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熊本地震から2年

2018年04月14日 06時10分00秒 | 陸・海・空自衛隊
(2018.04.14 8:35加筆しました。)


平成28年4月14日と4月16日に2度の震度7を観測した熊本地震から2年になります。

お亡くなりになった方々に心からお悔やみ申し上げますとともに、被災された方々にもお見舞い申し上げます。


熊本地震の発生当時の記事を2つ、ご紹介したいと思います。
記事中の画像は、陸上自衛隊の熊本地震災害派遣活動のホームページより、内容に合ったものを選んでみました。
記事中の画像以外にも、こちらの↓ホームページで、たくさんの画像を見ることができます。
http://www.mod.go.jp/gsdf/fan/photo/kumamoto/index.html
こちらも是非ご覧ください。



自衛隊さんに「がんばり賞」 被災地から感謝の声
(産経新聞2016.4.27)

熊本地震では14日の発生以来、24日夕までに計2万6千人の自衛隊員が災害派遣され、救助や支援で大きな役割を果たしている。自衛隊員の不休の活動に、被災者から感謝の声が寄せられている。

 「みんなのためにおふろやご飯をがんばって作ってくれたので、がんばり賞をしょう(賞)します」



(画像は全て陸上自衛隊ホームページより)

 「いつもご飯やおみそ汁をつくってくださり、ありがとうございます。夜遅くまで働いている皆さんを私は尊敬しています」



 陸上自衛隊第43普通科連隊(宮崎県都城市)の広瀬雅也2尉(38)は19日、熊本県西原村の小学5年の女児4人から、こんな文面の手紙を受け取った。

 広瀬氏は14日の震度7の地震直後、先遣部隊34人を率いて、熊本に入った。17日からは、避難所となった西原村の西原中学校で給水などの活動に、休みなく従事している。

 「元気をもらえたと言ってもらえて、達成感を覚えた。何よりの言葉です」。手紙を読んだ広瀬氏は涙ぐんだという。





誰かのために 熊本地震と自衛隊
(zakzak 2016.4.26~4.29)

4月中旬の週末といえば、全国の自衛隊で観桜会や記念行事が行われる。パレードや子供向けのアトラクションなどの準備のため、徹夜作業を続ける隊員も少なくない。熊本地震はそんな時に発生した。

 「まことに申し訳ありません!」

 自衛隊から来賓や招待者に1件1件連絡し、中止を告げた。指揮官も自ら電話をかけた。記念行事は、自衛隊の基地や駐屯地を一般の人に知ってもらい、隊員が家族に職場を見せることができる数少ない機会だ。単身赴任の場合、遠方から飛行機や宿をとって家族が訪れる。それだけに、「中止」の決定は影響も大きい。祝賀会の食事なども当日にキャンセルすることになる。

 「大丈夫ですよ…。それより(被災地の方々のために)頑張って!」



 地元の商店などにとっては多大な痛手のはずだが、そんなふうに言ってくれるのは自衛隊を理解してくれているからに他ならない。駐屯地司令としてわびる最後の電話を置くと、その顔はすでに指揮官に変わっていた。

 「熊本へ前進する!」

 日ごろの辛く厳しい訓練の成果を発揮せよとの言葉に、隊員たちもそれまでとは違う表情になっていた。何日間、いや何週間になるか見当がつかない。泊まり込みで行事の準備をしていたため、家に帰っていない者もいた。「行ってくる」と家族にひと言電話して、たばこを買いに走ったくらいだ。積めるだけの器材を車両に詰め込み、中止を知らずに来るかもしれない一般来場者へのケアを言い残して、数時間後には出発した。




 16日の午後には群馬、長野、新潟、静岡といった東部方面隊、そして中部方面隊隷下の部隊、また多くの東北の部隊も5年前の「(東日本大震災の)恩返し」だと、それぞれの駐屯地を後にした。あの時は九州から各部隊がやはり陸路で東北を目指したのだ。



 到着予定は大体翌日になる、夜遅くに着き、ほとんど寝ずに活動開始だ。中には偵察用のバイクに乗る自衛官もいて、数百~千キロのバイク移動など気が遠くなるが、逆に当日のうちに九州に入った人たちは、あの大荒れの天気の中で深夜の走行をすることになった。

 道路が寸断されているため大きく迂回(うかい)する道のり、いつ崖崩れが起きてもおかしくない嵐の中だった。しかも、ナビがあるわけでなし、また九州に初めて来た隊員もいる。暗闇を地図を頼りに進むため道に迷い近傍の駐屯地に入る光景もあった。

 しかし、たとえ午前3時であろうが、同胞を迎え休憩所を提供してくれる、航空自衛隊の基地でも給油をしてくれるなど、陸海空自衛隊がくまなくあることのありがたさを改めて実感することになった。

「ここから、さらに迂回(うかい)しないと進めません」



 駆け込んだ駐屯地で先遣隊が地図を凝視した。すでに午前3時になろうとしている。さんざん回り道して、やっと目的地に近付いたところだったのに…。自衛隊には、どこに行っても九州出身者がいるものだ。熊本の地理を知る者にとっては、ここまで道路が寸断されている現実に、被害の大きさを思い知ることになった。



こうして自衛隊は、17日未明から遂次現地に入った。統合任務部隊「JTF(Joint Task Force)」が編成され、2万5000人の派遣が決定した。そして1000人が追加投入された。

 この派遣数を決めるのは難しい。大きい方がいい印象はあるが、一方で、仮に2万人いて3食きちんと食べれば1日に6万食の糧食が必要である。補給が間に合わなければ、彼らの活動環境は過酷になる。数百単位のトラックを駐車して、天幕を張る広い場所を要するし、道には自衛隊車両ばかりになりかねない。



 一度規模が示されると減らし難い面もある。そもそも、数字にこだわらないことが肝要だろう。

 地震が起きると他国による領空侵犯措置も増え、沖縄県・尖閣諸島周辺の中国船の動きも止まらない。熊本の自衛隊は、まさに離島防衛の最前線であり、そのための日米訓練などに日々専念してきた所だ。



 そこを襲った自然災害。九州の防衛力がダメージを受けたことで国防の「隙」ができぬよう、こちらも警戒を続けなくてはならないのである。

 また、今回のことが精強化に及ぼす影響を最小限にすることも大事だ。いずれの部隊も、この災害派遣が終わって帰隊しても、ゆっくり休息できるわけではない。中断した教育・訓練を取り戻すためにかえって忙しく、疲れた体にむち打っても、今度は誰もお礼を言ってくれないのだ。

 この文字通りの「戦力回復」こそが災害派遣における重要な課題と言ってもいいだろう。

 「隊員さんの優しい笑顔に励まされました」



 色々な宿題はあるものの、余震の続くなかで被災者にとっては戦闘服姿の自衛官がそこにいてくれることが、どんなに心強いかは計り知れない。自衛隊は作業そのものだけでなく、心のよりどころになっていることが分かる。

 「注目されない場所ですが、いいですか?」

 筆者が先週取材で熊本に入った際、比較的被害が少なく、テレビではまったく映らない自衛隊の展開場所を訪れたら、そんな心配をされた。こうした地域での支援活動は地味だが、「被災者のために!」という士気は変わらない。



 被災者の方々がいつでも体を温められるよう、入浴所を午後からオープンさせ、温度調節を気遣いながら、まだ来ない利用者を待つ若い自衛官に「目立たなくても愚直たれ!」という陸上自衛隊の本領を見た気がした。


「自衛隊は災害派遣で何を食べているの?」

 こういう疑問が、被災者から出ることがあるようだ。自衛官たちは簡素な携帯糧食を食べているが、人前で食べる姿を見せないうえ、トイレに行くのを避けるため昼食はとらないことも多い。

野菜がなく東日本大震災ではヘルペスや口内炎などが続発した。被災者にお風呂を提供しても自分たちは入らず夜も戦闘服を着たまま寝る。東日本大震災では派遣中や直後に亡くなった隊員が数人いたが、こうした過酷な環境や栄養障害と無縁でなさそうだ。

 このようなことが決していいわけではない。北朝鮮は潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)を試験発射したとされ、複合事態なども考えれば、組織のベストコンディションを維持する思想があっていいはずだ。だが、自衛隊にはかつて、いや今でも「もっとしっかりやれ!」などという人がいるために無理をしてしまうのである。

 「うまそうだなあ…」



 避難所に食べ物が届き始めると、食べきれなかった果物や賞味期限切れのパンなどが大量に捨てられる。「みんなで食べられたら、どんなに盛り上がるだろう」と思いながらも、これを横目に黙々と作業を続けている。「ぜひ受け取って」と言われても断らなくてはならず、かえって失礼になってしまうため複雑な心境だ。

 自衛隊では、避難所に行かず自宅にいる高齢者などのための戸別訪問、いわゆる「御用聞き」もしている。崖崩れの心配があっても身体が不自由で動けない人もいる。そうしたところにも目を配ることや、自治体への提案なども自衛隊ならではの働きだ。



 しかし、ここでも自衛隊がもどかしい思いをすることが多い。

 「これを片付けてもらえればありがたいが…」



 こう頼まれることは多いが、自衛隊が支援できるのは自治体からの要請があったことだけが原則である。そもそも、災害派遣には「緊急性」「公共性」「非代替性」の3要件がある。発生直後なら緊急性があるが、落ち着いてからの個人の要望に応えられるのか…など法律と照らして悩むことになる。

 ただ、目の前のお年寄りが困っているのに手を差し伸べないことはできない。おばあちゃんと一緒にカートを押したり、老夫婦とがれきを運んだりする自衛官をよく見る。そんな時に、ある隊員は巡回中の上司と行き会ってしまった。

 「すみませんでした…」

 指揮官はしばらく隊員を見つめて、答えた。

 「俺は何も見ておらんぞ、全力で当たれ!」

 厳格な規則順守、しかし、骨太の彼らの活動の根底にあるのは、やはり「優しさ」なのだろう。




北海道からも約4100人の自衛官が、津軽・関門の両海峡を渡った。旭川の陸上自衛隊第2師団からは約1150人が分散し、民間フェリーの定期便を乗り継ぐなどして、20日までに大分の拠点に入った。

 悪天候のため到着が大幅に遅れた部隊もある。第2師団隷下の第2後方支援連隊輸送隊はフェリーで苫小牧を出て新潟へ、そこから兵庫まで陸路で進んだ。その後、またフェリーに乗って熊本県八代市まで進出したが、荒天で現地に入れたのは22日だった。



船酔いも、ものともしない輸送隊長は大崎香織2佐だ。約300人と車両約80台を率いて出動した。

 大崎2佐は防衛大学校の女子4期生。PKO(国連平和維持活動)や、災害派遣の報道を見て「社会のために貢献できる」と自衛官を志した。陸自の輸送職種の道を歩み、東ティモールPKOも経験。一方で、神戸大学大学院で国際法を学び、法務官としての経歴も持つ。

 「女性の活躍」などと言われるはるか前から、実績を積み上げてきた幹部自衛官だ。陸自にはこうした女性自衛官(WAC)が「さりげなく」存在していることが頼もしい。

 同輸送隊が属する後方支援連隊長は熊本出身だった。実家では一人暮らしの父が「車中泊」の日々を過ごしていた。しかし、派遣を知らせてからメールが来なくなったという。

 「元自衛官ですから」

 自らの経験から子供に心配をかけない心遣いなのだろう。家族が避難所にいる隊員は少なからずいるが、活動に専念できるのは普段から「有事に一緒にいられない」という心構えが家族にあるからだ。




 現場には、家族を残してきた女性自衛官もいた。災害派遣では入浴支援や「御用聞き」で、ますます女性自衛官の役割が大きくなっている。やはり自衛官である夫に2歳と4歳の子供たちを任せてきたという人や、新婚で動員され、まだ夫と暮らしていないという隊員もいた。





 しかし、皆、異口同音に「演習ではもっと大変ですから」という。何週間も帰れない、お風呂に入れないといった状況を普段から経験しているからこその、災害派遣活動なのだ。「自衛隊を災害専門にしては」などという話がナンセンスであることがよく分かる。それにしても、彼女たちはなぜ、こんな過酷な職業を選んだのだろうか。

 「東北で被災して入浴支援を受けたんです」

 「子供の時に手を振ったら、振り返してくれてうれしくて、決めました!」



 彼女たちを奮起させたのは、名もなき自衛官たちだったようだ。過去の自衛官の何気ない振る舞い、あるいは親の背中を見て新たな自衛官が活躍している。この地での活動も、また次世代につながっていくに違いない。 =おわり

 ■桜林美佐(さくらばやし・みさ) 1970年、東京都生まれ。日本大学芸術学部卒。フリーアナウンサー、ディレクターとしてテレビ番組を制作後、ジャーナリストに。防衛・安全保障問題を取材・執筆。著書に『日本に自衛隊がいてよかった』(産経新聞出版)、『自衛隊の経済学』(イースト新書)など。



4月16日、未明に本震があった日の夕方、首都圏の高速道路で、災害派遣に向かうたくさんの自衛隊車両を見かけました。
心の中で「頑張って!」と応援することしか出来ず、もどかしい思いをしたのを、昨日のことのように思い出します。

平成28年度自衛隊音楽まつり 陸上自衛隊西部方面音楽隊(あの夏へ)、陸上自衛隊音楽隊・在日米軍音楽隊(ふるさと)
陸上自衛隊広報チャンネル


こちらの動画、是非ご覧ください。
私もこの平成28年度自衛隊音楽まつりを武道館に見に行っていましたが、最後のメッセージで会場は笑いと温かい拍手に包まれ、私、人目もはばからず号泣してしまいました。


地震などの災害派遣活動は、陸上自衛隊が主体となって行うため、そちらにばかり目が行きがちですが、航空自衛隊・海上自衛隊ももちろん活躍していました。

まず、航空自衛隊は、4月14日の震度7の予震の直後に、航空自衛隊のF-2戦闘機が被害状況確認のために緊急発進しています。
こちら↓の産経新聞の記事をご参照ください。
意外!? 熊本地震で“先鋒”を務めたのは空自のF2戦闘機だった(産経新聞)


(画像は航空自衛隊ホームページより)

人員や物資の輸送はもちろんのこと、給水や給食支援、がれきの撤去も行っていました。





(上記3枚の画像も航空自衛隊ホームページより)


また、海上自衛隊も、艦艇や航空機による人員や物資の輸送、入浴支援、がれきの撤去、警備犬による行方不明者の捜索などを行いました。






(上記3枚の画像は海上自衛隊ホームページより)



自衛隊の皆さん、いつも日本のために本当にありがとうございます!


被災地の一日も早い復興を、心よりお祈り申し上げます。



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