リカリズムな日常

6拍子に彩られた破天荒な毎日

まさに本音

2011年11月18日 | 本音と実情

こないだ出た渋谷多作。
久しぶりにアコの世界に還ってきたなぁと実感したのは、アコ専用のハコだったこともそうですが。
対バンの皆様の空気と、お客様の空気に触れたからであります。

きれいにおさまっているステージを安心して見る、応援する人たちと、
きれいにおさまって歌い奏でることで一定したクオリティを維持することをよしとするアーティストたち。

「きれいに」ってとこは、なんというかいい意味も悪い意味も含んでます。
つーか、これってあたしの好みの問題なのだけれど。


やっぱ、金払ってわざわざ音楽聴きに来てくれてるなら、人生変えてしまうくらいの影響力を差し出したい。
もしくは、「あんたの歌がだいっきらいだ」とアルコール投げつけられるくらい、大物になんなきゃなのだ。


あたしの目指すとこは、「きれいに一定のクオリティで影響力を出す電波さん」でありたいわけで。
なんだろうな、すごく消化不良だったんだよな。
あたし、この世界にこびたよな?きっと媚びて緊張して思ったもの差し出して否定されるの怖がったよな??ってなった。
ちくしょう。


でも、やっぱり客商売ですし。
自己満足だけじゃアレです。
そうやってアコの世界を飛び出たんじゃなかったっけ??ってぐるぐるしそうになりました。


足りない。絶対的に足りなすぎる。

せっかく戻ってきたんだ。ここで逃げ帰りたくない。


でも。これは心の中にしまってあるんよ。
お客様一人も呼べなかった夜だけど、拍手はどのアーティストよりも多かった、ぜ。と。

・・・って書いちゃってるじゃん!な。あはは。


死への憧れ

2011年11月08日 | 本音と実情

こないだ、鑑定のお客様で彫刻家の方がいらっしゃった。
ブロンズ像を彫っているという方。65歳。
とても65歳に見えない外見だった。

80歳くらいにも見えるし、
40代にも見えた。

それが彼女の全てを物語っているかのようだった。


彼女は、うつ病を抱えながら芸術と向き合って必死に生きてきた。
神様に愛された者のよくあるパターンで、それは波乱万丈な人生。

彼女は「先生、私もう死にたいんですよ。」という。
「でも、生きなきゃならないならあとどれくらい生きるかを知りたいし、それまでに生きてく計画も立てなくちゃならないでしょ?」

といっていた。

その口調には、じめっとした自己破壊願望は見当たらない。さばさばしていて小気味よいくらい。
もうほとほと疲れたって言ってた。


堅いものと全力で向き合ったであろうカラダはとても重たそう。
関節も上手に曲げられないようだ。
でも、髪の毛はふさふさしていて、眼光も鋭い。
死ぬに死ねないエネルギーがまだ感じられる。

ああ、なんだろうか、この気持ちは。

運命を背負い、自らの使命に全力で燃えたものでなければ感じられない、
「死への憧れ」。

それが、ちょっとだけ、わかった気がして。

私は、彼女の人生を鑑定でしか垣間見てないのに、その疲労感に共感してしまう。
失礼だと自分を戒めても止められない。32歳の小娘が何言ってんだって思うのに、どうしてもとまらない。
こんな共感は彼女への冒涜につながってしまうかもしれないのに。

でも。なんとなくわかるんだ。

使い切って、使い切って、使い切って、そしてやり抜いてやり抜いて、
そして終わる時の死の接吻は最上級の悦楽。

その瞬間に、憧れる。


そんな彼女でもまだやることが残ってる。それが見えちゃった。
「まだやらなきゃならないのね。」と彼女も言っていた。

私がその境地に立てるのはいつだろう。
あとどんだけ頑張らなくちゃそこに行けないのかなと、遠くの頂上を眺めるような気持ちでなんとなく考えた。

まぁ、ただの甘ったれとも言えるけれど、ね。


「純粋な創造」とは

2011年11月02日 | 本音と実情

拓は昔よくこんなことを言っていた。
「曲を書いてる途中でどっかで聞いたことあるフレーズだなって気付いちゃうと、もうその先が書けなくなる。
世に出てないフレーズだけで曲を作ろうとしても、結局どっかしらで似たり寄ったりになっちゃうんだ。」
と。

それは非常に耳のよい彼ならではの悩みだろうと思っていた。

私だったら。たとえどっかで聞いたフレーズに似ていると気付いてしまっても、後で誰かに指摘されたとしても。
この心から頭から純度高い状態で産まれたことを知ってさえいれば動揺はない。
そこになんらかの曇りがあったとしたら、きっとやぶって捨てたくなるのだろう。
だから、大丈夫。と考えている。

なぜならば。
既に世に出回っている作品から理論から、それに汚されない創造なんて、本当に出来るだろうか?
答えは否。
意識的にも無意識的にも、絶対にどこかで影響されているのだ。影響されず生きてこれた人にきっと曲は書けない。
それら全部含めて。好きも嫌いも環境によるものも後付けでも、それら全部含めて「これが私です!」と叫べる勇気が作品になるのだろう。


そう。勇気。
これが、「純粋な創造」への必要不可欠な要素だと私は思っている。
正々堂々と、潔く。
力み過ぎても抜き過ぎても違うし、小さくまとまりすぎても大きく見せびらかしても、立ち止りすぎても進み過ぎても壊れてしまう。
最強のバランスが、それを後押しする。

拓だって、そうやって自分の葛藤と闘いながら作品を生み出すことをやめないでいる。
そうして上記のような悩みは口にしなくなっていった。


「純粋な創造」は、作曲や表現活動だけにとどまらず、価値観や道徳観、人生観や倫理観にも当てはまると思っている。
人が人として成長し生きてゆくのにそれらは持たずにはいられないものだ。
人は、呼吸し、生きて感情を揺らめかせるだけで、別に芸術に関わってなくったって、すでに表現者なのである。

けれど、いつも勇気だけで気を張って生きるなんて疲れちゃう。
いつも新鮮な気持ちで立ち向かうってとても難しいこと。
そういうとき、なんとなく目にしてきたもの、そういうものだとして認識してきたもの、出回っている価値観に頼る。
とくに深く考えずに選んでどっかで依存もしながら生活する。

そうすると、どんどんにぶっていくんだと思う。しまいには自分の都合のいいものしか信じられなくなったり。
そうやって年をとって、安定的な保守的な考えに胡坐をかきがちになるんだと思う。


安定とか安心とか、は純粋な創造とは真逆のものだ。
不安や葛藤や恥ずかしさから目をそらしたら出来ないから。
時には自分の全てを全否定されてしまうような恐怖に立ち向かわなきゃならないこともある。



今の日本が。
まさにその状態なんじゃないかと思う。


いろんな情報が出回り、どれが本物かもわからない。
明日の生活がどうなるかも。保障なんかどこにもない。
平和ボケで安定してきた私たちにとって、これほど自分の価値観、倫理観、優先順位を試される環境はない。
今、まさに「純粋な創造」ができる時なのだと思うのです。


スピリチュアル界で「アセンション」だとか「2013年問題」だとかいわれてきたけれど、こういうことだったのかとすごく納得。


私は結縁という名があるけれど。だからなんだってんだ、って感じ。
救ってくれる神様がいるわけでもズルすることを教えてくれる神様がいるわけでもない。
それでよかったと思う。
宗教が未だ根強く残るのは、そういうことだろ?
あたしが宗教が苦手なのは、そういうことだ。


ああ、ちょっと熱っぽく言いたくなってきたよ。
超個人的な怒りを書き出せば。
「一般常識」を本物の自分の価値観として語る人がいないから、そんな常識はかっこ悪いとすら感じる。
「社会人として云々」ってのも、帰属意識が強い人しか語らないから納得できない。
愛情と束縛を履き違えてるバカな親はたたきつぶしたくなるし、
噂話だけで人を酒のさかなにする奴はもっと嫌いだ。


難しい面倒なヤツで、いい。私はきっととても難しい人間だ。

「嫌い」「苦手」も、いづれは受け容れられるように。
私の純粋な創造は、やめないつもり。
途中で迷っても。ココに帰ってくるよ。

 


雷水解、択火革。

2011年10月25日 | 本音と実情

プライベートででっかいことがありました。

まさに。

まさに。

春雷来たりて氷解け、決断の火により浄化、昇華。



易で「雷水解」は、解決する、悩みから解放される、時が来た。って意味があります。
「択火革」は変革、改革。季節とともに獣の毛が抜けかわって一変するような意味。

一見なんの変哲もないような状態に見えても旧体制は一新されている。


ここからがスタートだ。


まじで。

こっからスタートだよ。



猫ちゃんよ、君も可愛い毛皮の奥には獣の野性を隠しているのだろう?

もふもふの毛並みだって、実は夏にごっそり抜けて洗濯物を困らせたりするのだろう?


猫の毛並み、いいよねー。

もふもふ。

もふもふもふもふ。

・・・あれ、どうして外猫と心通わせるとまるで浮気した気分になるんかなー。

そんなこたぁどでもいい。


こっからスタート。

もう、眠いとか面倒とか休みたいとか、言わない。言っちゃう前にちゃんと休む。


言いワケのすべてを捧げて、栄光を勝ち取ろう。


休憩時間

2011年10月24日 | 本音と実情

愛する世界のために身を粉にできるなんてなんと幸せなことか。

とはいえ、私は休むのが下手だ。

足をとられるにはそれなりの理由がある。

小さい声を聴こう。

耳をすまそう。


来月も、追い風が吹く。そんな予感は消えないのだ。


加速、加速。

2011年10月08日 | 本音と実情

オフィシャルもプライベートも加速しています。

先月も実質的なオフは一日のみ。
あとはちょっと体調崩して2日ほどお休みもらってしまって。

今月は、完全オフ日は一日もない。

体調管理が切実です。
それはうれしい悲鳴。

つーか、もうなにがオフィシャルで何がプライベートかもわかんないね。
ごったに。
音楽からすれば鑑定はプライベートだし、
鑑定からすればその他はプライベートに見えるでしょう。

とにかく寒くなる季節だから帰ったら手洗いうがいは絶対。
それから「ながら家事」を徹底。
お風呂入りながらお風呂掃除。とか、トイレ入ったらどっか一か所でも掃除するとか、
帰ったら荷物解く前にクイック○ワイパーで部屋もフロアもひとふきは必ず、とか。
家が汚いと気持ちも前むけなくなるから、せめて目に入るところはきれいに。

クイッ○ルワイパーなんて、通称「おばあちゃん掃除」が大好きな私が一式買うことになるなんて思ってもなかったよー。
ぬれた新聞紙とほうきでは時間がかかっちゃう。


あと今問題なのは、諸々済ませて部屋着に着替えると眠気が襲ってくる事。
ストレッチも入浴も練習も済んでないのに意識がトブ。
むーーーー。

わくわくするような入浴剤買って、「あれを使わずに眠れるか・・!」と奮い立たせてみよう笑
帰って眠るだけの家にせず、ちゃんとリセットしたい。
じゃないととあとあと厳しいのだ。



がーんばれーーーぇ、まけーーーんなーーーぁ
ちーからーのかぎーりいーきてゆけーーー!


・・・・とかいって、かなり楽しんでますけど。

さて、今日は桜ののち、SexRexの撮影です。


圧倒的な距離

2011年08月26日 | 本音と実情

「オレはリカのファンだから」と笑う夫が好きだったのは事実です。

ですが、結婚して2年目、とうとうその薬も効かなくなったのは欲張りか成長か。
ファンってなんだ!アンタあたしの伴侶だろうが!
・・・みたいな。そんな気分になること多々あって。

拓の持つ、「ハイ、こっちはオレフィールドですー。そっちはノータッチですー。」と整然と引ききってしまうラインに絶望を感じたのは初めてではなくて。
出会って付き合って同棲して結婚して8年間。
そのつど話し合って解決してたのですが、それは解決じゃなくて私が一方的に喋って満足してただけだった、ってことに気付いたのは最近。

拓はいつだって容赦なく、ラインを引く。それはまるで神の残酷さのように圧倒的。

そういう話を公の場で言いたくなかったのは近しい人間ほど褒めるような人を素敵だなと思っていたから。
特に恋人やパートナーを人前で誇れる人はうっとりするほど高貴に見える。
私もそうありたいと思ったから。

けど、実がともなってないのに実行してみたところでこうやって歪みが生じちゃうんねぇ。
器に合わないことはするもんじゃない。
だから、思いきって、本当に本当に、ああそういう人なんだと思ってみた。
もう私ごときではどうにも変えられない拓の本質。
本当に、びっくりするくらい、切ない距離感だ。
手の届く範囲にいるのに。いつでもそばにいるのに。
何一つ、わかりあえない。わかったつもりになるだけ。

でもこれは「人と人はわかりあえる」って大前提のもと、感じる恐怖や絶望なわけで。
言ってみればそれってただのエゴ。支配欲とも言えるんだと、もがいてあがいてみた結果、わかった。
そう、やっぱどうにも変えられないのだ。どうにもならない。

あきらめてみました。
そしたら。変わらずにこにこと、私の後ろをついてくる拓にわずかながら安心を感じました。
ああそうか。この距離感でいいのか。
この距離感は私たちだけでなく、人と人との距離感そのものだ。
残酷で、神聖で、孤独な、距離感。
それをしっかりと感じながら、そこに感謝出来るようにならなければ
あの高貴な人たちのようにパートナーを誇ることはできないのだろう。

この葛藤は恋人としてだけでは味わえないものだったろうと思う。
籍を入れて初めて直面できる経験かもしれない。


あちらやこちらで、「拓さんやリカさんみたいになりたいです」と言って下さるカップルに出会います。
とてもとても光栄なことです。
でも、我々なんて所詮こんなです。
未熟でひ弱でもろいものです。

でも、それでもできるかぎり一緒になってやっていこうと思う。
それはもう愛だとか恋だとかとっくに超えてる何かなように思えてならないから。


水への憧れ

2011年08月26日 | 本音と実情

水に触れたい。水につかりたい。浮きたい。無重力になりたい。
水と泡ぶくの中で全てをゆだねたい。

強烈なその衝動を電車の中でそっとなだめる。
お風呂じゃないんだよね、プールなんだよね。って話しかけながら甘やかす。


ある人は言った。
「傷ついても立ち上がれるなら、それは繊細じゃないよ。つらの皮が厚いんだよ。」と。
馬鹿いっちゃいけない。結果強いことになるけれど、それは繊細の上に立脚した火事場のクソ力ってやつだ。
そのことだろ?岡本太郎が言ってたのは。だから彼はあえて自分にとって困難な方へ進めという。
生命力が全開まで開いてよりいきいきと生きていけるから、ってことだ。
傷つくから立ち上がれるんだ、だからアタシは繊細であると豪語したい。
・・・・笑 どんな豪語やねん。


全身水がしたたる瞬間。
水の空間の記憶をたどってカラダを浸す瞬間を夢見ながら、
世間の騒音の中、目的地まで歩く。


私のライブを見たある人に言われた。
「幸せな環境で育ったんだね。だから人に対して不信感がないよね。」
その時も馬鹿言っちゃいけねえと思った。それが顔に出ちゃってたんだろう、
その人はすぐしまった、ってお顔をなさってた。そして私も気まずくなった。あんときはごめん。

でもあの時のお方よ。私は「幸せな環境」ってやつに囲まれてたと思い知ったよ。
私はどっかで、人はとことん話し合えば心開けば、わかりあえると思っていたんだ。
そんな夢物語を淡く持ち続けられてこの年までこれたんだから、そりゃ幸せだ。
いつまでサンタクロース信じてんだってハナシだった。

さて、ここで2択です。
サンタさんは両親だったと知りました。
その上で、やっぱりどこかにサンタさんがいると信じ続けますか?
それとも夢を見られたお返しに、誰かのサンタクロースになって夢を見させてあげますか?

2択だと?知るか。
サンタなんぞおらんでもサンクチュアリをつくってやるわい。
そんで本物のサンタと「いやーけっこうきつかったっすね」って話せるようになりゃいいんでしょ。

欲しいもんは手前で得てく。

生きたいように生きるってこと、どれだけ大変かわかった。
生きたいように生きるってこと、どれだけ尊いかわかった。
生きたいように生きられるように、これからの人生全部賭けていこうと思った。
その私を笑っていいのは、私だけだ。


水につかろう。
生まれなおそう。
そうしてるうちに今日の出勤場所に着く。今日も一日が始まる。


黒アリのマーチングバンドを生むまでは。

2011年07月15日 | 本音と実情

今日もすごく恥ずかしい話を書きます。

「理解者などこの世のどこにもいない」、
そうつっぱねてみたところで、私のこの渇望は消えなくて。
考えてみたくて少しずづ自分を取り戻せたのは
そんな私を見守ってくださった方々のおかげであり、

ふと思い出した高校時代の友人の言葉のおかげでもあります。


高校時代、二年間同じクラスだった男の子で。
黒ぶちめがねをかけた、おとなしい目立たないタイプの子でした。
何がきっかけで仲良くなったかもう覚えていませんが、控えめで、でも自分の意見を持っていて、私の考え方をとても面白がってくれました。
進路を決定するにあたって彼は就職を選び、私は進学を選んだのですが、私は両親との進路の話が一向に一致せず、その度悔しい思いを聞いてもらってました。
やりとりはもっぱら手紙。かわいくて少々キモイ。笑
コミュニケーション能力の低めな二人ですから、いったん持って帰って文章にして、といった工程が必要でした。
といっても別に男女の関係だったわけじゃありません。でも泣きながら話を聞いてもらったこともあり、彼にはとてもお世話になってました。

「受験、がんばってね。東京行ってたくさん好きなことしてね。」
何度もそういってくれてました。

数年後。彼が交通事故で亡くなったと聞いてまったく実感がわかなかったのを覚えています。
進学してからなんとなく疎遠になってしまっていて。
お葬式も済んでしまっていて、お香典もお渡しできず、タイミング逃したのもあってご実家に伺うのもためらわれて、自分の家でお線香だけあげました。
なんとなくお墓は行きたくなかった。彼が死んだことがふわふわとしてて現実味なくて、悲しいというよりはどこか別世界の話のように感じてました。

それからさらに数年経ったある日。何気なく開いた高校時代の卒業アルバムの寄せ書きに彼の言葉を見つけて、そこでやっと涙になりました。
実家が燃えたときになくなってしまってないのですが、今も覚えています。

「ありさん(私のあだ名)、たくさん吸収して女王アリになってね。」


今日、一気にその言葉を思い出して背筋に雷はしる思いでした。


前置き長くてあれだけど・・・なんつーか、こういう公共の場を自分の脳みそ整理にのみ使うってどうかとは思うんだけど。
あたし、生み出さなくては。と、強烈に思ったのです。
たくさん生んで生んで、積みあがれば何か見えてくるかも知れない。

私という奇人変人の道筋を、歌なり言葉なりで作品にするしかない。


あてつけるのでなく、偉そうに説法するのでなく。
ただ、そのままの情けない姿を歌ってみようかと思いました。


理解者なんていないなんて、いてくれたじゃんか。
支えてもらってたじゃんか。汚いとこ全部請け負ってくれる人いたじゃんか。
ばかだなぁ。

ごめんなさい。
ありがとう。
I君、ごめんな、あたしがんばるわ。


幸せそうな人ってそばにいる??

2011年05月11日 | 本音と実情

大きなハコに呼んでもらってライブできるのはそれだけ代償も大きくて。
まだまだまだお身内集客に頼るSexRexには負担がでかい。
くーー。お客さん全員呼んで豪華なパーティーとかしたいのに。。。。


芸術家にとって一番頭いたいのは生活。お金ですね。
うるおいがないと芸も磨かれない。
でもそんな環境も淘汰といえば淘汰。


芸事と生活を両立させようとしてセンサーを削って迷子になったり。
ほんと、他人事じゃありやせん。


だから、大抵の人はこんなあぶなっかしい道は選ばないのでしょう。


私が欲しくてたまらないのは。

モデルルームで見たような高層マンションに住んで、夜景を見降ろしながらちょっと美味しいご飯を作っちゃうこと。
いろんな場所で得てきた思い出香るお気に入りの家具に囲まれて、なんでもない日を祝うこと。
そうして心地よく眠って、次の日朝早く起きて。
その家から鑑定に出かけたり音楽の仕事に出向いたりはたまた新しい仕事の打ち合わせにいったりしたいのです。

「なんでもない日」をいつでも最高級に楽しめる人生でありたい。

全てのパーツが潤う生活は絶対あると信じています。
でもそれを叶えている人がごく一部であることも知っています。
そう、私はそのごく一部になりたい。
なれるはずだと思ってる時点で他の人とは違うから、そこに入れるパスはきっと持ってる。

あとは、いかに頭やわらかくそこに到達できるか、です。

へんな話、そのためだったらなにもいとわないな。
おそらく躊躇もしない。
躊躇しても、結局そうなるために必要なものを選んでしまう。


頭おかしいと言われても、そうなんだからしょうがない。
高層マンションに飽きたら、きっと海外でその日暮らしでもするでしょう。
それが私にとって必要なプロセスなら勝手にそれに憧れて全てを捨ててしまう。

こんな女を嫁にしたうちの旦那様はたしかに災難かもしれません。。。。汗



私も少しづつ大人になろうと思います。
それは丸くなるとかそういうことではなく、出し惜しもうってこと。


こんな風に自分の考えをむき出しにするのはそろそろ卒業しようかと思います。