自衛隊好きの主婦ですが、何か?

有川浩先生の小説で自衛隊に興味を持ち、只今絶賛勉強中
自衛隊好きの主婦による自衛隊応援ブログです

他を生かすための精鋭たち~航空救難団~その2

2018年04月29日 06時08分00秒 | 航空自衛隊
前回は航空救難団の中のヘリコプター空輸隊と整備群について見ていきました。

今日は、救難隊について書いてみようと思います。
(以下の画像と青字の部分は航空救難団ホームページより)

航空自衛隊の救難隊は、警察や消防、海上保安庁が出動・救助ができないような荒天時などに数多く出動し、救難活動の

「最後の砦」

と言われています。


救難隊は、千歳、秋田、松島、百里、新潟、浜松、小松、芦屋、新田原、那覇と全国10ヶ所に所在し、 主に、自衛隊の航空機に事故が発生した場合、その搭乗員の捜索救助を行う航空救難、及び都道府県知事、管区海上保安本部長等の要請により患者空輸等の災害派遣を実施しています。
通常は、様々な航空救難、災害派遣状況を想定した訓練を行いながら救難待機を実施しています。


救難隊員になるためには、まずは救難教育隊で教育を受けなければなりません。

 救難教育隊は、昭和33年10月に創設され、航空救難団の中で最も長い歴史を持つ部隊として愛知県小牧基地に所在しています。
  航空救難団の操縦士(パイロット)、救難員(メディック)、機上整備員(FE)、機上無線員(RO) は、救難教育隊で教育を受けてから、救難団隷下部隊へと配属されていきます。
 パイロットの操縦教育は、UH-60J、U-125Aの2機種であり、救難員は毎年救難員学生として選抜され、「地獄」と例えられるほど過酷な教育が約1年間にわたって行われています。


とのことです。

操縦士(パイロット)は、言わずと知れた航空機の操縦を行う隊員のことですが、救難隊で使用されている航空機は2種類、U-125AとUH-60Jです。




↑がU-125A救難捜索機です。
固定翼機のスピードを生かして遭難現場に先着し、遭難者の捜索を行います。




UH-60Jは、↑の画像の洋上迷彩のヘリコプターです。
U-125Aから知らされた遭難現場に直行して、救難員が遭難者を救助します。

救難隊のパイロットになるには、ウイングマーク取得後に更に、救難教育隊で6ヶ月におよぶ救難操縦課程を履修しなければなりません。



航空自衛隊の救難隊は、他の組織が救助を断念するような天候の中でも出動し、救助を行うので、パイロットにも高い能力が求められます。


「救難隊という名の精鋭 1 〜固定翼操縦士(パイロット)〜」



機上整備員(フライトエンジニア)はUH-60Jヘリコプターに搭乗し、
 飛行に必要な各種性能データーの算出、飛行中のシステム監視及び不具合発生時の助言などを行う「コックピット業務」と、遭難者の捜索、救出のためのホイスト操作及び救出後に救難員が行う負傷者の応急手当をサポートする「キャビン業務」を行っています。また、地上において軽易な航空機整備作業を行うこともあります。

 まさに、整備員、パイロット、救難員の架け橋的存在であり、航空機システムから捜索救助に関わる幅広い知識、過酷な環境において各種救助作業を行う技術、体力及び精神力が求められます。
 UH-60Jの機上整備員になるためには、ヘリコプター整備員として1年以上の経験を積んだのち、選抜試験を受けて合格しなければなりません。選抜試験に合格した隊員は、愛知県の小牧基地にある救難教育隊での「機上整備(UH-60J)員課程」において約5か月間の教育を受けます。



機上無線員(ラジオ・オペレーター)は、U-125A救難捜索機に搭乗し、
 主に捜索レーダー及び赤外線暗視装置を操作して要救助者を発見することと、無線を活用して指揮所等との情報伝達を正確迅速に実施することを任務としています。これらの業務は専門的知識と熟練した技能が要求されます。

 機上無線員になるには、まずは航空自衛隊の通信員として数年間の部隊経験を積んだ後に、機上無線員の選抜試験を受験する必要があります。選抜試験に合格した後は、航空機に搭載されている器材を学ぶための基礎課程に入校し、卒業後は、機上無線員課程に入校しなければなりません。
 さらに航空救難団で勤務する場合には、全国の救難隊に機上無線員として配置された後、捜索技術講習を受講します。



「救難隊という名の精鋭 2 〜機上無線員(ラジオ・オペレーター)〜」


次回は救難員(メディック)について見ていきたいと思います。







他を生かすための精鋭たち~航空救難団~その1

2018年04月27日 06時22分00秒 | 航空自衛隊
先日ご紹介しました国民の自衛官受章者・藤田正吉空曹長は、航空自衛隊 航空救難団 松島救難隊の救難員(メディック)でした。

航空救難団って、救難隊って、救難員って何?
ということで、調べてみました。

航空自衛隊って、やっぱり戦闘機とかブルーインパルスとか、そのイメージが強いですよね。
藤田空曹長の記事を書いた時、調べるために所属されている松島基地のホームページを見たのですが、ブルーインパルスのことばかりで、松島救難隊のことは全く載ってないんですよ。

まあねぇ、確かに、戦闘機とかブルーインパルスとかと比べて、華があるとは言い難い(ごめんなさいっ!)けど、それでもちょっとあんまりな扱いな気が・・・。


気を取り直しまして、早速航空救難団について見ていきたいと思います。


(画像と青字の部分は航空救難団ホームページより。注釈が無い場合は以下同様)

航空救難団は航空総隊の一部隊で、入間基地に司令部があります。
昭和33年に、航空救難団の前身となる組織が編成され、平成30年の今年、創立60周年を迎えました。

航空救難団には、飛行群、整備群、救難教育隊があり、飛行群には救難隊とヘリコプター空輸隊が、整備群には検査隊と装備隊と修理隊がそれぞれ配置されています。

救難隊関係は後日ゆっくり見ていくことにしまして、今日はまず、ヘリコプター空輸隊と整備群からいきたいと思います。


まずはヘリコプター空輸隊です。

ヘリコプター空輸隊は三沢、入間、春日、那覇の4個ヘリ空隊からなり、主にレーダーサイトなど飛行場のない基地への端末輸送や、災害派遣においてその大きな空輸能力を生かし、 被災者救助や、救援物資輸送で活躍しています。
 中でも入間ヘリコプター空輸隊は、マザースコードロンとして最初に創設された部隊で、空輸任務の他、CH-47Jの操縦士と整備員の教育も行っています。




陸自のチヌークとは、迷彩の色が違います。
何でだろ。
このヘリで離島のレーダーサイトに物資を輸送しているんですね。

レーダーサイトって、山の上とかにあるでっかいゴルフボールみたいなやつですね。

(画像は久米島分屯基地ホームページより)

このレーダーサイト、日本の防空の最前線なだけあって、離島とか、陸の孤島みたいな所とか、すっごい僻地にばっかりあるそうで。


輸送任務や救難隊で使われているヘリコプター・航空機の整備などを行っているのが、整備群です。

航空救難団の整備群は小牧基地にあって、救難団の保有する3機種、UH-60J救難ヘリコプター、U-125A救難捜索機、CH-47J輸送ヘリコプター及びU-125Aとほぼ同型の飛行点検隊のU-125飛行点検機の決められた飛行時間ごとに実施する定期検査を主に担当しています。
 救難団の航空機は全国各地に散在している10個救難隊、4個ヘリコプター空輸隊と救難教育隊に配備されており、決められた時間に達したところで、整備群に機体をフェリーして、機体の分解点検を行い、必要があれば修理して、再び部隊に送り返す作業を行っています。
 また、航空機の他にUH-60JとU-125Aフライトシミュレーターの維持管理も行っています。



航空救難団における航空機の整備作業は、主に部隊整備と支援整備に分けられています。
 各救難隊では、航空機のフライト支援や定められた点検整備等の部隊整備を行っています。
いつ起こるか分からない航空救難や災害派遣に365日24時間出動できる態勢を確保するため、航空機が故障した場合等には昼夜問わず整備作業を行っています。
 一方、小牧基地(愛知県)にある整備群検査隊では、一定時間飛行した航空機に対し、部隊整備よりも更に細かく定められた定期検査等を行う支援整備を実施しいます。
整備作業を行う際には整備員の心構えとして定められた「航空救難団整備群整備員綱領」を常に念頭において「信頼の翼」たる航空機を提供するよう心掛けています。
更に、各救難隊からの依頼により整備支援を行う場合もあります。 



いかがでしたでしょうか。
航空救難団には、救難隊以外にヘリコプター空輸隊や整備群もあって、それぞれ活躍しているのですね!

明日は、救難隊について見ていきたいと思います。


百里基地に行ってみました

2018年04月25日 06時10分00秒 | プライベート
去る4月12日木曜日、百里基地に行って来ました。
お目当ては・・・こちら↓


(画像は防衛省・自衛隊ホームページのスクショ)


夫となかなか休みが合わず、訓練最終日にやっと行くことができました。
百里基地に着いたのは10時過ぎでした。
最初に向かったのは、西門ポイントと呼ばれる場所。
フェンス添いにたくさんの人がいて、バズーカ砲みたいなカメラを構えています。

これは初FA-18見られるかも⁉と期待したのもつかの間、近くにいたオジサマが、

「7時半頃に帰っちゃったよ」

と教えてくれました。


ガーーーーン(ToT)


米海軍の航空機で見られたのは、こちらのC-40だけ。



荷物の積み込みでもしてるのでしょうか。
貨物室が開いているのが、こちら側からでも分かります。



そして、ターミナルの前には、お見送りの自衛官さんらしき人影が並んでいました。

他に見られたのは、



定番のファントム。洋上迷彩カッコイイです!


早々に西門を後にし、やって来たのは雄飛園です。
正門の横に駐車スペースがあるので、車はそこに止め、警衛の隊員さんに
「雄飛園が見たいです」
と告げ、紙に代表者の住所・氏名・年令・電話番号を書き、身分証の確認をされました。

そして、見学時の注意事項
・建物の方に向けて写真を撮ったらいけません
・駐車してある自衛隊車輌に近づいたり撮影してはいけません
・(雄飛園の地図を渡され)地図上の囲ってある範囲から出たらいけません

と、説明をうけ、いよいよ基地内に入ります。

雄飛園には、殉職自衛官の方々の慰霊碑があり、お参りさせていただきました。


そのほかには、



F-4EJ飛行隊発祥の地の石碑とか、



ファントムなどの機体が展示されています。

雨ざらしなので仕方ないとは思いますが、どこもかしこもピカピカに掃除してある印象の自衛隊にしては、ちょっと行き届いていない感じをうけましたが、姑チックになってしまうので、これ以上はやめましょう。


せっかく百里基地まで来たのだからと、次に向かったのは茨城空港です。


皆さん、ご存じでした?



いばら「き」なんですよ!
私、ずーっと「いばらぎ」って言ってました。
いばらき県民の皆さん、ごめんなさい。

茨城空港が出来た頃、ニュースで、
「展望デッキから百里基地が見えないように、基地方面だけが見えない特殊な曇りガラスになってる」
って聞いた覚えがあったので、全く期待せずに展望デッキに行ったのですが・・・



いつの間にか、透明なガラスになってました。
調べたら、2014年3月には、透明ガラスに改修されていました。
実に4年以上も、その情報を知らなかった・・・。

写真を撮るには少し遠く、ガラスの映り込みもあるので、撮影スポット的にはイマイチですが、純粋に戦闘機の見物だけをしたいなら、見渡しが良いので、とても良いスポットだと思います。

百里基地、茨城空港は、今までなかなか行く機会がなく、いざ行ってみてもお目当てのFA-18は見られませんでしたが、けっこう楽しかったです。
駐車場無料ですし、今度は茨城空港からどこかに旅行に行くのも良いな~と思いました。








自衛隊への悪意ある報道

2018年04月23日 06時08分00秒 | 陸・海・空自衛隊
内閣府が平成30年3月12日に発表した、自衛隊・防衛問題に関する世論調査の結果、自衛隊に対し「良い印象を持っている」とする方の割合が89.8%(「良い印象を持っている」36.7%+「どちらかといえば良い印象を持っている」53.0%)だったそうです。

この調査、全国の18歳以上の日本国籍を有する方3,000人を無作為に選び、調査員による個別面接聴取法で実施されました。
マスコミの内閣支持率の世論調査と違い、しっかりした方法で調査され、結果も信頼出来るものだと思います。

日本国民の実に9割近くが、自衛隊に良い印象を持っているというのに、最近のマスコミの報道は、シビリアンコントロールが失われて自衛隊が暴走するとか、そんなのばっかり。
どうしてそんなに、自衛隊のネガキャンに一生懸命なのでしょうか。

その中でも、特にひどいと感じたのが、これから紹介する週刊誌の記事です。

平成30年4月6日に、鹿児島県日置市の住宅を訪れた男女3人が殺害され、この家の住人2人も近くの空き地で遺体で発見され、孫(38歳)が逮捕された事件。

この逮捕された男は、2001(平成13)年7月に陸上自衛隊に入隊しましたが、翌2002(平成14)年7月に、個人的な理由で依願退職しています。

自衛隊員だったのは、わずか1年です。

今38歳の容疑者が、22歳の時にわずか1年ですよ。
題名からしてもう気分が悪いのですが、そこをふまえて、記事を読んでみてください。


《鹿児島日置》元自衛隊員 “素手” で5人殺害、近隣住民がみた事件前の奇行(週刊女性2018年5月1日号)
http://www.jprime.jp/articles/-/12165?display=b

いかがですか?
これ、自衛隊関係あります?

それなのに、この悪意ある題名。

自衛隊はしっかり、出版元の主婦と生活社に抗議してほしいと思います。


最近では他にも、クイズ王さんが、統幕の30代の3佐に「国民の敵」と言われたとかなんとか。
小野寺大臣が「彼(3佐)も国民のひとりでありますので当然思うところはあると思う」と発言して、レッドチーム系議員の方々とマスコミの皆さんは発狂してましたねぇ。
この方、30代で3佐とは、なかなかの出世頭ですよね。
そんな方がこんなに愛国心に溢れているっていうのは、とてもとても素晴らしい事だと、私は思うんですが・・・。


イラクの日報問題も、安倍政権を貶めるために、自衛隊が利用されたような感じがします。
軍事機密は当然ありますし、それを日本が公開しちゃったら、外国からの信用も地に落ちますよ。

でも、イラク日報問題を野党がほじくってくれたお陰で、素晴らしいお宝も一緒に出て来て、ネットでは話題になってますね。


陸自イラク日報、思わぬ大反響 バグダッド日誌やバスラ日誌に「読み物として面白い」「日常エッセイ集」
https://news.biglobe.ne.jp/trend/0417/blnews_180417_0670955704.html


でも、こういうのは絶対にテレビでは報道しないんですよね~。
変なの~。


私もまだ全部は読めてないのですが、ちょっとホロッとしてしまった、2006年7月18日のバグダッド日誌(多国籍軍の司令部に、連絡官として派遣された隊員の日誌)をご紹介します。
読みやすいように、画像の下に文字起こしもしてあります。


平和の尊さ(5次バグダッド連絡班日誌 最終回)
まもなく、ここバグダッドを離れクウェートに移動する。
今の心境は「与えられた任務をできるだけ高い精度で達成できるよう、編成が解組される一瞬まで追い求め、イラク復興支援群全員で隊旗を無事に返還したい」その一心である。
そして今回の任務を大過なく達成することができたなら、心静かに国防任務のための精進に努力したい。

半年もの長い間、統幕・陸幕・情報本部から支えられ、サマーワ・クウェート・空自そしてコアリション(有志連合みたいな意味らしいです。多国籍軍の司令部のことかな?)の仲間に助けてもらい、何一つ不安に思うことはなかった。
家族には、私の好きな仕事にのみ集中させてもらい、派遣間に日本を全く心配することなく勤務させてもらった。
特に妻には、寝たきりの母の介護で大変であったろうにも拘わらず、逆にイラクのことばかり心配してくれたことを心から感謝している。

またバグダッド連絡班のすばらしい仲間に恵まれたことは、私にとって何ものにも代え難い幸運であった。■■■■(黒塗り部分)が私を調子に乗せ、調子に乗りすぎた私を■■■■が諫め、■■■■が笑いをとって和ませ、■■■■が最後の砦となって連絡班の子守をしてくれた。
もし叶うなら年に一度くらい、このメンバーでバグダッドでの勤務を酒のつまみに杯を交わすことが出来れば望外の幸せであろう。

今回の勤務を通して改めて感じることは、今回の派遣で新たに得られた教訓以上に、今まで自衛隊が努力してきたことが正しかったことを強調することができる。
世界最強の名を欲しいままにしている米軍に決して引けをとらない高い団結・規律・士気を保ちながら、視線は常にイラク国民と同じで、イラクの復興を心から願う純粋な「真心」がある。
米軍の広報担当が
「サマーワの日本隊は、何故ローカル・ピープルからこんなにも支持されているのか?同じデモでも外国の軍隊に残って欲しいと陳情する自発的なデモなんて聞いたことがない。」
と逆に日本隊の活動に学ぼうとしていることは、自衛隊が「心・技・体」の充実した一流の武装組織である証左であり、誇りに感じて良いと実感している。

未だ完全な復興には道半ばの首都バグダッドでの勤務を通して、祖国日本の平和の尊さを噛みしめ、今後も日本がこの平和を享受できるよう、一自衛官として努力していきたい。
派遣間のご支援どうも有り難うございました。



いかがでしたか?

「今回の任務を大過なく達成することができたなら、心静かに国防任務のための精進に努力したい」

「自衛隊が『心・技・体』の充実した一流の武装組織である証左であり、誇りに感じて良いと実感している」

「今後も日本がこの平和を享受できるよう、一自衛官として努力していきたい」

こちらの日誌は、自衛隊がイラク派遣から撤収する直前のものなのだそうです。
自衛官の方がどういう心持ちでイラクでの任務についていたのか、とても良く分かりますよね。







(画像は佐藤正久参議院議院ホームページより)
イラクでの自衛隊支援デモの様子

現地の方々が日の丸を持って自衛隊宿営地のまわりに集まり、
「自衛隊よ、お前達を危険な目に遭わせる奴は俺達が許さない」
「ぜひ残って、町の再建に協力してくれ」
と訴えるデモを行いました。
このデモは1度だけでなく、何度も行われていました。


今日はちょっと悲しくなる内容のブログでしたが、最後はホッコリしていただけたかな?
そうだったら嬉しいです。





2足のワラジ履いてみませんか?~予備自衛官制度~その3

2018年04月21日 06時01分00秒 | 陸上自衛隊
昨日まで、予備自衛官補予備自衛官とはどういうものか、書いてまいりました。
今日は即応予備自衛官について見ていきたいと思います。(注釈がない限り、画像と青字の部分は予備自衛官制度Webサイトより)


平成28年度自衛隊記念日観閲式
第31普通科連隊 即応予備自衛官巡閲
(画像は予備自衛官制度Facebookより)

即応予備自衛官とは、
非常勤の特別職国家公務員として、普段はそれぞれの職業に従事しながら、 訓練招集命令により出頭し、即応予備自衛官として必要とされる知識・技能を最底限確保するため、年間30日間の訓練に応じます。

有事等の場合には、防衛招集命令、国民保護等招集命令あるいは治安招集命令により出頭し、 即応予備自衛官から自衛官となり現職自衛官とともに防衛招集、国民保護等招集あるいは治安招集に応じます。

また、大規模な災害等が発生し、現職自衛官により構成される部隊だけでは対応が不十分な場合には、災害派遣等に派遣され、部隊の一員として活動します。



応募資格は、

自衛官として1年以上勤務し、退職後1年未満の元陸上自衛官又は陸上自衛隊の予備自衛官として採用されている者(公募予備自衛官を除く)

階 級
退職時の階級が2尉以下

年 齢
2尉~1曹:51歳未満
2曹~3曹:50歳未満
士長~1士:32歳未満

となっています。

公募予備自衛官は、即応予備自衛官にはなれません。

退職時の階級ですが、予備自衛官でも2佐以下というのがありました。
なぜ即応予備自衛官にも、2尉以下という制限があるのでしょうか。
どなたか是非教えてください!


即応予備自衛官は、年間30日間の訓練に参加しなければなりませんが、会社勤めの傍ら30日間というのは、なかなか大変そうです。
でも、即応予備自衛官としての知識や技能を維持するためには、それだけの訓練が必要だということですね。

自衛隊側もその点には配慮してくれていて、

訓練の日程については、即応予備自衛官の訓練出頭の可能性を配慮し、 訓練計画をできるだけ早期にお知らせして訓練日を選択できるようにしています。

即応予備自衛官が訓練に参加しやすいように、 訓練実施部隊(現職自衛官)が即応予備自衛官が出頭する最寄りの駐屯地に出向いて訓練を実施(出張訓練)しています。
即応予備自衛官は、出頭しやすい駐屯地へ出頭して訓練に応じます。






予備自衛官の訓練よりも、かなり実戦的ですね。
企業等の勤務形態にできる限り配慮してくれたり、土・日曜日を主体に訓練に参加できたりとのことですが、平日は会社で土・日曜が訓練だったら、すんごいハードですね。

予備自衛官としての手当は、年額88,500円でしたが、即応予備自衛官はどうなのか、見てみましょう。

即応予備自衛官手当:16,000円 / 月(税別)
訓練招集手当:14,200円~10,400円 / 日(税別)
勤続報奨金:120,000円 / 1任期(3年)(税別)
その他訓練招集旅費や被服、食事も支給されます。


ちなみに、訓練召集手当は階級別になっていて、
2尉:14,200円
3尉:13,700円
准尉:13,200円
曹長:13,200円
1曹:13,200円
2曹:12,600円
3曹:11,300円
士長:10,400円
1士:10,400円
となっています。
というわけで、1年間の手当総額は、30日間の訓練に全部参加した場合、618,000円~504,000円です。
さらに3年間良好な成績で勤務した場合には、報奨金が120,000円支給されます。
でも、手当や報奨金からは税金が引かれますので、もうちょっと少なくなりますね。


そのほか、即応予備自衛官を雇用している企業等にも、給付金制度があります。

即応予備自衛官は、年間30日間の訓練出頭が義務づけられた上に、予測の困難な災害時等の招集命令にも応じることが義務づけられています。

このような即応予備自衛官が、訓練招集及び予測の困難な災害等招集に安んじて応じるためには、 即応予備自衛官個人の意思・努力に加えて、即応予備自衛官を雇用する企業等も休暇制度等の整備のほか、 訓練出頭時の業務のローテーションの変更、顧客への影響等の負担を負うこととなります。

こうした即応予備自衛官を雇用する企業等の負担、労苦に報い、即応予備自衛官が安んじて訓練等に出頭することを可能とするため、 即応予備自衛官を雇用し、かつ、訓練出頭等のために所要の措置を講じている企業等に対して、 即応予備自衛官雇用企業給付金を支給しております。




このように、手当や企業への給付金などは、予備自衛官よりも手厚くなっていますが、それだけ即応予備自衛官は有事の際に求められるものも増えるということなのでしょう。


即応予備自衛官は、平成9年度に新たに設けられた比較的新しい制度です。
その中で、過去に2度、災害召集が実施されています。
平成23年に起こった東日本大震災と平成28年の熊本地震です。

東日本大震災の際には、主に岩手県や宮城県、福島県の沿岸地域に派遣され、 給水支援や入浴支援、物資輸送などの被災者の生活支援活動や捜索活動等にあたったそうです。

(以下の画像はすべて陸上自衛隊ホームページより)






東日本大震災以来2回目となる災害招集を実施した熊本地震では、熊本など九州出身の即応予備自衛官約160名が被災者支援等に従事したそうです。





平成28年熊本地震における災害等招集



普段はお仕事や学生をしながら、訓練などにも参加して日本のために頑張っておられる、即応予備自衛官、予備自衛官、予備自衛官補の皆さん、本当にありがとうございます。
私たちが安心して日々の生活を送れるのも、常備自衛官の方々とともに即応予備自衛官、予備自衛官、予備自衛官補の皆さんがいらっしゃるからだと思います。

また、これを見て、2足のワラジ履いてみようかな~と少しでも思ってくれる方がいらしたら、嬉しいです。