現実から逃げることさえしなければ、
それで十分である。
(ナヴァジーヴァン)1919.9.7
幸せは
悲しみと苦しみを克服した心が
生み出すものなのだ
(パープーの祝福)1945.5.5
「ガンディー 魂の言葉」
浅井幹雄 監修 太田出版 より
頻々と起こる悲劇を支えて来たのは、有用な部分のみを析出する、という概念が人間界に於いても通用するという幻想。
恨むらくは、胡乱な輩の轅下の駒たらしめている己が短見と利己心。
変化の時代の関鍵を握るのは知恵才覚ではなく、人々の真心となるだろう。
〈さようなら、おっさん資本主義〉
靍橋仁氏はその著書「女性資本主義論」(幻冬舎)の中で、「狩猟・開拓・征服に基づく現代資本主義・グローバル経済」を「おっさん資本主義」と名付け、「資本主義に内在している根源的な課題が、ガン細胞のように世界を蝕んでいる状態」だと指摘なさり、
「利他的・共感力・忍耐強さ・愛情の深さ」といった女性的な資質が重視される「共存共栄といった共通の目的」に向かう「女性資本主義」を提唱なさっている。
「」内、本文より
反社会的組織で先鋭的な泥仕合に傾倒なさる方々は、そこで得られる高揚感や使命感が 生きる鎹になっている。つまり、本当の自分の生から逃げている、目的を摩り替えていると感じる。
他に責任転嫁すれば楽だ。あらぬ使命感は 自身の寂寥感を埋めてくれさえする。我に返った時の不安感は、組織活動に精を出せば・紛らわすことも出来る。先鋭的になるのは、「自信」の無さ・「自身」の無さの表れではないか。
そういう一部の方々同士が・互いに国を・正義を代表しているかのような言動と振る舞いを撒き散らす。情報を選別できない人々が・それに踊らされて 人生の虚無感を高揚感に変えて生きがいにしてしまう。この負の連鎖に力を与えてはならない。
…これは以前、私がブロ友さんに送ったメールの内容を要約したものだ。
手に入れたい物の為に泣き喚く駄々っ子にその場凌ぎで大人が折れてしまえば、子供は同じ手を使う。通らなくなれば酷い奴だと大人を本気で恨みだし、遂には武器まで作り出して恐喝する。
貴方のルールは、私には受け入れられないのだと示してあげなければならないのだ。
〈創価学会の欺瞞 4〉
信仰とは、ある特定の人物や組織・団体の為にするものではない。自身の振る舞いを仏様のそれに近づけるよう、日々修身して行くことであり、それこそが誠の仏道修行なのだ。
「以前にお送りした不軽菩薩の話。あれは、私はあなた方を決して軽んじません。何故ならば、あなたはやがて仏様になられるお方だからです、というお言葉の中に、妙法蓮華経が存在し、不軽菩薩も相手も、共にそれを唱えているのです。~
(南無妙法蓮華経の)題目を唱えることが、すでに最も尊い折伏なのです。
相手を(論破し)屈服させて御本尊を持たせる、というような学会流のものが折伏ではないのです。
(そもそも)折伏とは(日蓮)大聖人がなされているのですから、私たちはその一分でも見習い、確りと信心を保つことが折伏に繋がっているのです。
また、広宣流布というのも、創価学会や宗門などのように、世界の多くの人が御本尊をうけた段階が広宣流布だとか、ある一つの板曼荼羅が根本だ、とかではないのです。
広宣流布は、(日蓮)大聖人がなさっている。そのお心の中に住む私たちは、大聖人の懐で安心の心を持つこととなり、どの様な苦労や困難があろうとも全てが安穏です。竜ノ口や佐渡でのお振る舞いをみてもおわかりでしょう?
~妙法とは不思議な法ということですから、南無妙法蓮華経と唱えることにより、世の中の一切の命、それを感じることができるはずです。」
上記、Mr.mount-hat氏のお便りより
許可を得て転載
()内は私が補足として追記した。
以上
世界中で、利己主義が人々が互いを殺している。
「やがて世間の法が仏法の全体と釈されて候」(白米一俵御書)と日蓮聖人が仰せのように、意に反せば追い落とされるような繊弱な繋がりに自身の命運を委ねて得られる刹那の安堵感など、自身の人生を担保してはくれない。いかなる手だてをもってしても現実から逃れ切ることが出来ないのは、人の心が現実そのものを作り出しているからなのだ。
(不幸な人間たち)
不幸な人間とは、
死ぬことができず、安らかになれず、
つねに自己主張せずにはいられない者たちのことである
(ホイットマンへの反論)
偽りの共感に満たされて歩く者はみな、人類全体の葬式に向って歩いている
以上、D.H.ロレンス全詩集 完全版
青木晴男 大平章他 彩流社より
「続・三色すみれ」麻生えりか訳 から
いいですか、
みなさんは間違っています。
例え暴力で奪い取った地であっても、
国土は人心に感応するのです。
略奪をもって邁進してきた国が、持続力ある経世済民を敷衍してきましたか?
出来ずに行き詰まっては外部に富を求める。自身を見ることが出来ないからこそ、同じことを繰り返してきたのです。
http://blog.goo.ne.jp/grzt9u2b/e/a7a88a69d8c435f053715f1e37455341
旅先でまでパトや白バイで付回しての威嚇。特高…?
それほど都合が悪いものでしたか?
http://blog.goo.ne.jp/yumenoyononaka/e/5c97c53da861695b8672abe7a78f3eef
電磁波などが、更に激しくなりましたが?
http://blog.goo.ne.jp/yumenoyononaka/e/a7195b07234a186fd0425eaafac6e8a5
…
「早く死ね」メールを受け取り、
稚拙さに憐憫の情が浮かんでしまう私の様な人間や、カーン!と脳内にゴングが鳴り響く人ばかりではなかろう。
胸抉られるような暗然たる思いに苛まれる人も多かろう。斯様なメールを送る大人の背を追う子供までが、恥じる事無く同じ言葉を投げかけるのは当然。
しかし、言われた人が地獄に堕ちる訳ではない。斯様な言葉…お前なんか(計画の)邪魔だ、消え失せろ!」と思うその心こそが地獄そのものであり、堕地獄の因なのだ。
私のお稽古の師匠は以前、
「意地悪をする人は、自分で地獄に落ちる因を拵えながら、貴女の心を鍛えてくれているのよ。寧ろ感謝しなさい。」
と喝破して下さった。
仏教徒の端くれとして申し上げたい。この法華経の南無妙法蓮華経に縁なさった以上は、やがては仏に帰依する身なのだから、堕地獄の苦を少しでも軽減なさい。あなた方は、間違っている。
日蓮聖人のお言葉を拝すべし。
地にたうれる(倒)れる人は、
かへりて地より起く・
法華経謗法の人は三悪並びに人天の地には・たうれ候へども・かへりて法華経の御手にかかりて仏になると
ことわられて候。
(法華証明抄) 日蓮
恐れても恐るべきは後世、
慎みても慎むべきは来世なり。
而るを是非を論ぜず親の命に従ひ、
邪正を簡単(えら)ばず主の仰せに順位はんと云ふ事、愚痴の前には忠孝に似たれども、賢人の意には不忠不孝是れに過ぐべからず。
(聖愚問答抄)
宜しければ拡散をお願い致します。
転載自由です。
それで十分である。
(ナヴァジーヴァン)1919.9.7
幸せは
悲しみと苦しみを克服した心が
生み出すものなのだ
(パープーの祝福)1945.5.5
「ガンディー 魂の言葉」
浅井幹雄 監修 太田出版 より
頻々と起こる悲劇を支えて来たのは、有用な部分のみを析出する、という概念が人間界に於いても通用するという幻想。
恨むらくは、胡乱な輩の轅下の駒たらしめている己が短見と利己心。
変化の時代の関鍵を握るのは知恵才覚ではなく、人々の真心となるだろう。
〈さようなら、おっさん資本主義〉
靍橋仁氏はその著書「女性資本主義論」(幻冬舎)の中で、「狩猟・開拓・征服に基づく現代資本主義・グローバル経済」を「おっさん資本主義」と名付け、「資本主義に内在している根源的な課題が、ガン細胞のように世界を蝕んでいる状態」だと指摘なさり、
「利他的・共感力・忍耐強さ・愛情の深さ」といった女性的な資質が重視される「共存共栄といった共通の目的」に向かう「女性資本主義」を提唱なさっている。
「」内、本文より
反社会的組織で先鋭的な泥仕合に傾倒なさる方々は、そこで得られる高揚感や使命感が 生きる鎹になっている。つまり、本当の自分の生から逃げている、目的を摩り替えていると感じる。
他に責任転嫁すれば楽だ。あらぬ使命感は 自身の寂寥感を埋めてくれさえする。我に返った時の不安感は、組織活動に精を出せば・紛らわすことも出来る。先鋭的になるのは、「自信」の無さ・「自身」の無さの表れではないか。
そういう一部の方々同士が・互いに国を・正義を代表しているかのような言動と振る舞いを撒き散らす。情報を選別できない人々が・それに踊らされて 人生の虚無感を高揚感に変えて生きがいにしてしまう。この負の連鎖に力を与えてはならない。
…これは以前、私がブロ友さんに送ったメールの内容を要約したものだ。
手に入れたい物の為に泣き喚く駄々っ子にその場凌ぎで大人が折れてしまえば、子供は同じ手を使う。通らなくなれば酷い奴だと大人を本気で恨みだし、遂には武器まで作り出して恐喝する。
貴方のルールは、私には受け入れられないのだと示してあげなければならないのだ。
〈創価学会の欺瞞 4〉
信仰とは、ある特定の人物や組織・団体の為にするものではない。自身の振る舞いを仏様のそれに近づけるよう、日々修身して行くことであり、それこそが誠の仏道修行なのだ。
「以前にお送りした不軽菩薩の話。あれは、私はあなた方を決して軽んじません。何故ならば、あなたはやがて仏様になられるお方だからです、というお言葉の中に、妙法蓮華経が存在し、不軽菩薩も相手も、共にそれを唱えているのです。~
(南無妙法蓮華経の)題目を唱えることが、すでに最も尊い折伏なのです。
相手を(論破し)屈服させて御本尊を持たせる、というような学会流のものが折伏ではないのです。
(そもそも)折伏とは(日蓮)大聖人がなされているのですから、私たちはその一分でも見習い、確りと信心を保つことが折伏に繋がっているのです。
また、広宣流布というのも、創価学会や宗門などのように、世界の多くの人が御本尊をうけた段階が広宣流布だとか、ある一つの板曼荼羅が根本だ、とかではないのです。
広宣流布は、(日蓮)大聖人がなさっている。そのお心の中に住む私たちは、大聖人の懐で安心の心を持つこととなり、どの様な苦労や困難があろうとも全てが安穏です。竜ノ口や佐渡でのお振る舞いをみてもおわかりでしょう?
~妙法とは不思議な法ということですから、南無妙法蓮華経と唱えることにより、世の中の一切の命、それを感じることができるはずです。」
上記、Mr.mount-hat氏のお便りより
許可を得て転載
()内は私が補足として追記した。
以上
世界中で、利己主義が人々が互いを殺している。
「やがて世間の法が仏法の全体と釈されて候」(白米一俵御書)と日蓮聖人が仰せのように、意に反せば追い落とされるような繊弱な繋がりに自身の命運を委ねて得られる刹那の安堵感など、自身の人生を担保してはくれない。いかなる手だてをもってしても現実から逃れ切ることが出来ないのは、人の心が現実そのものを作り出しているからなのだ。
(不幸な人間たち)
不幸な人間とは、
死ぬことができず、安らかになれず、
つねに自己主張せずにはいられない者たちのことである
(ホイットマンへの反論)
偽りの共感に満たされて歩く者はみな、人類全体の葬式に向って歩いている
以上、D.H.ロレンス全詩集 完全版
青木晴男 大平章他 彩流社より
「続・三色すみれ」麻生えりか訳 から
いいですか、
みなさんは間違っています。
例え暴力で奪い取った地であっても、
国土は人心に感応するのです。
略奪をもって邁進してきた国が、持続力ある経世済民を敷衍してきましたか?
出来ずに行き詰まっては外部に富を求める。自身を見ることが出来ないからこそ、同じことを繰り返してきたのです。
http://blog.goo.ne.jp/grzt9u2b/e/a7a88a69d8c435f053715f1e37455341
旅先でまでパトや白バイで付回しての威嚇。特高…?
それほど都合が悪いものでしたか?
http://blog.goo.ne.jp/yumenoyononaka/e/5c97c53da861695b8672abe7a78f3eef
電磁波などが、更に激しくなりましたが?
http://blog.goo.ne.jp/yumenoyononaka/e/a7195b07234a186fd0425eaafac6e8a5
…
「早く死ね」メールを受け取り、
稚拙さに憐憫の情が浮かんでしまう私の様な人間や、カーン!と脳内にゴングが鳴り響く人ばかりではなかろう。
胸抉られるような暗然たる思いに苛まれる人も多かろう。斯様なメールを送る大人の背を追う子供までが、恥じる事無く同じ言葉を投げかけるのは当然。
しかし、言われた人が地獄に堕ちる訳ではない。斯様な言葉…お前なんか(計画の)邪魔だ、消え失せろ!」と思うその心こそが地獄そのものであり、堕地獄の因なのだ。
私のお稽古の師匠は以前、
「意地悪をする人は、自分で地獄に落ちる因を拵えながら、貴女の心を鍛えてくれているのよ。寧ろ感謝しなさい。」
と喝破して下さった。
仏教徒の端くれとして申し上げたい。この法華経の南無妙法蓮華経に縁なさった以上は、やがては仏に帰依する身なのだから、堕地獄の苦を少しでも軽減なさい。あなた方は、間違っている。
日蓮聖人のお言葉を拝すべし。
地にたうれる(倒)れる人は、
かへりて地より起く・
法華経謗法の人は三悪並びに人天の地には・たうれ候へども・かへりて法華経の御手にかかりて仏になると
ことわられて候。
(法華証明抄) 日蓮
恐れても恐るべきは後世、
慎みても慎むべきは来世なり。
而るを是非を論ぜず親の命に従ひ、
邪正を簡単(えら)ばず主の仰せに順位はんと云ふ事、愚痴の前には忠孝に似たれども、賢人の意には不忠不孝是れに過ぐべからず。
(聖愚問答抄)
宜しければ拡散をお願い致します。
転載自由です。