浪速おやじのつぶやき日記

川柳・都々逸・詩などでボケ防止

浪速夢見頃>日本の伝説(9)♪雷の手形

2014-04-05 08:56:47 | 小話

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浪速夢見頃>日本の伝説(9)
♪雷の手形
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あらすじ
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雷の手形(かみなりのてがた)または手形傘(てがたがさ)は、山梨県に伝わる
伝説。甲府の時宗寺院である一蓮寺(現在は甲府市太田町)に伝わる伝説で
江戸時代の甲府勤番士の日記である『裏見寒話』に記されている
[概要]
昔、一蓮寺で葬式が行われていたところ突然にして空に暗雲がたちこめ、
凄まじい雷鳴が轟くと共に暴風雨となり参列者たちは大いに恐れおののいた。
 和尚の朝比奈は寺の塔の上で読経していたが、その塔の上に雷が落ち
雲の中から毛だらけの大きな手が出て来て和尚をつかもうとした。剛力の
和尚は手を伸ばして怪物の腕をつかみ返し、しばらくの力比べの後、怪物は
雲の中から引きずり下ろされた。怪物は逃げようとしたものの和尚に
組み伏せられて逃げることができない。
そうこうしている内に風がやみ黒雲も消えた。怪物は「雲が消えては天へ
帰れない」と命乞いをしたところ和尚は「寺や檀家を嵐や雷で襲ったり
しないと誓うなら、許しても良い」と言った。怪物が承知したところ、
和尚は証文を書くようにと硯箱を出した怪物は「私は怪物なので字を知らない
証文だけは勘弁してほしい」と頼んだ和尚は「ならばこの墨を掌につけて
日傘に手形を押せ」と命じたので怪物は言われる通り傘に手形を押した
 以来、和尚は葬式のときにはその手形の押された日傘を差すようになり、
怪物が雷を落とすことは二度となかった。国中がこの和尚の剛力を
尊敬したという現在でもこの傘は寺に残されており7月の虫干しに参詣すれば
見ることができるという
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浪速夢見頃>日本の伝説(8)♪河童の妙薬

2014-04-05 08:52:57 | 小話

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浪速夢見頃>日本の伝説(8)
♪河童の妙薬
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あらすじ
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河童の妙薬(かっぱのみょうやく)は、日本の妖怪である河童が持つといわれる
伝説上の薬。東北、関東、四国など各地に同様の伝説が残されており
『西遊見聞随筆』『利根川図志』などの江戸時代の古書にも記述がある
[概要]
河童の妙薬の伝説に多くみられる あらすじは河童が人間や馬に悪戯をし
その人間もしくは馬の持ち主に懲らしめられ詫びの印として薬を渡すと
いうものである。河童が悪戯を懲らしめられる際に手を切り落とされ、
後にその手を返してもらいに現れ手を繋ぐ良い薬があるといって手を
返してもらう代わりにその薬を渡したり調薬の方法を教えたりする
こともある。薬の種類には骨接ぎ,打ち身、熱傷に効く薬などがある
河童は相撲が好きで怪我が多いためにこうした薬を持っていると
考えられ水の妖怪である河童が金属を嫌う性質から刃物による切創に
効果が高いなどともいわれる
茨城県小美玉市与沢にある手接神社もこうした伝説上の河童を祀った
ものであり伝説にちなんで手の負傷や病気に利益があるといわれ、
手の治療を願う者は手の形をした絵馬を奉納する風習がある[9]。
また隣町の同県行方市玉造には、この河童が悪戯の際に手を斬り落とされた
といわれる川の橋に「手奪橋」の名が残されている日本各地の郷土地誌に
よれば、かつては伝説にちなむ薬が家伝薬として実際に販売されていた。
代表的なものとして、茨城県那珂郡大宮町(現・常陸大宮市)の
万能家伝薬「岩瀬万応薬」がある。後にはこうした家伝薬の販売は
すべて廃れているがこれは薬事法が改正されたため、および明治時代に
入って医学が漢方医学から西洋医学へ移行し、薬の販売が売薬本舗から
製薬業へ移行したためと考えられている
悪戯の詫びの際に、河童が薬ではなく骨接ぎの方法を教えるという伝説もあり
骨接ぎで知られる新潟県阿賀野市の猫山病院など代々続く接骨医が河童から
接骨法を伝授されたと称していることも多い伝説にちなみ接骨院が河童を
シンボルキャラクターに掲げていることもある
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浪速夢見頃>日本の伝説(7)♪がたがた橋

2014-04-05 08:48:16 | 小話

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浪速夢見頃>日本の伝説(7)
♪がたがた橋
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あらすじ
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がたがた橋(がたがたばし)は、飛騨小坂(現・岐阜県下呂市)にあったと
いわれる橋にまつわる伝説
[概要]
小坂の金右衛門という者の家の前に小さな板橋があり、峠を越えて隣村へ
行くためにさかんに利用されていた。ある夜。金右衛門が家にいると
ガタガタと橋をわたる大きな音が聞こえ、ひそひそと人の声が聞こえた。
こんな夜に峠越えは危険だと思って外を見ると、人影はまったく見えないこうした
不思議なことが毎晩続き、やがて雨の夜には橋をわたる音に混じって、
悲しそうな泣き声が聞こえるようになった。
気味悪く思った金右衛門が占い師に占ってもらったところ、彼の家の前は
隣村を越えて越中(現・富山県)立山まで続いており、立山にはさまざまな
地獄があるので地獄へ墜ちる亡者たちが橋を通っているとのことだった。
これを聞いた金右衛門は、家の者たちとともに橋から離れた場所へ
引っ越すとともに亡者たちを供養し、橋のそばには経塚を立てた
以来、これまでのような怪異はなくなったというなお、このほかにも
音を伴った橋の名は「がたがた橋」「ドウドウ橋」「ドタドタ橋」
など多くあり、川の流れが橋や橋桁にあたる音から想像されたものと
考えられている。そのために飛騨の「がたがた橋」についても同様に
川の流れの音から「がたがた橋」と名づけられていたものが「立山地獄へ
向かう亡者たちが境に架けられた橋の上をわたる音」と後付けの解釈を
施されたもの、とする説もある。立山地獄への通り道にまつわる類話として
岐阜や愛知県の亡者たちが立山地獄へ向かう途中、乗鞍岳山頂の千町ヶ原の
沼で水を飲むという伝説があり「精霊田(しょうらいだ)」と呼ばれた
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浪速夢見頃>日本の伝説(6)♪驚き清水

2014-04-05 08:43:44 | 小話

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浪速夢見頃>日本の伝説(6)
♪驚き清水
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あらすじ
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驚き清水(おどろきしみず)は、普通の池や泉(温泉)と違い人の感覚を宿した
「生きた水」と捉えられた怪異現象とその伝説を指す(死霊がとり憑いた水も含む)
日本各地に伝説が残っており、因果もそれぞれである。この型の話は、
古くは8世紀までさかのぼり、中には間欠泉が正体と見られる内容のものもある。
人の言った言葉に反応するだけでなく喋るパターンも見られる。以下は、類似した
説話を含め[大分県]『豊後国風土記』の記述として「玖倍利(くべり)湯の井」
という名の温泉があり不意に大声を出して何かを言うと驚き鳴ってニ丈あまり
わき上がった。この伝承が、最も古く後世で多様化した。 後世、仏教と共に念仏が
流行したことにより、泉に向かって僧侶が念仏をとなえるというパターンが
増えたと柳田國男は指摘しており、僧侶が日本各地へ回る以前の時代では、
神聖な泉を祀っていた説話とも考えている。 同国(現大分県)には、「念仏水」
という小池があり 「なむあみだぶつ」ととなえると水も応じて泡を立て
ぶつぶつとものを言った。
[宮城県]
岩出山の近くの「うとう坂」のそばにあった池は、「なむあみだぶつ」と
となえて手を打てば、しばらくの間わき上がることが止んだとされる
(岩出山町伝承)多くの場合、念仏をとなえると泉がわき出したといった
パターンの説話が多いがこの話は正反対の事例となっている。
[新潟県]
越後国蓮華寺村の「姨(おば)が井」と呼ばれる古井戸はそばに近寄って、
大声で「おば」と呼ぶと井戸の底から泡が浮かんできて、声に応じるようで
あった。疑う者が「兄」や「妹」と呼んでも知らぬ顔をして反応しなかった
(大津村伝承)同国曾地峠には「おまんが井」があり、そばにより
「おまん」と呼ぶと水面にさざ波が起こったと される。おまんは、この井の
近くに住んでいた某(なにがし)という武士(さむらい)の女房であったが、
夫に憎まれ、殺されたあげくこの井に投げ落とされた。その恨みが水中に
残っているとされる(中通村伝承)
これらは、駿河国(現静岡県)の「姥(うば)が池」と同様身投げした霊が
水中にとどまったものと考えられている。
[群馬県]
上野国伊勢崎近くの書上原には、「阿満が池」という小さな池があり、
その岸に立って「あま」と呼ぶと、その声に応じて、下からわき上がり
「しばしば呼べばしばしば出づ」と答えたとされる
[栃木県]
下野国那須の温泉の湯本から三町ばかり離れた所に「教伝地獄」というのがあり
「教伝かいない」と大声で怒鳴ると、たちまちぐらぐらと湯がわいた。
その昔、教伝という男が山へ薪取りに行く時 朝飯が遅くなり、友達が先に
行くのに腹を立て母親を踏み倒して出かけたので、その罰で魂が
こんな所にいるのだとされる(那須村伝承)
[静岡県]
伊豆国の熱海には、「平左衛門湯」というのがあり「平左衛門かいない」と
からかうと湯がわくとされた。
[兵庫県]
摂津国有馬の温泉には、人が近くへより大声で悪口を言うと、たちまち
わき上がる湯口がありこれを「後妻湯(うわなりのゆ)」と呼んでいた
また、若い娘が美しく化粧をして、そばに行っても怒ってわき立つと評判になったため、
「妬みの湯」と呼ぶ人もいた(有馬町伝承)
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浪速夢見頃>日本の伝説(5)♪安珍清姫

2014-04-05 08:36:54 | 小話

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浪速夢見頃>日本の伝説(5)
♪安珍清姫
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あらすじ
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安珍・清姫伝説(あんちんきよひめでんせつ)は紀州に伝わる伝説で、思いを
寄せた僧・安珍に裏切られた少女・清姫が激怒のあまり蛇身に変化し道成寺で
鐘ごと安珍を焼き殺すことを内容としている。
<安珍・清姫のなれそめ >
時は醍醐天皇の御代、延長6年(928年)夏の頃である奥州白河より熊野に
参詣に来た僧がいた。この僧(安珍)は大変な美形であった。紀伊国牟婁郡
(現在の和歌山県田辺市中辺路:熊野街道沿い)真砂の庄司清次の娘(清姫)は
宿を借りた安珍を見て一目惚れ、女だてらに夜這いをかけて迫る。
安珍は参拝中の身としてはそのように迫られても困る帰りにはきっと立ち寄る
からと騙して参拝後は立ち寄ることなくさっさと行ってしまった
<清姫の怒り>
騙されたことを知った清姫は怒り、裸足で追跡道成寺までの道の途中
(上野の里)で追い付く安珍は再会を喜ぶどころか別人だと嘘に嘘を重ね、
更には熊野権現に助けを求め清姫を金縛りにした隙に逃げ出そうとする
始末である。ここに至り清姫の怒りは天を衝き遂に蛇身に化け安珍を追跡する。
<安珍の最期 >
日高川を渡り道成寺に逃げ込んだ安珍を追うものは火を吹きつつ川を
自力で渡る蛇の姿である。渡し守に「追っ手を渡さないでくれ」と頼んでも
これでは無意味であった。よんどころなく梵鐘を下ろしてもらいその中に
逃げ込む安珍。しかし清姫は許さず鐘に巻き付く。因果応報、哀れ安珍は
鐘の中で焼き殺され<てしまうのであった安珍を滅ぼした後、清姫は
蛇の姿のまま入水する
<成仏>
蛇道に転生した二人はその後、道成寺の住持のもとに現れて供養を頼む。
住持の唱える法華経の功徳により二人は成仏し天人の姿で住持の夢に
現れた実はこの二人はそれぞれ熊野権現と観世音菩薩の化身で
あったのであると法華経の有り難さを讃えて終わる
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浪速夢見頃>日本の伝説(4)♪阿波狸合戦

2014-04-05 08:31:31 | 小話

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浪速夢見頃>日本の伝説(4)
♪阿波狸合戦
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あらすじ
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阿波狸合戦(あわたぬきがっせん)は、江戸時代末期に阿波国(現・徳島県)で
起きたという狸たちの大戦争の伝説。阿波の狸合戦(あわのたぬきがっせん)
金長狸合戦(きんちょうたぬきがっせん)ともいう。
[内容]
天保8年(1837年)。阿波の日開野(現・小松島市)で大木の中に棲んでいる
金長(きんちょう)という狸を大勢の者が燻り出そうとしていた。そこを
通りかかった染物屋・茂右衛門は金長を哀れに思い、その者たちに金を与えて
金長を救った。しばらく後、茂右衛門の家へ奉公に来ていた万吉という
少年が自らを「金長」と名乗り、守り神として店のために尽くすと言い出した
茂右衛門に恩義を感じた金長が万吉に憑いたのであった。以来、茂右衛門の店は
良い仕事や良い客に恵まれるようになった。また、仕事で迷うことがあると
万吉が助言をしその内容は必ず正しかった。こうして茂右衛門の店は繁栄し
金長の評判も高まっていった。何年かがたち、金長は「自分はまだ
無位無官の若造」と言い狸としての位を高めるため、
子分の藤の木の鷹(ふじのきのたか)と共に、名東郡津田浦の
化け狸・六右衛門(ろくえもん)に弟子入りした。六右衛門は四国の狸の
総領であったが、人を化かして物を奪うなどの悪事を働く狸であった。
六右衛門は噂に聞く金長の才覚を早くも見抜き、案の定、厳しい修行の最中で
その才覚はめきめきと伸びていった。子分の鷹ですら、六右衛門の息子の
千住太郎(せんじゅたろう)を上回るほどだった。六右衛門は密かに金長を
恐れ今の内に身内に加えようと考えた。丁度、六右衛門の娘の
小安姫(こやすひめ)が金長に恋焦がれていたこともあって、金長に対し小安と
結婚して自分の養子として跡を継ぎ千住太郎の後見人になることを勧めた。
しかし金長は、茂右衛門への恩を返すまでは他のことに気を使えないとして辞退
殊勝な言い分に六右衛門も反論できず日開野へ帰っていく金長と鷹を見送る
しかなかった。しかし六右衛門配下の狸は、金長をこのまま帰してはいずれ
大きな脅威に育つ、身内に入らないのなら片付けるべきと助言頷いた六右衛門は
数十匹の狸を金長たちのもとへ放った。小安からの報せで闇討ちを知った
金長と鷹は追っ手を迎え撃つ腕に覚えのある金長たちではあったが2匹では
多勢に無勢。鷹は倒れかろうじて金長のみが日開野へ逃げ遂せた金長は
仇討ちのため仲間の狸たちを呼び集めた。早速鷹の息子たちが父の弔い合戦の
ために駆けつけ、日頃から六右衛門の非道ぶりを好ましく思っていなかった
狸たちも立ち上がった。一方で六右衛門側では娘の小安が父の闇討ちを非難し
金長が死んだら自分も生きてはいないとまで言ったが六右衛門は
これを嘲笑。小安は遂に自分の命をもって父を咎めるべく自刃するが、
娘の死は金長に対する六右衛門の憎悪を増長させるだけでしかなかった。
また金長も自分を愛してくれた小安の死を知り、六右衛門討つべしとの
決意を固めた。
勝浦川を挟み、金長軍総勢600匹余り六右衛門軍総勢600匹余りが対峙した。
こうして俗に「阿波狸合戦」と呼ばれる狸の2大勢力の壮絶な戦いが幕を開けた
勝浦川下流を舞台とし、死闘は3日3晩に及んだ空に叫び声がこだまし、
川の水は血で真っ赤に染まり川床は狸たちの死体で埋め尽くされた。
弔い合戦故に押しの強い金長軍に対し六右衛門軍は籠城作戦をとった
守りの堅い城を相手に金長軍は手も足も出ないかに見えたが遂に門を突破し
城内での血みどろの激闘の末遂に金長は六右衛門を討ち取った。
だが金長もまた、刀による致命傷を負った。金長は死力を振り絞って
日開野へ帰り、大恩ある茂右衛門に礼を述べ力尽きた。
これで合戦は終わったかに見えたが六右衛門の息子・千住太郎が修行先の
屋島の禿狸のもとから急遽駆けつけ敗れ去った六右衛門軍を再召集して
日開野へ攻め入ろうとした金長軍もやむなくこれを迎え討ち、
合戦が再開されたが、そこへ屋島の禿狸が仲裁に入りようやく合戦は
終結を迎えた金長は後に、その生き様に心を打たれた日
開野の茂右衛門によって正一位金長大明神として祀られた
現在でも金長大明神は小松島市中田町の金長神社に祀られ、
崇拝者たちに厚く信仰されている
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浪速夢見頃>日本の伝説(3)♪蟻鞍の婆

2014-04-05 08:15:14 | 小話

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浪速夢見頃>日本の伝説(3)
♪蟻鞍の婆
日本の伝説記事リンク
あらすじ
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蟻鞍の婆(ありくらのばば)とは、岐阜県高山市の蟻鞍という
地に住んでいたといわれる老婆についての怪異譚。
[概要]
不思議な術を使う老婆として伝承されており、飛騨考古土俗学会が1935年に
発刊した『ひだびと』には「岩瀧の昔話」として小烏山が噴火の予兆を
示した際 日目に祈りを捧げ山の鳴動を止めたり温泉に馬の爪を投げ入れ
ただの水に変えてしまったりした というような逸話が残されている
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浪速夢見頃>日本の伝説(2)♪天降女子

2014-04-05 08:10:10 | 小話

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浪速夢見頃>日本の伝説(2)
♪天降女子
日本の伝説記事リンク
あらすじ
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天降女子(あもろうなぐ)は、日本の鹿児島県 奄美大島に伝わる天女。
天降女、亜母礼女(あもれおなぐ)天下り女、天の女とも表記され
アモレオナグ、アマオナグ、羽衣美女(はごろもまんじょ)とも呼ばれる。
[概要]
一般の天女のように羽衣伝説と同様の説話が語られている一方、
男性を求めて天から地上に降りて来るという説もある。
それによれば、白い風呂敷を背負って現れその際にはどんな好天の日
でも小雨が降るという 地上で男性を見つけると、にやにやと笑って
妖艶に誘惑する。男性がこの誘惑に負けると命を奪われてしまう。
また天降女子が柄杓を手にしていることがあり その柄杓の中の水を
男性が飲んでも命を奪われ魂を天上へと持ち去られてしまう。
男性が誘惑された場合は、逆に睨みつけてやると天降女子の方が根負け
して命が助かるというまた柄杓の水を飲む際は杓子を持つ掌を上に向け
柄を支えるようにして飲むと命を奪われずに済むという。
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浪速夢見頃>日本の伝説(1)♪浅茅ヶ原の鬼婆

2014-04-05 08:00:49 | 小話

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浪速夢見頃>日本の伝説(1)
♪浅茅ヶ原の鬼婆
日本の伝説記事リンク
あらすじ
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むかしむかし、あるところに おじいさんと、おばあさんが住んでいました。
 おじいさんは山へしばかりに おばあさんは川へせんたくに行きました。
 おばあさんが川でせんたくをしていると、ドンブラコ、ドンブラコと、
大きな桃が流れてきました。おや、これは良いおみやげになるわ
 おばあさんは大きな桃をひろいあげて家に持ち帰りました。
 そして、おじいさんとおばあさんが桃を食べようと桃を切ってみると、
なんと中から元気の良い男の赤ちゃんが飛び出してきました。
これはきっと、神さまがくださったにちがいない子どものいなかった
おじいさんと おばあさんは、大喜びです。
 桃から生まれた男の子を、おじいさんと おばあさんは桃太郎と
名付けました。 桃太郎はスクスク育って、やがて強い男の子に
なりました。 そしてある日、桃太郎が言いました。
ぼく、鬼ヶ島(おにがしま)へ行って、わるい鬼を退治します
 おばあさんにきび団子を作ってもらうと、鬼ヶ島へ出かけました。
 旅の途中で、イヌに出会いました。桃太郎さん、どこへ行くのですか?
鬼ヶ島へ、鬼退治に行くんだそれでは、お腰に付けたきび団子を1つ
下さいな。おともしますよ イヌはきび団子をもらい、
桃太郎のおともになりました。 そして、こんどはサルに出会いました。
桃太郎さん、どこへ行くのですか?鬼ヶ島へ、鬼退治に行くんだ
それでは、お腰に付けたきび団子を1つ下さいな。おともしますよ
 そしてこんどは、キジに出会いました。桃太郎さん、どこへ行くのですか?
鬼ヶ島へ、鬼退治に行くんだそれでは、お腰に付けたきび団子を
1つ下さいな。おともしますよ こうして、イヌ、サル、キジの
仲間を手に入れた桃太郎はついに鬼ヶ島へやってきました
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浪速夢見頃>日本昔ばなし(100)♪浦島太郎

2014-04-04 19:35:40 | 小話

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浪速夢見頃>日本昔ばなし(100)
♪浦島太郎(県不明の民話)
日本昔ばなし記事リンク
あらすじ
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 むかしむかし、ある村に、心のやさしい浦島太郎(うらしまたろう)という
若者がいました 浦島(うらしま)さんが海辺を通りかかると子どもたちが
大きなカメを捕まえていました そばによって見てみると子どもたちが
みんなでカメをいじめています「おやおや、かわいそうに、逃がしておやりよ」
「いやだよ。おらたちが、やっと捕まえたんだものどうしようと、おらたちの
勝手だろ」 見るとカメは涙をハラハラとこぼしながら浦島さんを見つめて
います。 浦島さんはお金を取り出すと子どもたちに差し出して言いました
「それでは、このお金をあげるから、おじさんにカメを売っておくれ」
「うん、それならいいよ」 こうして浦島さんは、子どもたちからカメを
受け取ると「大丈夫かい?もう、捕まるんじゃないよ」と、カメをそっと、
海の中へ逃がしてやりました さて、それから二、三日たったある日の事
浦島さんが海に出かけて魚を釣っていると「・・・浦島さん、・・・浦島さん」
と、誰かが呼ぶ声がします。「おや? 誰が呼んでいるのだろう?」
「わたしですよ」すると海の上に、ひょっこりとカメが頭を出して言いました
「このあいだは助けていただいて、ありがとうございました」
「ああ、あの時のカメさん」「はい、おかげで命が助かりました。ところで
浦島さんは、竜宮(りゅうぐう)へ行った事がありますか?」
「竜宮? さあ? 竜宮って、どこにあるんだい?」「海の底です」
「えっ? 海の底へなんか行けるのかい?」「はい。わたしがお連れしましょう
さあ、背中へ乗ってください」カメは浦島さんを背中に乗せて海の中を
ずんずんともぐっていきました 海の中にはまっ青な光が差し込み、コンブが
ユラユラとゆれ、赤やピンクのサンゴの林がどこまでも続いていています。
「わあ、きれいだな」 浦島さんがウットリしていると、やがて立派な
ご殿(てん)へ着きました。「着きましたよ。このご殿が竜宮です。
さあ、こちらへ」 カメに案内されるまま進んでいくと、この竜宮の主人の
美しい乙姫(おとひめ)さまが、色とりどりの魚たちと一緒に浦島さんを
出迎えてくれました「ようこそ、浦島さん。わたしは、この竜宮の主人の
乙姫です。このあいだはカメを助けてくださってありがとうございます。
お礼に、竜宮をご案内しますどうぞ、ゆっくりしていってくださいね」
 浦島さんは、竜宮の広間ヘ案内されました 浦島さんが用意された席に座ると
魚たちが次から次へと素晴らしいごちそうを運んできます。
 ふんわりと気持ちのよい音楽が流れて、タイやヒラメやクラゲたちの、
それは見事な踊りが続きます ここはまるで、天国のようです。そして、
「もう一日、いてください。もう一日、いてください」と、乙姫さまに
言われるまま竜宮で過ごすうちに三年の月日がたってしまいました ある時、
浦島さんは、はっと思い出しました(家族や友だちは、どうしているだろう?)
 そこで浦島さんは、乙姫さまに言いました。「乙姫さま、今までありがとう
ございます。ですがもうそろそろ家へ帰らせていただきます」
「帰られるのですか? よろしければ、このままここで暮しては」
「いいえ、わたしの帰りを待つ者もおりますので」 すると乙姫さまは、
さびしそうに言いました。
「・・・そうですか。それはおなごりおしいですでは、おみやげに
玉手箱(たまてばこ)を差し上げましょう」「玉手箱?」「はい。この中には
浦島さんが竜宮で過ごされた『時』が入っております。これを開けずに持って
いる限り浦島さんは年を取りません。 ずーっと、今の若い姿のままで
いられます。 ですが一度開けてしまうと、今までの『時』が戻って
しまいますので、決して開けてはなりませんよ」「はい、わかりました。
ありがとうございます」 乙姫さまと別れた浦島さんは、またカメに送られて
地上へ帰りました 地上にもどった浦島さんは、まわりを見回して
びっくり「おや?わずか三年で、ずいぶんと様子が変わったな」 確かに
ここは浦島さんが釣りをしていた場所ですが、何だか様子が違います。
 浦島さんの家はどこにも見あたりませんし出会う人も知らない人ばかりです
「わたしの家は、どうなったのだろう? みんなはどこかへ引っ越したのだろうか?
 ・・・あの、すみません浦島の家を知りませんか?」 浦島さんが一人の
老人に尋ねてみると、老人は少し首をかしげて言いました。
「浦島?・・・ああ、確か浦島という人なら七百年ほど前に海へ出たきりで
帰らないそうですよ」「えっ!?」 老人の話しを聞いて、浦島さんはびっくり
 竜宮の三年は、この世の七百年にあたるのでしょうか?「家族も友だちも
みんな死んでしまったのか・・・」
 がっくりと肩を落とした浦島さんは、ふと持っていた玉手箱を見つめました。
「そう言えば、乙姫さまは言っていたな。 この玉手箱を開けると、
『時』が戻ってしまうと ・・・もしかしてこれを開けると、自分が暮らして
いた時に戻るのでは」 そう思った浦島さんは、開けてはいけないと言われて
いた玉手箱を開けてしまいましたモクモクモク・・・ すると中から、
まっ白のけむりが出てきました「おおっ、これは」けむりの中に
竜宮や美しい乙姫さまの姿がうつりました そして楽しかった竜宮での三年が
次から次へとうつし出されます「ああ、わたしは、竜宮へ戻ってきたんだ」
 浦島さんは、喜びました。 でも玉手箱から出てきたけむりは次第に
薄れていき その場に残ったのは髪の毛もひげもまっ白の
ヨポヨポのおじいさんになった浦島さんだったのです
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