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大河ドラマ「義経」 覚え書き 第二十五話 中

義経の軍事的感性はどのように磨かれたか? 【義仲をみれば義経が見えてくる】 第25話は、義経にとっては初陣(宇治川の戦い)である。歴史的にみれば、義仲が没落して、歴史の表舞台に義経が登場するという象徴的な場面である。義経という人物は、義経記の六韜三略を習得したというエピソードが示すように、古今の軍略書に造詣の深い人物であった。義経は、性格的にある種の偏執狂(現代風に言えば軍事オタクか?)であり . . . 本文を読む
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大河ドラマ「義経」 覚え書き 第二十五話 上

【平家物語の名シーンがぞんざいに描かれる不幸】 大河ドラマ25話を観た。 この回は、木曾義仲の壮絶な死が主要テーマである。義仲憤死のシーンは、平家物語の中でも屈指の名場面である。離ればなれとなった義仲と今井四郎兼平が大津の打ち出の浜で落ち合う。平家物語を読むと、このふたりの口上が実にいい。心に響く。主従関係を越えた男の友情や信頼関係が見えてくる。 義仲が「六条河原で、死ぬところであったが、最 . . . 本文を読む
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大河ドラマ「義経」 覚え書き 第二十四話

【平家物語巻第八義仲戯画化の意図について】 大河ドラマ第24話を観た。一言。もはや、大河ドラマは、質の低い漫画以下と化してしまった。 冒頭から、後白河法皇を茶化して、「特技 人を騙すこと」、「呼称 日本一の大天狗」と言ったテロップを流していたが、大河ドラマで、このような固定的なイメージを流してよいものか。ましてや24話では、法住寺合戦ということもあり、この合戦で、いったい何が行われたのか、とい . . . 本文を読む
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大河ドラマ「義経」 覚え書き 第二十三話

【木曾義仲は荒々しいだけの田舎武者なのか?】 大河ドラマ「義経」23話を観た。はっきり言って、感想を書くという行為自体が苦しいものになってきている。余りに虚構性がはっきりとしてきて、人物描写も、独りよがりな傾向が感じられる。例えば作家は今回の「木曾義仲」という人物について、本当に義仲の人なりを丁寧に調べ上げて書いているのだろうかと疑問が湧いた。おそらくそうではあるまい。歴史知識が付け焼き刃的であ . . . 本文を読む
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大河ドラマ「義経」 覚え書き 第二十二話

【とても軍神の眼光とは思えぬ義経の穏やかさ】 第22話を観た。あり得ないストーリー。義経は敵を目の前にしても、躊躇し悩んでいるではないか。あれではハムレット同様、父の敵を討つことなど出来るわけがない。いったい、いつ義経は平和の使徒になったのか。彼のイメージは伝説の軍神ではないのか。まるで戦場で平和を説く宗教者になった面もちにすら見える。穏やか過ぎるのだ。あの目はどのように見ても軍神の眼光ではない . . . 本文を読む
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大河ドラマ「義経」 覚え書き 第二十一話 下

【義経と頼朝は鎌倉で、どんな話をしていたか?】 いったい義経は、鎌倉のどの辺りに住み、どんな暮らしをしていたのか。更に家来や頼朝たちとは、どんな交わりをしていたのか。特に、昨日の大河ドラマ21話で、架空の御家人「平塚良郷」を有無を言わせず惨殺したことで、この運命の兄弟が、「家来に情をかけるべきか、それとも理を優先すべきか?」という「情理論争」のようなことを行っていたが、私には子供騙しの空論に見え . . . 本文を読む
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大河ドラマ「義経」 覚え書き 第二十一話 中

【平塚良郷なる人物のモデルは上総介広常か!?】 さて今回のエピソードの中で、妙な人物が登場した。「平塚良郷」(いったいこの人物は誰なのだ??)とかいう武者である。結構な年配で、この男、生来の無骨者と見えて、酔に任せて頼朝に意見をする。木曾義仲の息子の義高を早速殺害すべきだというのである。これに対して頼朝は、あれは人質ではなく、大姫の婿と言い張る。 更に良郷は言い放つ。もしも義仲と争うことになっ . . . 本文を読む
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大河ドラマ「義経」 覚え書き 第二十一話 上

【マクベス夫人のごとき北条政子で良いのか!!】 大河ドラマ「義経」第21話を観た。見るに耐えない限界を越えた硬直化したシナリオ。わずかに義高と大姫の登場で、柔らかさを出しているが、弁慶の千鳥の立て膝の生足の場面など下品の極み。それにしても、熊野水軍の頭目の息子であると言われる弁慶が、実はカナズチで、この猟師の娘の千鳥という架空の女性に助けられたというあり得ない話で、弁慶のテレ振りなど、流石のマツ . . . 本文を読む
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大河ドラマ「義経」 覚え書き 第十九話 中

 【後白河院と丹後局の異様】 平幹二朗の後白河院の演技が少し妙である。それに輪をかけて髪を逆なでた夏木マリの丹後の局は異様を通り越してやり過ぎだ。あんな異様なキャラクターを作る必要がどこにあるのだろう。院内部には、化けネコが棲んでいて、腐りきっているとでも言いたいのであろうか。それにしても穿った演出で、後白河院の「必死」の生き様がストレートに感じられないのは残念である。 よく考えて見ると、後 . . . 本文を読む
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大河ドラマ「義経」 覚え書き 第十九話 上

【本当の北条政子は気配りの人だった!?」】 大河ドラマ「義経」19話を観た。正直少し飽きてきた。もうドキドキ感がない。理由は、どの程度のドラマかということが分かってきて、新しい発見があるようには思われないからだ。家族の絆をを中心に描くという原作者の意図は、明らかに空振りに終わっている。平家では、ひとり宗盛の無能さを強調し、平家滅亡の原因は、彼の無能さに起因しているような描き方にすら思える。 . . . 本文を読む
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大河ドラマ「義経」 覚え書き 第十八話 上

【清盛の死の瞬間を推理する】 18話を観た。一言で「義経はここまで来てもグズグズと清盛を父として慕っているのか?!」ということに尽きる。あり得ないストーリーだ。最初のボタンの掛け違いで、こんな無様なハムレット擬(もど)きのニセ義経になってしまったということだ。 仇の清盛の死を悼んで義経が悲しんで経をあげているのも実に奇妙だ。実際の義経の感覚では、仇の首をこの手で上げて、父義朝の墓前に懸けるつ . . . 本文を読む
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大河ドラマ「義経」 覚え書き 第十六話 下

【養和元年の鶴岡八幡宮での義経馬引き事件の真相を推理する】 養和元年(1181)7月20日、鶴岡八幡宮若宮宝殿の上棟式において大工に与える馬を義経が引かせるという出来事があった。一見すると、郎等の者が行うべき役回りを頼朝が実の弟の義経にさせたということで、取るに足らないエピソードのようにも思われる。それが吾妻鏡に記載されるほどの騒ぎであったとすれば、周囲にも波紋を呼んだ大きな事件だったのだろう . . . 本文を読む
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大河ドラマ「義経」 覚え書き 第十七話 上

【何故弁慶というキャラクターは創作されたのか!?】 第17話を観た。創作とは言え、余りに稚拙な筋にまともに論評をする気も失せてしまった。今回はまず「弁慶の泣き所」という題で、「女嫌いという設定の弁慶が恋」をするということだったが、事もあろうに、「義経記」では、紀伊国は田辺の出自(島根の出雲説もあり)という弁慶が、「カナズチ」で、海辺で体を洗っていたら足を滑らせて溺れ、女性に救われるというものだっ . . . 本文を読む
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大河ドラマ「義経」 覚え書き 第十六話 上

【政子と頼朝の夫婦げんかのリアリティ】 大河ドラマ「源義経」第16話を観た。何か、物語のほころびが大きくなって行くのを感じる。まず冒頭でプロローグで白拍子の説明があった。これはともかく、先の15話で、史実では富士川の戦いに参陣もしていなかったはずの義経が、鞍馬で知り合っていたという設定の白拍子静に再会する。およそあり得ない奇妙奇天烈(きみょうきてれつ)なシーンであった。 院周辺や公家などの席に . . . 本文を読む
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大河ドラマ「義経」 覚え書き 第十五話 下

【黄瀬川の陣での兄弟の対面を考える】 治承4年10月21日。つまり平家軍が水鳥の羽音に恐れをなして逃げ去った翌日、頼朝の居る黄瀬川に義経主従がやってくる。この黄瀬川の兄弟の対面は、通説では初対面ということになっているが、果たして真実はどうだったのか。私は平治物語の記載から、伊豆において義経は兄を訪ねていると考える。そうなると、二人の出会いは6年振りの再会ということになる。またこの時、頼朝と義経と . . . 本文を読む
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