リカリズムな日常

6拍子に彩られた破天荒な毎日

Zeal of rising 、かあ!

2009年08月31日 | Weblog
サックスのなべ氏がマイスペを更新してくれました。
そこで見つけた、ファーストアルバムの英語タイトル。
「Zeal of rising」。
成り上がりの情熱がそんなかっこいいタイトルになるのね。

そのほかにも。


Childish cigarette  (幼稚なタバコ)

Japanese syllabary brilliance(艶華)

とか、

あー、いい!!
いいわあ~。

よかったらチェックしてみて!


写真は近所の仲良し猫。
顔アップ過ぎてちょっとこわくなっちゃったけど。

とうとう、予選当日です!

2009年03月08日 | Weblog
最近告知ばっかでちゃんとブログかいてなくてごめんね。
いやぁ、幸せモノな毎日です。
芝居や音楽のことだけ考えていられる。
髪トリートメントしてスレッチして、
大根あめ(喉に超いい)なめて
マスクして喉にハンカチ巻いて
背中と胸にヴェポラップ塗って寝てます。
すごいカッコウです笑

あー、お洗濯したい。
お掃除したい。
お部屋しっちゃかめっちゃか笑
でも、しっちゃかめっちゃかになるほどに
本番が近づいて来てるなぁって思います。

私の過ごした6年は一体何を得て、何を失ったか。
それを見極めるのが今月です。

そのお話はまた後日。

今日は、予選当日よ
ぜひぜひ、応援にかけつけて欲しいです!!





【Emergenza Music Festival 予選】

場所 渋谷aube
〒150-0042 東京都渋谷区宇田川町4-7
トウセン宇田川町ビル5F
Phone 03-5459-2896
(渋谷東急ハンズ向かい1Fハーレー屋が入ってるビルの5F)

open 18:00 start 18:30
前売 2000 当日 2500

SexRexの出番は20時頃を予定しています

チケットのとりおきは本日14時までとなっておりますので、
ご来場のご予定のお客様、お早めにご連絡をお願いいたします。
また、当日券での入場も可能です。

時にはスピな話しを

2009年01月24日 | Weblog
私のショーバイ道具です。

道具にはメンテが必要なように、タロットにも浄化が必要なのです。
手前の女神たちのオラクルカードには浄化に薔薇を所望されました。
ちょうどよかったのでこないだいただいた誕生日の薔薇をおすそ分けしました。

私が鑑定師などをやっておりますと、
「俺も占い師になろうかなぁ。ただ話し聞いてればいいんでしょ。」とのたまう方がおりますが
私をからかいたいだけにしては随分と業の深いことをおっしゃるなぁと感心してしまいます。
なので私は「採用試験、受けてみたらいかがです?」とにっこり笑っておすすめしますが、その後の責任は負いません。


人様の生き筋を視て説くという職業は
鏡を見るように「視られる」ことでもありますから。

それは霊能師も学門占術師も同じことです。


ステージに立ってつま先からてっぺんまで真っ直ぐにさらけ出す、
そんな緊張感を愛してやまない私には非常にスリリングで魅力的な職業です。


とはいえ、私はあくまで入れ物ですからね。
媒体、というか。
だから霊媒なんす。
シャーマン気質を維持するには、まわりの理解と環境が必要です。
私はもっぱら降りてくる誰かにおまかせし、自然と整ってしまう環境を受け入れてせっせと器を磨いていればいいだけ。

あとはベルトコンベアーのように流れてくる苦労と困難をこなすだけです。
簡単でしょ?
そのかわりあれですよ、人を騙そうとか悪巧みしようとかいう気持ちで鏡をのぞけば、
同じ影がのぞき返してくることもお忘れなく。



あーあ、てかそんなこと言うやつの言葉なんか真に受けなきゃいいのにな。
あたしも随分とマメな女だな。

人に救われることのありがたさ

2009年01月20日 | Weblog
「ほんと、ああいう人たちの手の早さにはびっくりしますよね。」


そういって柔らかく笑う彼女。
私の新橋での体験を話したところ、彼女は歌舞伎町で似たような仕事をしていたらしい。
しかも、私よりも過酷な状況で数年働いていたんだっていうから度肝抜かれた。

今はその職場を辞めて、探しに探しぬいたお仕事を楽しんでいる。
確かに当時よりもずっと肌がきれいになった。
ずっとやわらかくわらうようになったなぁと思う。


その子の歌舞伎町での体験を聞かせてもらって、なんだかとても気分がラクになった。
私よりずっと年下の彼女がこうやって笑って過去を話しているんだから、
新橋でのたった一日の経験を嘆いていられない。


人に傷つけられて、そして人に救われる。
本当にこの世の関わり合いは面白く、ありがたい。




ずっと、いえなかったことがあった。
私は本当によく仕事を変える。
ひどいときには3日でダメになったこともあった。
朝起きて、目は覚めているのに起き上がれない。
休みますの連絡すらも入れられない。
携帯に仕事先の電話番号を表示しているのに、発信ボタンだけが押せない。

もちろん、こんな状態で社会で成り立つわけがない。
社会人なら休むには絶対に理由が要る。
理由がわかっていればもっとラクになれる。
そこで嘘をつかなきゃならないのが更に苦痛を増す。
自己嫌悪のループにどっぷりつかってゆく。
同時に企業や職場ってものに対してどんどんうんざりしてゆく。

そのクセを、6年かけてじっくりと体にしみこませて来てしまった。

原因は散々探ってきた。
けれどどれもこれも効果をなさなかった。
その結果、職場の人に対して厚い壁を作るようになり、
借金がいつまでたっても減らなかった。


そうやって。
ある日また、欠勤をしてしまった。
飲食店でのバイトだった。
インフルエンザだと偽った。

そこの店長は「分かりました、よくなったらまた連絡ください。」と
優しく対応してくださった。



なんでだかわからない。
なんとなく、その店長には今まで職場で会って来た人たちと違うものがあったんだと思う。

後日改めて仕事じゃない日に会いに行き、
告白してしまった。

実はインフルエンザなんかじゃなかったんです、ってことを打ち明けた。



「僕も同じ心理で仕事辞めたことがあったんだよ」


と、店長も打ち明けてくださった。


店長はうつだったんだと言っていた。
でも薬の副作用が怖くて頼りたくなかったんだと。
そして病気であることも認めたくなかったと言っていた。

すごく、良く分かる。

聞けば聞くほど私と同じだった。



ずっと、理解してもらえない人たちのなかで
自分の行動を自分でも理解できないまま苦しんできたけれど。



そうか、私うつだったのか。



店長はこうも言ってくれた。

「誰が代わりに働いてくれるわけでもないからさ、
ちょっとずつ、治していこうよ。
ウチでよければ協力するよ。」



出勤できそうにないときは連絡さえくれればいい。
それ以外はなんにも心配しなくていいと言うのだ。


ほんとですか??


私に都合良すぎて、未だに信じられない。

私はそのお店にレギュラーでお世話になることになった。



店長が教えてくれたそのうつの心理はこうだった。

「リカちゃんってさ、昔から人よりも良く出来る子じゃなかった?
ずっと、平均値よりも高い結果を残してこれたんじゃない?」

そういう人間は人よりも劣る場面に遭遇すると、「自分、ダメだ」と思う基準がずっと厳しくなるのだと。



自分で自分をホントの意味で許すことが出来たなら。
きっともっとラクになれる。



すんごい簡単なことなようでいて、私には究極に難しいみたい。




それにしても。
店長の存在はものすごく、大きかった。
すごく大きい。

期待にこたえよう、とかそんなもんで働きにいっちゃもったいない。
しっかり甘えて、うつとやらを治していこうと思う。













新橋のハゲ老犬との一夜

2009年01月20日 | Weblog
ブログ更新、およそ二週間ぶり。
書きたくてもなかなか言葉にならずに時間がかかってしまったよ。

おかげでいろんなことがありました。

まずは。
30歳目前にして初体験がいくつかあったのでそれをぽつぽつお話します。

占い以外の定職を失った私は先月からスポットの仕事をしています。
その日に働いた分の時給をいただいてその日限りのお手伝いをして帰る、というアルバイト。
主に飲食店を転々としております。
居酒屋やらショットバーやら。
数年ぶりの飲食店はとても楽しかった。
オフィスでは感じることのできなかったやりがいや勤労の幸せを感じておりました。

そんなある日。
新橋でのショットバーのお手伝いのお仕事が入りまして。
いつものごとくいそいそとお店に入店したのですが。
そこでびっくりするほどひどい目に遭いました。

まず、お店が汚い。
ここでメニューにある料理をするのか?って考えただけでぞっとするほど汚い。
前日のお皿もグラスもそのままにされてたものを洗い、片付ける仕事からその日は始まりました。

そこの店長はアルバイトに働かせて自分は延々お店のビールをかっくらってる。
あることないことわめいては下品に笑ってるだけで、となりにある焼き鳥屋から取り寄せたつまみをほおばってたっけ。
その焼き鳥を狙ってカウンターを小さいゴキブリが走ってったって店長は無関心。
多分、いつものことなんだろうて。



その日は新橋の土曜日ってこともあって、お客さんが全然入らなかった。
アルバイトのもう一人の女の子と一緒に客寄せに外に出てっても全然お客さんつかまらず。

そうなると、やることも終わっちゃった我々は飲んだくれ店長のお相手をするハメに。
禿げ散らかした54歳のオヤジを誰が好き好んで話し聞くかってのを店長は分からずにどんどん気分よくなってっちゃう。
私がバンドやってるってことがわかったら、私に音楽の話を偉そうにしだした。

「角川の社長と副社長が、ここの店に音楽聴きにわざわざ来るくらい、俺の選曲はセンスがいいんだ。」

とまたわめいて、

「ジャズのルーツはなんだと思う?」

とか、ワケの分からない質問を知った風に私に飛ばしてはビールグラスを傾けてる。
さぁ、わかりません、店長はなんだと思いますー?なんて返すと

「俺はTAKE5だと思う。」

と、おだてるにも難しい答えを返してきやがった。
それ、曲じゃんか。


哀しい男だ。



それからは自分が抱いた女だという美人ママの写メや
奥さんだという美人な女の人の画像や、
そんな彼女たちとのベットで撮ったという写真まで見せてきやがる。

嫌悪感通り越して、哀しさと寂しさに心底あきれた。



そこまでは別によかったのね。
だって私のお店じゃないし。
一晩限りのお手伝いだし。


いい感じにビールがまわってきたのか、
オヤジは調子に乗って私のケツを触ってきた。

あんまりびっくりして、とっさになんて反応していいか分からなかった。

オヤジはどんどん調子にのる。

後ろを通るときにケツをさわるだけじゃなく、わざわざ重たい酒瓶を無意味に持たせて
「しっかり持ってろ」と言って今度は乳首をつついてきやがった・・・!

必死に抵抗し、拒否するも、オヤジにはオカズにしかならない。


全身一杯に嫌悪感と恥ずかしさがこみ上げる。



そこでのあたしの心理は。
いい加減にしやがれ、って気持ちよりも。
嫌悪感や恥ずかしさに屈服する方がずっと悔しかった。
だから大げさに拒否したりカマトトぶるんじゃなく、
てめぇに触られたぐらいじゃなんも感じねぇ、こんなことは屁でもねぇんだって姿勢を貫いてしまった。


なんとか定時まで働いて。
その日の稼ぎをもらって帰ってきた。

帰って。
そこから立ち直るまでに2日もかかってしまった。




今こうやって思い出すときにこみ上げるのは悔しさばかりなんだけれど。
当初の私は自己嫌悪とやり場のない怒りで一歩も動けなくなっていた。

ああいう仕事をするハメになった自分の生活を悔やみ、
ああいう場面をうまくかわせない自分を責めて、
その日の金欲しさに嫌悪感を我慢した意気地のなさを責めた。
そしてオヤジから与えられた屈辱感を払拭したくて、生々しい記憶を頭から追い出すのにやっきになってた。

やっとストレートにあの禿げオヤジを憎めるようになったのは2日後。


2日もしないと、オヤジにケツ触られたことを怒れない。
どんだけ??



私がこんな性格だから、調子にのる男が多いんだと反省。
男なんてものは、その瞬間に怒らないと何を怒られてるんだかわからない、
犬みたいなものなんだって思うようにした。


世の男性諸君よ、そしてジェントルマンよ、許しておくれ。
しばらくはこの心理で私の性格に打ち克とうと思うんだ。

記憶の綾めぐり

2009年01月01日 | Weblog
1月1日。
今年の抱負をぼーっと電車に揺られて考えていた。
とりとめのない記憶の綾の中、思い出したことは私の初宮参りだった。


私は初宮参りの記憶がある。
生まれてから33日目(男の子は31日目)に近くの神社に赤ん坊を抱いてお参りに行くお参りのことで、産土神(生まれた土地近くにある神社のこと)に生まれた報告をするイベントだ。

小さい頃そのことを母に話してもにわかに信じて貰えなかった。
まぁ、そりゃ大人はそう思うだろう。
でも覚えてるんだから仕方ない。

雨上がりの日だったらしく、境内は濡れてぐちゃぐちゃだった。
えんじ色の晴れ着に白足袋の母は私を抱きながら歩くのに難儀していた。風が冷たかったが寒くはなかった。
大人たちの会話は言葉として記憶されてないが、内容や雰囲気は十分伝わっていた。
全体的に丸くてふんわりしたイベントだった。


私が連れていかれたのは実家すぐ近くの春日神社。
うちのご先祖とも縁の深い神社だ。



今年もご挨拶に行けなかったな。。。。



バンド活動が忙しくなって世間が休みの時期こそライブが出来るのは本当に有り難いこと。
でもちょっとだけお参りに行けない自分を悔やむ。

思い出せたことに感謝して、心の中でお参りをしてみた。



あんたが生まれた時、世界は丸くてふんわり幸せで、誰もが笑ってたんよ。
自分を大事にしなさい。
って言われたような気がする。

今年の抱負が、きまりました。


皆さんは、初詣もう済みましたか?
近所の神社にもいかれました?

なんでもない朝

2008年12月22日 | Weblog
テンプレートをクリスマス仕様にしていたのだけれど
飽きてしまいました。

飽きたー。


植物にお水をあげて
私にもお水をあげて
また今日も一日始まります。


泣いても笑っても29歳の最後の時間は差し迫ってきます。

今朝のお茶はまた格別にうまい。。。。



パンケーキが食べたくて

2008年12月17日 | Weblog
パンケーキが食べたくて

いそいそ準備をした

喫茶店に似合いそうなかわいい服を着て

ときめくような気持ちとエナメルのハンドバックを持って

さぁ、おでかけしましょ、って。


パンケーキが食べたくて

いそいそやってきたお店で

キューピー顔の店長が残念そうに言う

「パンケーキは終わってしまいました」


あわててメニューの中を探して

マロンケーキと紅茶をオーダー

かしこまりましたとキューピー店長がキッチンに向かった後に

ちょっとだけため息をつく


でも

出てきた紅茶は甘くてあたたかくて

マロンケーキは可愛らしくて

いそいそとおでかけしたことは

とてもラッキーだったと気づいたのでした




目の前のにぶら下がるニンジンはとても残酷だけれど

走った距離は決して無くならないのね

3年分の功罪

2008年12月13日 | Weblog
今日は自分の為だけにブログを書く。
読んでいて気分が悪くなる人もいるだろうから
そういう人は読まないように。お願いします。
それでもなぜ此処に書くのかというと、
自分だけではもうどうにも対処方法がわからないから。


金銭的な窮地に追い込まれても幸せを感じていられる寛容さはあるのに

繋がりきれない人との間に悔しさやもどかしさを感じる。

その思いはどうにもやりきれない。

仕方が無いのだ、と諦められたらどんなに楽だろうか。


もっと理解してほしいのだ、認めて欲しいのだという
思いが強くなればなるほど、私は伝える言葉をなくしていくようだ。
そして思いが強いゆえに、相手にぶつけすぎてしまうのではないかと臆病になる。
そうして厳選された言葉をそろりそろりと煙のように吐き出すのだが、
大抵はするする通り抜けてぶつかりもしない。
内容も要領を得にくいために相手をイライラさせてしまう。
もしくはその場のオモシロネタとして笑われて線香の火のようになかったことになる。
私自身はじりじり燃え続けて消耗していく。
着火する機会に焦がれたまま、燃やすものもなくなっていく。

結果、私は以前よりもっと話せなくなっていく。
話して恥をかくくらいなら我慢しよう、などと馬鹿げた選択をしてしまう。


こんな状態がスマートではないことは百も承知だ。
そして理想とする姿でもないからこそ、こんな様は見せないようにしてきた。
けれど、それが功罪だった。


プライドが高いのだとある人は言う。
そうかもしれない。
ならばそのプライドをもって確固たる理想の為に勇気を持って吐き出し続けるべき。
最初は私だってそうしてきた。

が、人間は。
理解できないものや理解に苦しむものはいとも簡単に排除する。
自分の小さいプライドを守るために。
さらにそこに、私のパーソナリティまでリンクさせて片付ける。
「霊媒だから。」「リカちゃんだから。」
と。

この悔しさがどれだけのものか、わかってもらえるだろうか。
どうしたら伝わるのだろうか。

伝わらないのは、私が人として魅力がないからだ。
実力もないからなのだとそう思って必死に磨いてきた。
けれどそれは無駄な遠回りだった。



煙しか吐けない情けない私にも原因はあるが、
それを厄介だからと取り合わなかった相手にも非はあるんじゃないか。




ああ、書き出せば書き出すほど、己のアホさ加減にどんびくわ。
それにそこまでしてそんな人たちとかかわりあう必要は本当にあるのか?

こんな自分はもうイヤだ。
こんなことで悩んで歌えなくなる自分もいやだ。
ふざけてんじゃねえぞ、あたし。


黙することも秘することも大事だけれど
情けないが、私にはここが第一歩なんだ。


読んでくれた人、申し訳ない。
あたしは所詮、この程度の人間だ。

性質

2008年12月07日 | Weblog
階段踊り場においておいた幸福の樹の葉っぱが
茶色く変色し始めてしまい。。。
びっくりして原因を調べたところ。

「幸福の樹は冬場に弱い」

とのこと。
やっべ。知らんかった。
さっそく温かめのお部屋に移動。

その子の性質を知るのはとても大事なことね。

ごめんよ。
寒かったよね。