滝番小屋

新城市出沢と鮎滝の近況を紹介、その他雑感を少々。

遠州森の石松①-大洞院

2009年02月21日 | 瑠璃光浄土

■2月14日太田川ダムに行く途中、大洞院にある石松の墓に寄った。

 遠州森の…とくれば《石松》以外は思いつかない。人生そろそろ勝負時、石松さんに勝負運を授かろうと墓に手を添えていたら、昨夜の春の嵐の影響だろう境内にはほとんど客の姿も見当たらないので退屈したのか、門前の屋台で土産を売っていた香具師のお兄ちゃんが、
「写真撮ってあげるよ。」
と声をかけてきた。せっかくだからと石松さんと一緒にカメラに納まった。お礼に何か貰っていくよと云うと、いいよ、いいよと云いながらも、此処の名物はお茶だからそれでどうだと勧めた。新城もお茶の産地だからお茶はねえ・・・。
「お客さん、新城から来たのか!、石松は新城で生まれたって聞いてるけど・。」
『えっ?、うん、そういやぁ、そんな話聞いたことがあるよ、お兄さんよく知ってるねえ。
 だけど、新城ではそんなに有名じゃあないよ』

 確かどこかで、富岡のほうに石松の墓があると聞いたことがあったような気がした。しかし、有名になると、あちこちに墓だの生誕地だのと尤もらしい言い伝えがあるので、その類いかと思っていたのだ。だが、この森町の香具師までも石松が新城で生まれたと知っているとなると、それなりの根拠があるのだろう。これは一度訪ねてみないといかんな。
『お兄さん、その豆美味そうだ。それちょだい。』
「うん、これは石松の勝負豆といって、イザという時にぶちまける豆だよ。勿論ウマいよ。」

 勝負豆を貰って、大洞院の本堂にお参りに済ませ右手を見ると、庫裡の入口のところでお札やお守りを売っているのが見えた。石松の墓のカケラが入っているというお守りを500円で買った。境内の鐘楼の前には記念写真用の石松の人形看板が置いてあった。こんなにも寺も町も石松で売り出しているのに、なぜ墓が門前にあるんだ。もっと奥の方に祭ってもいいんじゃないか?。

 後で聞いたのだが、本来、無宿人は戒名はなし墓も作ってはいけないそうだ。だから、境内にも境内墓地にも入れないのだそうだ。なんだか石松が可哀そうになった。

 それにしても、自分が今ここにいるのが不思議な気がした。春の嵐で昨夜は大荒れ、今日も9時近くまで雨が降っていたのに、急に太田川ダムを見に行こうと思い立って、真っ先に来たのが此の石松の墓だ・・。

 ・・・こりゃあ、石松さんに呼ばれたかな。。。

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