リカリズムな日常

6拍子に彩られた破天荒な毎日

くゆる

2011年07月14日 | プライベート

私のタバコにはルールがあって。

「一人の時のみ」
「1日3本まで」

ってのが鉄則です。

なんで3本なのかって三位一体の願掛けとしての意味合いもありますが、それ以上はただの惰性で吸ってしまいそうで嫌なのです。

だから、どなたかと一緒におしゃべりしながら、とか
本読みながら、とか
そういう吸い方はしたくない。


瞑想に近いものがあると思います。


食事のあととかもなんか違う。
1日何度も瞑想するのも違うし。


ネイティブアメリカンたちが暴走しそうな霊力を上手に逃がすために喫煙したように、
私にも似たような作用があるのかもしれません。

人の指先からは湯気のようなけむりのような、そんな白いエネルギーが常に放出されてます。
(かざした指の背景を暗くしてじっと指先みてると見えてくるよ。
徹夜明けとか疲れてるときとかも見やすいかも。頭ボーっとしてるときくらいが見やすい。)
墓前で手を合わせ、お線香の煙にのせて祈りをささげるのにも、煙と香りと放出エネルギーがリンクして思いが通じやすくなるからなのかもと思っています。

私が喫煙するときも、そんな不思議な空間を感じます。
室内で吸えば、たゆたう煙が私にシンプルな願いを教えてくれるし、
外で吸えば、風がゆっくり肌にまとわりついて誰かの想いを伝えてくれる。

そんなのニコチン効果だよ、っておっしゃる方もいらっしゃるでしょうね。
まぁそこは、結縁ワールドだと思ってあきらめてください。笑


喫煙を神聖なものだと考える私にとって、吸殻を排水溝やら道端に捨てる方々をやはりどうかと思ってしまうのです。みっともないよー。


私の喫煙についてどう思うかと夫にたずねたところ、

「いいんじゃない?」

とだけ、返ってきた。その心は?と問うと

「そりゃもう、似合ってますから。」

と、笑う。

相変わらずこの方はなんでもお許しになる。。。汗


ちょいとお待ちよ車屋さん ②

2011年07月12日 | 鑑定スケジュールやスピ話

「籐子さんと車屋の話は、飯炊き女たちにはバレバレだったよ。」

先週、奇跡のタイミングで都合があってお茶した妹は、当時の顔にすごく近くなって私に話してくれました。

前回こちらに「籐子」って名前だったころの前世話したかと思います。
読んでみたい方はこちら→ちょいとお待ちよ車屋さん

どうやら妹は私がキセルを買いに行ってもらうようお願いした、給仕班のサブリーダーだったようです。
彼女の名前はおくにさんだかおまつさんだか。
リーダーの片腕としててきぱき働く、凄腕女中さんでした。

なんでそんな話になったかって。
妹は私と話してると霊感スイッチ入っちゃうようです。
籐子時代の詳しい話もしてないのに妹からサクサクと展開をしゃべってくれる。
あれはちょっとしたホラーでした。いやびびった。


おまつさん、籐子が大嫌いだったとか。
ド天然で空気読まないお嬢様はそれはそれは大変だったようです。
こっそりと持たせたキセル購入金は飯炊き女の一ヶ月のお給金にも近い額で女学生のクセしてこれがこずかいの額かい!ってイラっとしたとか。
馬車しか通らない通りのとこにしか豪華なキセル屋はなくて、汚い格好を少しでも小奇麗にして徒歩で買いにいったのだとか。はいったことない店でとても心細かったとか。
店員がタキシード着ててじろじろ見られてやだったとか。
申し訳なさ大爆発です。


「あたし、車屋好きだったんだよねー。」

・・・衝撃の事実。
そんな人にキセルを買いに行ってもらっちゃったとは。さすがド天然。
買ってきてもらったキセルの絵も書いてもらったのですがぴったり一致してました。

そっからはおまつさんと車屋談義。
私の知らない車屋をよく見て知ってました。

男衆女衆が仕事のあと集まって飲む集会場みたいなとこで車屋に酒を進められ、そのとき肩に置かれた手で惚れてしまったのだとか。
仲間内では酒を上機嫌にのみ、騒ぎ、豪快に笑う男だったそうです。
そんな姿は仕事場では一切見なかった。な。とつぶやくと、
「あれだよ、クールに仕事をこなす俺、かっこいい、って酔っ払うタイプだったから。」

彼には親が決めた婚約者がいたこと。
籐子がやっと嫁に行ったあと、あとを継いだ若旦那も嫁をもらって籐子専属車屋を若旦那の嫁専属にしようとしたのだけれどそれを嫁さんがちょっと顔を曇らしたのだとか。「籐子さんのお古ですか?」と。
それじゃあ自分辞めます、と車屋はそれを機会に辞表をだしたのだとか。若旦那は止めたけれど聞かなかったとか。
「あいつが辞めたの籐子さんのせいでしょー」ってうわさでもちきりだったとか。
そのあと車屋は嫁さんもらってどうなったかわかんない、とか。

おまつさんは大旦那より若旦那の采配っぷりに惚れ込んでいたらしく、若旦那の生活のいろいろも教えてくれました。
籐子からすると、お兄さん。の話。
「わけ隔てなく話しをして心配ってくれる人でね」とか。「嫁さんにぞっこんでね、片思いだったけど」とか。「書斎がいつもタバコとジッポの油のにおいがしてね」とか。「レコード山ほどもってたよ」とか。
若旦那はタバコの吸いすぎで肺がんで若くして亡くなったとか。

籐子の姿を教えてくれました。
日本結いのあたまに長袖の真っ赤なドレスで、蓄音機でジャスを聴いてた、とか。


でも、嫁に行ってそのあと籐子がどうなったかはおまつさんも知らないのだとか。

そこが未だ謎。


「・・・なんで車屋じゃなきゃ、ダメだったわけ?」

おまつさんに時代を超えて問われました。
その横顔は私のよく見知った妹のそれでなく、36歳くらいの当時の女の顔をしておりました。
これはちゃんと答えねばと思ったのですが、むにゃむにゃとしか、いえない。
なんでだろ。。。。
ボンボンはまわりにいっぱいいただろうに、ぜんっぜん魅力的に見えなかった。

考えてみたら、父親のこともお兄さんのことも記憶に薄いのです。多分母親はもういなかったように思います。
蝶よ花よと育てられて、自分に深く分け入ってくれる殿方がいなかった。身内にも。
そんな中、毎日のように連れ出してくれて守ってくれてるように感じた車屋にだんだん惹かれてしまったんでしょうか。
結局私は、自分の人生に深く干渉してくれる男を好いてしまうようです。


・・・前世は前世、今は今。

今日は自己満足のためだけに書きました。
頭整理してる最中ですのでどうぞお許しを。


世界で唯一の理解者なんて

2011年07月11日 | プライベート

この世にいなくてもいいのかもしれません。

出会ってしまったら、そのほか全ての存在が「他者」となってしまう。
人と人はもともと違う生き物。互いの間に聖なる深遠が存在します。
埋まらない溝を知恵をしぼったり思いあったりして埋めてゆくべき。
それこそが美しいのでしょう。

どこへいってもトラブルメーカーになる自分にずっと苦悩しながら生きてきて、理解者に出会ったことで存在を全肯定してもらえたような気分になり、少々調子に乗ったようです。
たとえ全てを説明できたとしても。
思いを理解できる人など、もう存在しない、理解されるわけがない、そう思ったほうが私にはちょうどいい。

理解しあえないから、人は思いやりを持ち合う。ほんの少しだけやりとりできるあたたかさを大切に生きる。
私もそうやって、十字架を少しでも糧にしてゆけたらいい。
とはいえまだまだまだ、考えがまとまりません。
全部、全部、クソッタレと叫んでしまいたくなる自分と
そんなままならない全てこそに愛と幸福があるんだと思いたい自分と。




あの風を忘れることができません。

たてがみを揺らして誇らしくあびた、あの風を。

それがただの勘違いだったのか真実だったのかはこれからの私で決まります。


とりあえず、人との間にある深くて果てしない溝の深さを計るより、
遠くの山の峰に向かって歩いてみようと思います。


結縁お休みのお知らせ

2011年07月10日 | 鑑定スケジュールやスピ話

夏まっさかりですね。
私は少々身体バランスを崩してしまいました。

桜の鑑定スケジュールも来週お休みをいただいてしまいました。
ご予約いただいていたお客さま、本当に申し訳ありません。
再来週あたりには復活する予定です。
ご迷惑おかけして申し訳ありませんが、再来週以降にご予約いただくようどうぞよろしくお願いいたします。

とにかく一日中寝てます。
何もできず回復を待つのはつらいですが、クーラーをつけたり消したりしながら時間をやり過ごしています。
こういうとき栄養をつけたほうがいいのか、無理して食べないほうがいいのかよくわかんないですね。
とにかく寝まくって、眠れなくなった頃に猫とちょっと遊んでまた眠る。

とはいえ、こうやってブログも書ける。
なんとなく、こうやって公共の場に何かを書くことで少し気持ちがまぎれてます。
ま、こうやっていればそのうち回復するでしょう。
少しずつ元に戻れるようがんばりますので、今後とも結縁をどうぞよろしくお願いいたします。


紫リーボン空に舞う

2011年07月09日 | プライベート

ブログを書かなくなってはや数週間。
そろそろ筆をとろうと編集画面に入れば、アクセス数のわりに閲覧数が高い。
私に興味のあるどなかたかが深く読み進んでくれたのでせうか。

そんなに私に興味があるなら、ぜひ直接会って下さいまし。
私は逃げも隠れもいたしませぬ。
・・・なんて、ごく一部の方へ向けて書いても迷惑ですね。すみません。


最近タバコを覚えました。
肺に入れるのはまだちょっと怖いのですが、それでも口に広がる味がすきです。
喫茶店に入って、手帳も携帯もひらかずにただ煙をくゆらす時間がなんとも言えず心地いい。
雑多ないろんなものが煙で微粒子になってそらに飛んでく感じがする。
それがただの気休めでも。

頼んだパンプキンパイが一気にまずく感じてびっくりしましたけれど。

このままタバコが習慣化するかどうかはともかく。
妊娠する可能性のある婦女子としていまさらタバコを覚えるなんて、ってのはあるのですが。
言葉にできないものが毒をはらんでしまう前に毒で浄化。まさに毒をもって毒を制す。
場の浄化にも使えるから、常々タバコは持ち歩きたいなぁとは思っていたのですが。
こんな形で実現するとは、人生面白いものです。

夜の窓に映った自分が、タバコをすっててもたいして違和感なかったので、ああ何かがそれに追いついたのだろうと思うことにしました。


うちのバンドに「幼稚なタバコ」って曲があるのですが、
メロディに無理やりのせた歌詞をいまさらですがすごく残念に思うことがあります。
それでも、結構いいこと言ってるんだけどねー。

曲やノリが複雑で、でも面白くて、歌詞がちょっとわかりにくい。
そんな音源を買って歌詞を読んだら、以外と深くてどろどろしててこんなことうたってたのか!と驚いてもらえたらあたくし幸せ。

わかりやすいメロディーにわかりやすい歌詞をのせる重要さももちろん知っていますが、

なんどでも確かめて、その都意味が違うダヴィンチコードみたいな曲を世に残すのが私の天邪鬼根性をくすぐってしまうのです。

それくらい、追っかけてきてほしいのでしょう。私を。

写真はねむねむ千秋。