終には覚むる 夢の世の中 

組織や団体等には一切所属致しておりませんが、日蓮聖人の法華経信奉者です。日々の所感の記録・備忘録として活用させて頂きます

合掌とは法華経の異名なり

2013-07-13 07:40:09 | 日蓮聖人・本来の姿に戻ろう!
世間出世善き者は乏しく
悪しき者は多き事眼前なり。

然れば何ぞ強ちに少なきををろそかにして
多きを詮とするや。

土沙は多けれども米穀は希なり。
木皮は充満すれども布絹は些少なり。

汝只正理を以って前とすべし。
別して人の多きを以て本とすることなかれ。

  (聖愚問答抄)
    
    日蓮



私達が法華経を受持し・日蓮聖人の教えを求め・
学んで得た因縁観を持つことで、
過去・現在・未来の三世は
今この一瞬の中に凝縮しているのだと確信できる。


仏教の深い生命観・因縁観が自然に身に備わってくる。

だからこそ常に来世を意識できるようになり・
何時如何なる時でも未来を信じる心が却って
今を正しい方向に導く智慧の働きにも繫がってくる。

そこには絶望という観念はありません。

どの様な情況になっても未来に向けての確信が生まれ・
如何なる苦難をも乗り越えて行く力を養うことができます。

現在の姿から過去も未来も
知ることができるということは、
現在を正直に正しく生きる力となるのです。


 Mr.mount-hat (私の仏道の恩師)

 



我が心身より外には

善悪に付けてかみすぢ計りの法もなき物を、

されば我が身が頓て三身即一の

本覚の如来にてはありける事なり。


是をよそに思ふを

衆生とも迷ひとも凡夫とも云ふなり。


是を我が身の上と知りぬるを

如来とも覚りとも聖人とも智者とも云ふなり。
    
     (十如是事)



法華経の行者は如説修行せば、

必ず一生のうちに一人も残らず成仏すべし。


譬へば春夏田を作るに早晩あれども


一年の中には必ず之を納む。


法華の行者も上中下根あれども必ず一生の中に証得す
    
  (一念三千法門)




人身は得難く、天上の糸筋の海底の針に貫けるよりも稀に、


仏法は聞き難くして 一眼の亀の浮き木に遇ふよりも難し。


今既に得難き人界に生をうけ、遇い難き仏教を見聞しつ、

今生をもだ(黙)しては

又何れの世にか生死を離れ菩提を証すべき。


   (聖愚問答抄)


     日蓮

  


   Thank you!

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