(生の息吹)
生命の息吹とは
変化をもたらすもうれつな風のことだ
だが、宇宙との有機的なつながりを断ち切られた人々は、変化の風が自分たちをすりつぶしていると感じ、
生の息吹が自分たちを豊かにするために吹くことは決してないと感じている
D.H.ロレンス全詩集完全版
青木晴夫他 彩流社
「続・三色すみれ」麻生えりか訳より
日蓮聖人は蒙古使御書の中で最勝王経の経文を引用なさり、
「文の心は一切の悪の中に 国王と成りて 政悪くして我が国を他国に破らるるが第一の悪に候と説かれて候」
と解説を加えられた。
また金光明経の経文を引用の上、
「文の心は国王と成りて悪人を愛し善人を科(とが)にあつれば 必ず斯の国 他国にやぶらるると云う文なり」となされた上で、「所詮万法は己心に収まりて一塵もかけず、九山八生み出すも我が身に備わりて、日月・衆星も己心にあり」と喝破なされた。
また、災難対治抄では、仁王経の
「一切の国王は皆過去世に五百の仏に侍うるに由つて帝王主と為ることを得たり」、「是をもつて一切の聖人羅漢而も為に彼の国土の中に来生して大利益を作さん、若し王の福尽きん時は言っての聖人皆捨て去ることを為さん」、「若し一切の聖人去らん時は七難必ず起る」
との経文に加え、更に仁王経の
「大水百姓を漂没して時節逆し 冬雨ふり夏雪ふり冬時に雷電霹靂し 六月に氷霜雹を雨(ふ)らし 赤水・黒水・青水を雨らし・土山・石山を雨らし・沙礫石を雨らし江河逆まに流れ山を浮かべ石を流す是くの如く変ずる時を四の難と為すなり」
との経文を引用の上で、
「此の甚深の妙法を聞くことを得ず甘露の味に背き 正法の流れを失い威光あること無からしむ」「悪趣を増長し人天を損減し生死の河に墜ちて涅槃の道に背かん」
との金光明経の経文に補説を加えられた。
ナオミ・クラインがその著書「ショック・ドクトリン 下」(岩波書店)で「大企業と政府が結託して強大な権力を築き、国民を管理しようというコーポラティズム」と論断なさっているように、今再び、悟性を失した胴欲が無軌道さを露わに盲進を続けている。
「ブラックサイト」に収監されずとも、その酷薄な拷問の手法は、私達被害者は日々具に見、味わうことを強制され、痛くもない腹を探られながら暮らしている。その牙の前には腕力や旧来の武器の類など無意味だ。認めようが認めまいが、これが現実。自身の推進力となるのは、ただ、自身の一念。しかしながら、これほど個々の精神性が試されるチャンスも中々無い。どの様な時でも、全ては自身の心次第なのだと胸に留めて頂きたいと切に願う。
明らかに不当な政治支配でも
支配される側が、支配する側に協力している限り、成り立ってしまう。
だからこそ、
わたしたち全員で
その協力をやめてしまうべきなのだ
ガンディー (バープー物語より)
「ガンディー 魂の言葉」
浅井幹雄監修 太田出版 より
未来を今直ちに見ることは出来ません。歩む先はまだ見ぬ世界、未経験の世界だから、いつ足を踏み外してしまうかわかりません。だからこそ、私たちは常に人を支えたり、人を助けたりして共に歩んでいかなければならないんじゃないかと思うんです。ひとのために力を尽くすからやがて巡り巡って自分が支えられていくのです。
様々な人の経験や助言・手助け、つまりこれらは人々の説く善根なのです。過去の宝なのです。それらの支えがあるからこそ、歩んでいけるのです。
Mr.Mount-hat氏のお便りから
「抑(そもそも)地獄と仏とはいづれの所に候ぞとたづね候へば、或は下と申す経文もあり・或は西方等と申す経も候、しかれども委細にたづね候へば、我等が五尺の身の内に候とみへて候」
と日蓮聖人が十字御書で仰せの通り、すべては自身の心次第。
もはや主義主張ではなく、真心で繋がるべき時が来たのだ。
翼翼とする必要はない。
未来を、宇宙の真理を、そして天の采配を信じ、南無妙法蓮華経と唱えんとする混じり気のない思いが、畏縮した心を戦がす清風となるだろう。
(未来の状態)
人と人とが ひとたび互いに触れあえば
現代機械文明は滅び、
世界主義も全体主義もなくなるだろう。
中心と一体化しようとする大きな流れは止まり、それぞれが生命力にあふれた別個の存在へと後退するだろう。
あらゆる色や違いに表現が与えられ、
万華鏡のように数多くの小さい鮮やかな状態が生まれるだろう。
D.H.ロレンス全詩集 完全版
浅井幹雄他 監修
彩流社 より
蟻子を殺せる者は地獄に入り、
死にかばねを切れる者は悪道をまぬがれず、何に況んや人身を受けたる者を・殺せる人をや、
但し大石も海にうかぶ船の力なり
大火も・きゆる事水の用にあらずや、
小罪なれども懺悔せざれば悪道をまぬがれず、
大逆なれども懺悔すれば積み重ねきへぬ、 (光日房御書 日蓮)
一代に簡(きら)われ
諸経に捨てられたる二乗作仏は
法華に限れり
(真言見聞 日蓮)
今 白の善神が
そのいかづちを振り上げた。
神解けが四方に走る。
仏心という金殿玉楼の扉は常に
開かれていたのだ。
明鏡止水の境地を呼ぶ
玲瓏な星語り。
生と死の別は無く、
現実は玄妙な真実への当路。
虚構は歴歴。
長い懊悩を経て 濫觴の時が訪れる。
私たちは必然、
一切衆生皆成仏という百尺竿頭への
踏み外すことのできない階梯を、
一段一段 辿っている。
光風霽月 (再掲)…アメブロでのネームです。此方にも掲載しております。
http://s.ameblo.jp/aidubushidou/entry-11884228124.html
南無妙法蓮華経
生命の息吹とは
変化をもたらすもうれつな風のことだ
だが、宇宙との有機的なつながりを断ち切られた人々は、変化の風が自分たちをすりつぶしていると感じ、
生の息吹が自分たちを豊かにするために吹くことは決してないと感じている
D.H.ロレンス全詩集完全版
青木晴夫他 彩流社
「続・三色すみれ」麻生えりか訳より
日蓮聖人は蒙古使御書の中で最勝王経の経文を引用なさり、
「文の心は一切の悪の中に 国王と成りて 政悪くして我が国を他国に破らるるが第一の悪に候と説かれて候」
と解説を加えられた。
また金光明経の経文を引用の上、
「文の心は国王と成りて悪人を愛し善人を科(とが)にあつれば 必ず斯の国 他国にやぶらるると云う文なり」となされた上で、「所詮万法は己心に収まりて一塵もかけず、九山八生み出すも我が身に備わりて、日月・衆星も己心にあり」と喝破なされた。
また、災難対治抄では、仁王経の
「一切の国王は皆過去世に五百の仏に侍うるに由つて帝王主と為ることを得たり」、「是をもつて一切の聖人羅漢而も為に彼の国土の中に来生して大利益を作さん、若し王の福尽きん時は言っての聖人皆捨て去ることを為さん」、「若し一切の聖人去らん時は七難必ず起る」
との経文に加え、更に仁王経の
「大水百姓を漂没して時節逆し 冬雨ふり夏雪ふり冬時に雷電霹靂し 六月に氷霜雹を雨(ふ)らし 赤水・黒水・青水を雨らし・土山・石山を雨らし・沙礫石を雨らし江河逆まに流れ山を浮かべ石を流す是くの如く変ずる時を四の難と為すなり」
との経文を引用の上で、
「此の甚深の妙法を聞くことを得ず甘露の味に背き 正法の流れを失い威光あること無からしむ」「悪趣を増長し人天を損減し生死の河に墜ちて涅槃の道に背かん」
との金光明経の経文に補説を加えられた。
ナオミ・クラインがその著書「ショック・ドクトリン 下」(岩波書店)で「大企業と政府が結託して強大な権力を築き、国民を管理しようというコーポラティズム」と論断なさっているように、今再び、悟性を失した胴欲が無軌道さを露わに盲進を続けている。
「ブラックサイト」に収監されずとも、その酷薄な拷問の手法は、私達被害者は日々具に見、味わうことを強制され、痛くもない腹を探られながら暮らしている。その牙の前には腕力や旧来の武器の類など無意味だ。認めようが認めまいが、これが現実。自身の推進力となるのは、ただ、自身の一念。しかしながら、これほど個々の精神性が試されるチャンスも中々無い。どの様な時でも、全ては自身の心次第なのだと胸に留めて頂きたいと切に願う。
明らかに不当な政治支配でも
支配される側が、支配する側に協力している限り、成り立ってしまう。
だからこそ、
わたしたち全員で
その協力をやめてしまうべきなのだ
ガンディー (バープー物語より)
「ガンディー 魂の言葉」
浅井幹雄監修 太田出版 より
未来を今直ちに見ることは出来ません。歩む先はまだ見ぬ世界、未経験の世界だから、いつ足を踏み外してしまうかわかりません。だからこそ、私たちは常に人を支えたり、人を助けたりして共に歩んでいかなければならないんじゃないかと思うんです。ひとのために力を尽くすからやがて巡り巡って自分が支えられていくのです。
様々な人の経験や助言・手助け、つまりこれらは人々の説く善根なのです。過去の宝なのです。それらの支えがあるからこそ、歩んでいけるのです。
Mr.Mount-hat氏のお便りから
「抑(そもそも)地獄と仏とはいづれの所に候ぞとたづね候へば、或は下と申す経文もあり・或は西方等と申す経も候、しかれども委細にたづね候へば、我等が五尺の身の内に候とみへて候」
と日蓮聖人が十字御書で仰せの通り、すべては自身の心次第。
もはや主義主張ではなく、真心で繋がるべき時が来たのだ。
翼翼とする必要はない。
未来を、宇宙の真理を、そして天の采配を信じ、南無妙法蓮華経と唱えんとする混じり気のない思いが、畏縮した心を戦がす清風となるだろう。
(未来の状態)
人と人とが ひとたび互いに触れあえば
現代機械文明は滅び、
世界主義も全体主義もなくなるだろう。
中心と一体化しようとする大きな流れは止まり、それぞれが生命力にあふれた別個の存在へと後退するだろう。
あらゆる色や違いに表現が与えられ、
万華鏡のように数多くの小さい鮮やかな状態が生まれるだろう。
D.H.ロレンス全詩集 完全版
浅井幹雄他 監修
彩流社 より
蟻子を殺せる者は地獄に入り、
死にかばねを切れる者は悪道をまぬがれず、何に況んや人身を受けたる者を・殺せる人をや、
但し大石も海にうかぶ船の力なり
大火も・きゆる事水の用にあらずや、
小罪なれども懺悔せざれば悪道をまぬがれず、
大逆なれども懺悔すれば積み重ねきへぬ、 (光日房御書 日蓮)
一代に簡(きら)われ
諸経に捨てられたる二乗作仏は
法華に限れり
(真言見聞 日蓮)
今 白の善神が
そのいかづちを振り上げた。
神解けが四方に走る。
仏心という金殿玉楼の扉は常に
開かれていたのだ。
明鏡止水の境地を呼ぶ
玲瓏な星語り。
生と死の別は無く、
現実は玄妙な真実への当路。
虚構は歴歴。
長い懊悩を経て 濫觴の時が訪れる。
私たちは必然、
一切衆生皆成仏という百尺竿頭への
踏み外すことのできない階梯を、
一段一段 辿っている。
光風霽月 (再掲)…アメブロでのネームです。此方にも掲載しております。
http://s.ameblo.jp/aidubushidou/entry-11884228124.html
南無妙法蓮華経