全国に広がる義経伝説の特徴と諸相

【横井寛氏の「その後の静御前」への解説】昨日、工学博士であるという横井寛氏より、下にリンクしたような静御前に関するご投稿をいただいた。タイトルには、「その後の静御前」と記されていた。讃岐に伝わる静御前にまつわる伝承をまとめたものであった。そこには、抑えた文章ながら、筆者の静御前とふるさとへの思慕の情が香り立つようであった。義経の伝承伝説というものは、このようにして形成されてきたものなのか、そのよう . . . 本文を読む
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頼朝と「男の嫉妬」心・続々

人類における嫉妬の起源は、旧約聖書「創世記」の冒頭のカインとアベルの物語と思われる。 神によってエデンの園を追放されたアダムは、荒野でイブと知り合って、二人の男子をもうけた。長男カインは、大地を耕す農民となり、弟アベルは羊飼いとなった。ある日、二人は神に捧げ物を携えて神の前にやってきた。カインは穀物を持ち、アベルは子羊を神に供えた。何故か、神はアベルの子羊に目を細めていたが、カインの持参した穀物 . . . 本文を読む
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頼朝と「男の嫉妬」心・続

頼朝の嫉妬の話がおもしろい、というメールをいただいたので、引き続きこの嫉妬というものを考えてみることにしたい。 モーツァルトの生涯を描いた映画に「アマデウス」(監督ミロス・フォアマン 1984年アメリカ)というのがあった。同時代の作曲家サリエリの目を通してみた神童モーツァルトの物語であり、全篇これ嫉妬物語というおもしろい作品だった。 この映画の中で、宮廷音楽家だった先輩のサリエリが、モーツァル . . . 本文を読む
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頼朝と「男の嫉妬」心

最近本屋で、「男の嫉妬」(副題 武士道の論理と心理 ちくま新書 山本博文著)という題の本を見かけた。頼朝と義経の関係が書いてあればと思い、手に取ってみると、著書山本氏の専門は、近世史の研究者なので、「葉隠」の作者の山本常朝などの話が中心であった。 私にとって武士世界における最大の「男の嫉妬」は、義経にみせた頼朝の仕打ちである。私のような義経贔屓の者だけではなく、古今東西どのような社会であれ、命を . . . 本文を読む
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西行が死に行く木曾義仲に捧げた歌鑑賞

【西行の義仲を哀れむ歌四首】 西行の聞書集の中に、「地獄絵を見て」という一連の歌が並んでいる。どこまでが「地獄絵を見て」なのかは、不明だが、この続きに死んでゆく木曾義仲に捧げたと見られる歌が四首並んでいる。 1.歌 朝日にやむすぶ氷の苦はとけむ六つの輪を聞くあかつきの空 (歌意:朝日が昇ってきた。これで氷結した氷のような苦しみも氷解してゆくのだろうか。暁の空に錫杖の音がどこからともなく聞こえて . . . 本文を読む
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文治2年8月15日の西行と源頼朝 1

【文治2年8月15日の西行法師と源頼朝会談を考える】 吾妻鏡の文治2年(1186)8月15日と翌16日に西行が、奥州への砂金の勧請に行く途中、鎌倉に立ち寄り、頼朝と会談したという有名な話がある。しかしこのエピソードについて、これまで歴史的な解釈はされてこなかった。頼朝に貰った銀の猫を、門外の幼児に渡して、物に固執しない西行法師を物語る所謂「西行伝説」のひとつとして通俗的に解釈されてきたに過ぎない . . . 本文を読む
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伊勢三郎義盛は山賊ではない!!

伊勢三郎義盛について少し言及しておきたい。大河ドラマ第九話では、鏡の宿であるから、滋賀県の竜王町の辺りで悪さをしている山賊として登場するのであるが、これは少なくても、おかしい。何故ならば、伊勢三郎という人物は、実在の人物で、しかも「義経記」によれば、一番最初に家来になった重要人物であるから、それなりに注意をした描くべきである。 義経記によれば、伊勢三郎と義経が出会ったのは、上野国の板鼻(現在の群 . . . 本文を読む
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弁慶伝説の面白さ

能に「船弁慶」というものがある。ここでの弁慶は、超人的な法力を持つ、カリスマ的な人物として描かれている。この能で義経は、台本に「子方」と明記されている。子方というのは、「能などで子供のする役。また、その役をつとめる役者」(広辞苑)のことだ。 能の古い姿を今に伝えると言われる黒川能(山形県東田川郡櫛引町黒川)でも、やはり義経は、少年が面を被らずに演じ、弁慶の方は、面を付け、大柄な人物が演じている。 . . . 本文を読む
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金売吉次伝説

奥州の黄金伝説を語る時に避けて通れない人物に金売吉次という人物がいる。平治物語はこの人物を掘弥太郎としている。果たしてこの人物が本当に吉次であったかの判断は難しい。 吉次伝説の背景には奥州の黄金文化がある。宮城県涌谷町に黄金山神社(こがねやまじんじゃ)という神社がある。社伝よれば、天平21年(749)に、この地から、日本で最初の金が産出されたとされる。時は聖武天皇(701-756)の時代である . . . 本文を読む
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全国に点在する静終焉の地

全国に静の墓と称されるものは、数多くある。 埼玉の栗橋町は、静の塚があることで知られる。この地の伝承によれば、静が鎌倉を離れた後、京都に戻った静だが、義経を慕って、遙々奥州平泉に向かう途中、義経自害の知らせを聞いて力を落とし、この地で没したということだ。福島の郡山市に残る伝承も大体これと同じで、義経の悲報に接した静は、悲嘆して池に身を投げて亡くなったとの言い伝えがある。 また兵庫県津和町は、静 . . . 本文を読む
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鬼一法眼を推理する?! 2

先の九条兼実の日記から、この希少な書物「六韜三略」は、天下広しと云えど中原家にしかないように見受けられます。ところで、中原師景の公職は、「大外記大夫」であるから、外国から伝わった文書管理や公文書を作成することなどを生業とする仕事に携わっているわけですが、その祖父中原師遠が、どんな功績があって、天下の希書「六韜三略」を授かったのか、その理由は研究の余地があります。ただ、この中原家には、どうももうひと . . . 本文を読む
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鬼一法眼を推理する?! 1

これまで鬼一法眼の物語は、義経記の作者が創作したキャラクターだと思われてきました。もしもこれがある現存する人物がいたとしたら、驚きです。義経記では、「鬼一法眼」を、一条堀川に住む陰陽師という設定にしています。一条堀川は、現在も陰陽師の元祖とも言うべき安倍晴明を祀る「清明神社」もあります。謎の人物、鬼一法眼を探す旅に出てみましょう。 義経記はこんな風に語ります。 「ここに代々の皇室の宝として秘蔵 . . . 本文を読む
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鬼一法眼は実在した?!

「鬼一とは誰か?」という○△さんのご指摘面白いです。というのは、これまで一般的に「鬼一」という人物は、義経記に登場する創作された人物と見なされてきましたが、あなたのご質問で、「まてよ」と思ったのです。もしかすると実在した人物であるかもしれません。 「義経記」の鬼一法眼の記述のお陰で、後にさまざまな伝説が作られました。現在、鞍馬山の山門を登るとすぐに小さな放生池の先に「鬼一法眼社」があります。また . . . 本文を読む
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