すばかりなし、
此れより後も、いかなる事ありとも
たゆむ事なかれ。

(兵衛志殿御返事 日蓮)



~Mr.Mount-hat氏のお便りから~


爾前経についてもう少し説明しておきましょう。

例えば、お盆の由来となったお経に「盂蘭盆経」があります。
これは釈尊の弟子で、神通第一といわれた目蓮尊者の願いに対して説かれたお経です。

ある時目蓮尊者は、自らの神通力を以って亡き母の居場所を捜したところ、母は餓鬼道に堕ちて飢えと渇きに苦しんでいました。

目蓮尊者は神通力を用いて母に飲食を与えようとしますが、それらが母の口に入ると火となって燃え盛り、返って母を苦しめる結果となってしまいました。

そこで釈尊の元へ赴き、「母の苦しみを救いたい」と願い出ます。その時説かれたのが盂蘭盆経です。
宗派によっては今もお盆には施餓鬼が行なわれていますが、それはこの盂蘭盆経に由来しています。

これにより、目蓮の母は一時的に餓鬼の苦しみから逃れることが出来ましたが、決して根本の救い(成仏…絶対的安穏の境地)を得た訳ではありませんでした。目蓮の母が本当に救われたのは、目蓮が法華経によって成仏した時なのです。

そのことについて日蓮聖人は「盂蘭盆御書」に次のように示されています。

「自身、仏にならずしては、父母をだにも救い難し。いわうや他人をや。
しかるに目蓮尊者と申す人は、法華経と申す経にて『正直捨方便』とて、小乗の二百五十戒、たちどころに投げ捨てて南無妙法蓮華経と申せしかば、やがて仏となりて(中略)この時こそ父母も仏となり給へ」

と説かれていますでしょう。つまりね、盂蘭盆経(爾前経)では一時的な救いしか得られなかったのですが、釈尊が法華経を説くに至って、目蓮は正直に小乗の教えを捨てて法華経に帰依したところ、自らが成仏しただけではなく、父も母も共に成仏することが出来たことを明かされているのです。

このように「爾前経」は、
衆生のそれぞれの悩みや苦しみ…つまり個人的に人生相談に応じられたようなもので、一切衆生皆成仏の為に説かれた法ではないのです。

それに対して法華経は、釈尊が仏の立場から一切衆生に対し、成仏の法とはこれであると説き示したものなんです。

更に、法華経の結経である普賢菩薩行法には、
「この大乗経典(法華経)は諸仏の宝蔵なり。十方三世の諸諸の如来(仏)を出生する種なり」

と説かれています。

このことは、法華経は「一切の仏の生みの親」だということなんです。あらゆる仏、釈尊もそうです。阿弥陀如来や大日如来、薬師如来など、仏という仏の全ては、妙法蓮華経の法によって成仏したことを示されているのです。


ところで釈尊は、大集経に於て、釈尊滅後二千年を過ぎると「白法は隠滅する」ことを予言されています。

釈尊滅後二千年以後の世を末法といいますね。

末法の衆生は本未有善といって元々善なる心を有していない衆生であり、その時には釈尊の法力も功力も失われることを明かしているのです。

鎌倉時代に入って新仏教が次々と誕生したのも、この釈尊の予言に基づいているのです。だから、釈尊の白法に取って替わる末法適合の経典を求めて、それぞれが宗派を打ち立てたのです。

当時の日本は大変な災害に見舞われていました。
鎌倉幕府の歴史書「吾妻鏡」には、
大地震・暴風雨・疫病の流行、大飢饉などが頻発し、庶民の大半が死亡したと、言語に絶する惨状が記されています。
このような惨状と白法隠没の末法思想があいまって、人々は不安のどん底に陥っていたのでしょうね。


続く

転載以上
深謝申しあげます。

有難う御座いました。
南無妙法蓮華経

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