大河ドラマ「義経」 覚え書き 第十六話 上

【政子と頼朝の夫婦げんかのリアリティ】 大河ドラマ「源義経」第16話を観た。何か、物語のほころびが大きくなって行くのを感じる。まず冒頭でプロローグで白拍子の説明があった。これはともかく、先の15話で、史実では富士川の戦いに参陣もしていなかったはずの義経が、鞍馬で知り合っていたという設定の白拍子静に再会する。およそあり得ない奇妙奇天烈(きみょうきてれつ)なシーンであった。 院周辺や公家などの席に . . . 本文を読む
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大河ドラマ「義経」 覚え書き 第十五話 下

【黄瀬川の陣での兄弟の対面を考える】 治承4年10月21日。つまり平家軍が水鳥の羽音に恐れをなして逃げ去った翌日、頼朝の居る黄瀬川に義経主従がやってくる。この黄瀬川の兄弟の対面は、通説では初対面ということになっているが、果たして真実はどうだったのか。私は平治物語の記載から、伊豆において義経は兄を訪ねていると考える。そうなると、二人の出会いは6年振りの再会ということになる。またこの時、頼朝と義経と . . . 本文を読む
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大河ドラマ「義経」 覚え書き 第十五話 中

【富士川の戦いと夜戦シーンについて】 「富士川の戦い」について触れておきたい。「戦い」と言っても実際には、水鳥の羽音を聞いて源氏軍の夜襲と思った平家軍が、一目散に逃亡したものである。何故そのような情けないことが起こったのか。「平家物語」の「巻第五 富士川」では、この時の事情を次のように記している。 『そうしているうちに(治承4年)10月23日になった。明日は、源平双方が富士川にて矢合わせを行う . . . 本文を読む
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大河ドラマ「義経」 覚え書き 第十五話 上

【兄頼朝の凄さが描かれない不思議】 大河ドラマ「義経」第15話を観る。シナリオが「平家物語」のストーリーを追っているだけで、「平家物語」を「やっつけていない」と感じた。うまく料理できていないと言った方が適切かもしれない。 シナリオを料理に喩えるならば、シナリオ作家は料理人である。そこに素材としての「平家物語」がある。平家物語は、料理人冥利に尽きる最高の素材である。ところがあまりにも料理人の力量 . . . 本文を読む
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大河ドラマ「義経」の映像と往時の平泉

【まったくイメージの湧いてこない平泉の都市景観】 大河ドラマ「義経」の中で天才武将義経の揺籃期とも言うべき奥州時代があっという間に過ぎてしまった。足かけ6年になる黄金の都平泉での義経の生活を考えると、都市「平泉」研究の最新成果が盛り込まれたセットあるいは景観の映像が流されると期待していた思いは見事に裏切られた気分である。 まず、平泉に場面を展開する時、その冒頭に出て来た束稲山方向からの鳥瞰図で . . . 本文を読む
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大河ドラマ「義経」 覚え書き 第十四話 下

【義経の奥州での六年間を推理する】 奥州の義経について考えてみる。もちろん奥州における足かけ六年間の行動については確たる史料はなく伝説の部分であるから、12話のナレーションにあるような、「奥州の義経は、年に二度ほどの長旅をした」というのもあながちウソにはならないが、思わず首を傾げてしまった。いったいどこから「年に二度」という言葉が出てくるのだろう。 大河の中の義経のイメージは、奥州の六年間を単 . . . 本文を読む
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大河ドラマ「義経」 覚え書き 第十四話 中

【頼朝の非凡さについて】 さて、14話では、吾妻鏡の治承四年8月6日の条に記述されていると見られる密議がシーン化されていた。そこでは頼朝の打倒平氏のほう起について、北条時政と政子と頼朝の話し合いの結果で決定されたような描き方をしていた。特に男勝りの政子は令旨の正当性までも指摘するなど、当初から頼朝の政治的アドバイザーにでもあるかのような趣きであった。確かに史料の伝える政子は、男勝りで新しい女性で . . . 本文を読む
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大河ドラマ「義経」 覚え書き 第十四話 上

【頼政の無念が感じられない宇治の戦い】 大河ドラマ「義経」第14話をみた。内容としては実に薄っぺらで非常に散漫なものであった。私が見る限り、作家は「平家物語」を持て余し気味で、ただストーリーの表面をなぞっているようにしか見えない。 この薄っぺらさの原因は、台本を作る作家が「平家物語」という古典の劇的世界や運命の哲学を理解せず、大河のように流れる物語のストーリーを追うことに躍起とならざるを得ない . . . 本文を読む
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大河ドラマ「義経」 覚え書き 第十三話 下

【「鳥羽殿」の読みは『とばでん』か『とばどの』か?!】 江戸中期の俳人与謝蕪村(1716-1783)の句に、  「鳥羽殿へ五六騎急ぐ野分かな」 というのがある。これをひらがなで表記すれば、  「とばどのへ ごろくきいそぐ のわきかな」となる。 この句は、蕪村が、京都の伏見鳥羽にあった鳥羽殿(とばどの)あるいは鳥羽離宮と呼ばれる土地に行った際、鳥羽法皇(1103-1156)の死後、崇徳上皇 . . . 本文を読む
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大河ドラマ「義経」 覚え書き 第十三話 中

【源三位頼政の感性と苦悩について】 今回の十三話は、言うならば、源頼政(1104-1180)の物語である。しかもこの人物は、源氏方でありながら平治の乱では、源氏方の義朝を見捨てて、平清盛に付き従三位にまで登り詰めた人物である。本人としては、本意を殺しての清盛への奉公であったと思う。武者として人間として、彼は歌人としても一流の人物であるから、おそらく心には言葉にならない葛藤を持っていた人物である。 . . . 本文を読む
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大河ドラマ「義経」 覚え書き 第十三話 上

【大河の義経は出来損ないの『ハムレット』に成り下がった】 大河ドラマ「義経」第十三話をみた。何も言うことがないほど、ドラマは破綻している。何しろ、本ドラマの義経は、令旨(りょうじ)を持ってきた源行家の前でも、明確な返答も出来ず、秀衡に「父とも慕う清盛に弓を引くことになるが、それができるのか?」と問われて、まだ迷っている有様であった。「おい、おい?」と思わず口走ってしまった。はっきり言わせて貰えば . . . 本文を読む
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