この世にいなくてもいいのかもしれません。
出会ってしまったら、そのほか全ての存在が「他者」となってしまう。
人と人はもともと違う生き物。互いの間に聖なる深遠が存在します。
埋まらない溝を知恵をしぼったり思いあったりして埋めてゆくべき。
それこそが美しいのでしょう。
どこへいってもトラブルメーカーになる自分にずっと苦悩しながら生きてきて、理解者に出会ったことで存在を全肯定してもらえたような気分になり、少々調子に乗ったようです。
たとえ全てを説明できたとしても。
思いを理解できる人など、もう存在しない、理解されるわけがない、そう思ったほうが私にはちょうどいい。
理解しあえないから、人は思いやりを持ち合う。ほんの少しだけやりとりできるあたたかさを大切に生きる。
私もそうやって、十字架を少しでも糧にしてゆけたらいい。
とはいえまだまだまだ、考えがまとまりません。
全部、全部、クソッタレと叫んでしまいたくなる自分と
そんなままならない全てこそに愛と幸福があるんだと思いたい自分と。
あの風を忘れることができません。
たてがみを揺らして誇らしくあびた、あの風を。
それがただの勘違いだったのか真実だったのかはこれからの私で決まります。
とりあえず、人との間にある深くて果てしない溝の深さを計るより、
遠くの山の峰に向かって歩いてみようと思います。