判官贔屓 13 判官贔屓における民衆心理

【義経贔屓の芭蕉vs頼朝贔屓の家康の構図】 義経と頼朝という兄弟をみる時、民衆に愛される義経に対して権力者に愛される頼朝という図式がある。例えば、江戸時代で云えば、義経を愛した人間の代表格として松尾芭蕉を、頼朝の方は徳川家康を上げて見たい。芭蕉の奥の細道の旅を私は、義経への鎮魂の旅と考えているが、6年前菅原次男氏が、神奈川の藤沢白旗神社から宮城の栗駒判官森までを歩き通した旅に同行し、余りにも義経 . . . 本文を読む
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西行が死に行く木曾義仲に捧げた歌鑑賞

【西行の義仲を哀れむ歌四首】 西行の聞書集の中に、「地獄絵を見て」という一連の歌が並んでいる。どこまでが「地獄絵を見て」なのかは、不明だが、この続きに死んでゆく木曾義仲に捧げたと見られる歌が四首並んでいる。 1.歌 朝日にやむすぶ氷の苦はとけむ六つの輪を聞くあかつきの空 (歌意:朝日が昇ってきた。これで氷結した氷のような苦しみも氷解してゆくのだろうか。暁の空に錫杖の音がどこからともなく聞こえて . . . 本文を読む
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現代源義経論 5

【2 義経の人生区分 続】 例えば幼名牛若だった義経さんは、烏帽子親なしで自ら元服をして、「源義経」と名乗って奥州に下るわけですが、この東下りの経緯が、「義経記」の考え方と「平治物語」で語られる奥州への旅立ちは違っております。 「平治物語」の方では、自分の意思で、私を連れて行けというふうに金売吉次に言うんですね。そして奥州に行く前に途中で兄頼朝さんとも会っている。何とそこでは、「頼朝が奥州の佐 . . . 本文を読む
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現代源義経論 4

【2 義経の人生区分 】 次に義経の時代区分をお話ししたいと思います。私は義経さんの人生を、次の7期に区分しております。画面をご覧下さい。 第一期は、0歳~2歳です。 平治の乱で、お父さんの義朝さんが亡くなるわけです。逃げる途中に家人の長田忠致という者に風呂場で殺されるのですから、非業の死ですね。義経さんは2歳ですから、もちろん何もわかっていないと思います。けれども、運命でしょうか。非常に辛い . . . 本文を読む
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現代源義経論 3

【1 義経論の視座 続】 例えば、戦前に活躍された歴史家に黒板勝美(1847-1947)という偉い先生(東大教授)がおりました。「日本国史大系」という古事記、日本書紀から吾妻鏡、徳川実記などの66冊の古文書をもちろんお一人ではないでしょうが、中心的に編纂された方です。この方が大正14年(1925)に「義経伝」というものを書いてます。この本を、今読みますといささか皇国史観の色彩が強いということもあ . . . 本文を読む
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大河ドラマ「義経」 覚え書き 第二十四話

【平家物語巻第八義仲戯画化の意図について】 大河ドラマ第24話を観た。一言。もはや、大河ドラマは、質の低い漫画以下と化してしまった。 冒頭から、後白河法皇を茶化して、「特技 人を騙すこと」、「呼称 日本一の大天狗」と言ったテロップを流していたが、大河ドラマで、このような固定的なイメージを流してよいものか。ましてや24話では、法住寺合戦ということもあり、この合戦で、いったい何が行われたのか、とい . . . 本文を読む
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現代源義経論 2

1 現代義経論の視座 ご存知のように、義経さんという人のイメージは十人十色といいますか、百人いれば百人の義経像というものがあるんですね。ですから、私がこれからお話すると、どうしても皆さんの義経像とぶつかって、「ちょっとイメージが違うぞ」と、いうようなニュアンスが出るかもしれません。でもそこのところは、ぜひ柔軟に考えていただいて、佐藤はこういう義経をイメージしているというような感じで、柔らかく考え . . . 本文を読む
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現代源義経論 1

【藤沢市生涯学習大学かわせみ学園での講演録】 於:藤沢市学習文化センター 2005.5.17  はじめに 義経伝説というホームページを主宰しております佐藤弘弥と申します。本日はお招きいただきまして大変光栄に存じます。私と藤沢市とのご縁は、6年位前に遡ります。忘れもしない1999年6月13日、白旗神社で開催された「源義経公810年鎮霊祭」に参加させていただいてからのお付き合いになります。それ以来 . . . 本文を読む
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東北人は何故源義経をこよなく愛するのか?!

 【異人殺しとしての義経自害】 何故、東北の人間が源義経という人物をこよなく愛して止まないのか、ということを少しばかり考えてみたい。 本論も、折口信夫を手がかりとして論を進めてゆくことにしよう。折口の語彙に「客人」という言葉がある。これは、「まろうど」あるいは「まれびと」と読む。語源は、「稀(ま)に来る人」の意味で、神聖な旅人あるいはシンプルに言えば神そのものを指す。折口説によれば、始め珍客( . . . 本文を読む
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大河ドラマ「義経」 覚え書き 第二十三話

【木曾義仲は荒々しいだけの田舎武者なのか?】 大河ドラマ「義経」23話を観た。はっきり言って、感想を書くという行為自体が苦しいものになってきている。余りに虚構性がはっきりとしてきて、人物描写も、独りよがりな傾向が感じられる。例えば作家は今回の「木曾義仲」という人物について、本当に義仲の人なりを丁寧に調べ上げて書いているのだろうかと疑問が湧いた。おそらくそうではあるまい。歴史知識が付け焼き刃的であ . . . 本文を読む
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イジメに遭遇した宮里愛と英雄義経排除の構造

【出る杭を打つ日本人】 週刊誌の見出しを見ただけで、確証はないのだが、ゴルフの藍ちゃんこと宮里藍が脅されているという。 もし事実だとしたら、大変なことだ。何故そうなってしまうのだろう。確かにこの2試合ばかりの彼女の表情を見ると、以前と違い表情も硬い感じがする。これまでなら、失敗しても笑顔が見られたが、それが急になくなった。ガードマンを付けているとのことだが、いったい誰がそんな馬鹿なことをするの . . . 本文を読む
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藤沢白旗神社の「源義経公鎮霊祭」

本日は、文治五年(1189)6月13日、腰越の浦で、義経の首実検が行われた日にあたる。今から816年前のことである。その日、黒櫃にて遥々と奥州から運ばれてきた御首は、作法に則り、首実検に供された。侍所別当の和田義盛と宿敵梶原景時が甲冑に身を包んで、実験の行われる幕の中に入る。続いて奥州の武者たちが無表情で幕の中に消えた。先頭を藤原泰衡の弟隆(高)衡が歩き、次に黒櫃の浸された稀代の英雄の御首が行く。 . . . 本文を読む
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義経はなぜ流浪の生涯を送ったのか 6

6 ズバリと言えば、折口信夫の貴種流離譚は、論考の意図が国文学という限定された視野で書かれたものだったとしても、比較文化の視点がもう少し欲しかった。世界史的な視野で義経記の流離譚を分析すれば、もっと奥の深い分析となっていたと思われる。 フロイトは、「モーセと一神教」の中で、O・ランクの「英雄誕生の神話」(1909)という著作を引用している。それをここに上げてみる。 「英雄はきわめて高貴な両親 . . . 本文を読む
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大河ドラマ「義経」 覚え書き 第二十二話

【とても軍神の眼光とは思えぬ義経の穏やかさ】 第22話を観た。あり得ないストーリー。義経は敵を目の前にしても、躊躇し悩んでいるではないか。あれではハムレット同様、父の敵を討つことなど出来るわけがない。いったい、いつ義経は平和の使徒になったのか。彼のイメージは伝説の軍神ではないのか。まるで戦場で平和を説く宗教者になった面もちにすら見える。穏やか過ぎるのだ。あの目はどのように見ても軍神の眼光ではない . . . 本文を読む
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義経はなぜ流浪の生涯を送ったのか 5

 5 そうして、その底には、源義経の名をもって表現せられた、古代を捨てぬ奥州に久しき信を伝えた神は、若い姿の貴い流離者でなくてはならなかったのである。そうして、それを語る人々が、一人々々皆昔の育み人としての、教義を失った伝来の宗風を守って来たのであろう。 やはり論理がややこしい。再び趣旨を箇条書きにしてみる。 1.古い伝統を重んじる奥州には、「源義経」武者に対する篤い信仰心があった。 2.そのイ . . . 本文を読む
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