【富士川の戦いと夜戦シーンについて】
「富士川の戦い」について触れておきたい。「戦い」と言っても実際には、水鳥の羽音を聞いて源氏軍の夜襲と思った平家軍が、一目散に逃亡したものである。何故そのような情けないことが起こったのか。「平家物語」の「巻第五 富士川」では、この時の事情を次のように記している。
『そうしているうちに(治承4年)10月23日になった。明日は、源平双方が富士川にて矢合わせを行う . . . 本文を読む
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【兄頼朝の凄さが描かれない不思議】
大河ドラマ「義経」第15話を観る。シナリオが「平家物語」のストーリーを追っているだけで、「平家物語」を「やっつけていない」と感じた。うまく料理できていないと言った方が適切かもしれない。
シナリオを料理に喩えるならば、シナリオ作家は料理人である。そこに素材としての「平家物語」がある。平家物語は、料理人冥利に尽きる最高の素材である。ところがあまりにも料理人の力量 . . . 本文を読む
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【まったくイメージの湧いてこない平泉の都市景観】
大河ドラマ「義経」の中で天才武将義経の揺籃期とも言うべき奥州時代があっという間に過ぎてしまった。足かけ6年になる黄金の都平泉での義経の生活を考えると、都市「平泉」研究の最新成果が盛り込まれたセットあるいは景観の映像が流されると期待していた思いは見事に裏切られた気分である。
まず、平泉に場面を展開する時、その冒頭に出て来た束稲山方向からの鳥瞰図で . . . 本文を読む
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【義経の奥州での六年間を推理する】
奥州の義経について考えてみる。もちろん奥州における足かけ六年間の行動については確たる史料はなく伝説の部分であるから、12話のナレーションにあるような、「奥州の義経は、年に二度ほどの長旅をした」というのもあながちウソにはならないが、思わず首を傾げてしまった。いったいどこから「年に二度」という言葉が出てくるのだろう。
大河の中の義経のイメージは、奥州の六年間を単 . . . 本文を読む
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【頼朝の非凡さについて】
さて、14話では、吾妻鏡の治承四年8月6日の条に記述されていると見られる密議がシーン化されていた。そこでは頼朝の打倒平氏のほう起について、北条時政と政子と頼朝の話し合いの結果で決定されたような描き方をしていた。特に男勝りの政子は令旨の正当性までも指摘するなど、当初から頼朝の政治的アドバイザーにでもあるかのような趣きであった。確かに史料の伝える政子は、男勝りで新しい女性で . . . 本文を読む
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【頼政の無念が感じられない宇治の戦い】
大河ドラマ「義経」第14話をみた。内容としては実に薄っぺらで非常に散漫なものであった。私が見る限り、作家は「平家物語」を持て余し気味で、ただストーリーの表面をなぞっているようにしか見えない。
この薄っぺらさの原因は、台本を作る作家が「平家物語」という古典の劇的世界や運命の哲学を理解せず、大河のように流れる物語のストーリーを追うことに躍起とならざるを得ない . . . 本文を読む
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【「鳥羽殿」の読みは『とばでん』か『とばどの』か?!】
江戸中期の俳人与謝蕪村(1716-1783)の句に、
「鳥羽殿へ五六騎急ぐ野分かな」
というのがある。これをひらがなで表記すれば、
「とばどのへ ごろくきいそぐ のわきかな」となる。
この句は、蕪村が、京都の伏見鳥羽にあった鳥羽殿(とばどの)あるいは鳥羽離宮と呼ばれる土地に行った際、鳥羽法皇(1103-1156)の死後、崇徳上皇 . . . 本文を読む
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【源三位頼政の感性と苦悩について】
今回の十三話は、言うならば、源頼政(1104-1180)の物語である。しかもこの人物は、源氏方でありながら平治の乱では、源氏方の義朝を見捨てて、平清盛に付き従三位にまで登り詰めた人物である。本人としては、本意を殺しての清盛への奉公であったと思う。武者として人間として、彼は歌人としても一流の人物であるから、おそらく心には言葉にならない葛藤を持っていた人物である。 . . . 本文を読む
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【大河の義経は出来損ないの『ハムレット』に成り下がった】
大河ドラマ「義経」第十三話をみた。何も言うことがないほど、ドラマは破綻している。何しろ、本ドラマの義経は、令旨(りょうじ)を持ってきた源行家の前でも、明確な返答も出来ず、秀衡に「父とも慕う清盛に弓を引くことになるが、それができるのか?」と問われて、まだ迷っている有様であった。「おい、おい?」と思わず口走ってしまった。はっきり言わせて貰えば . . . 本文を読む
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【平重盛小論】
十二話の背後にあるものを政治史の側面から少しばかり考えてみる。平清盛という成り上がりの人物が、当時の日本の政治構造に対して、いったいどのような変革のビジョンをもっていたのだろう。
「平家物語」で語られることは、日頃の後白河法皇のやり方に怒っていた清盛が、重盛という温厚な良識派の息子の死を契機ととして、ついにその本性を出して、福原より兵を上げ、ついには法皇を鳥羽殿に幽閉してしまう . . . 本文を読む
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【平重盛小論】
さてこの鹿ヶ谷の陰謀の後の清盛の恐怖の裁断を良しと重盛が認める意味が分からない。何故ならば、その後のセリフで、清盛は心に夜叉を持っているのに、おもてに出るのは、「情」だと言っている。これは矛盾ではないのか。
原典の「平家物語」でも、ドラマ「義経」における清盛にも、夜叉の心を抑えて、「情」がおもてに出ているとは思えない。それに重盛が夜叉の部分を引き受けるというのであれば、すべての . . . 本文を読む
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【平重盛小論】
第十二話を見た。今回は、「平家物語」にすれば、巻第三の部分にあたる。この巻のハイライトは、平家方の諌言役としての重盛の死にある。何故重盛の死かと言えば、原典である「平家物語」の中でも、重盛という人物が、平家の良心を一身に背負っているような人物として描かれていて、この人物の死は、そのまま平清盛の業としての悪逆非道を抑止できる人間が居なくなってしまったことを象徴する事件だからである。 . . . 本文を読む
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第十一話においては、奥州での義経の泰衡救出劇とそれに伴っての義経評価の高まりという創作部分に比重が掛かりすぎて、肝心の平家物語の筋立が疎かになっていた。この回で、描かなければならなかったのは、平家政権の凋落の兆しである。ところがこの描き方が余りにサラリとしていた。映像のモンタージュと語りによって、説明していたが、泰衡救出の創作劇などよりは、何故平家政権に対する反発が起こったのか。その根底にある問題 . . . 本文を読む
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【都市平泉への無知と無謀なストーリー展開】
「義経」第十話をみた。一言で云って、腰砕け状態だ。平泉という中世都市に関する知識レベルが稚拙過ぎる。
おそらく、作者も演出家も、実感(あるいは実景)として平泉を掴んでいないのだろう。冒頭のCG映像で、都市平泉の鳥瞰図をもってきていた。この原図は「図説奥州藤原氏と平泉」(高橋富雄他著河出書房新社 1993年作成:板垣真誠氏 監修:入間田宣夫氏)掲載の束 . . . 本文を読む
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【平泉へ海路を行くとしたら・・・】
さて、平家が追いかけて来たというので、義経一行は、駿河(静岡の清水か)辺りで駿河次郎を船頭として、船に乗って奥州に向かったという設定である。着いたところはどこの湊であろうか。作家がはっきりとどこという意識を持って描いた土地ではなかったように思える。バックの景色もスタジオで、実に曖昧であった。
勝手に想像してくれというのであれば、塩釜で上陸した一行は松島を越 . . . 本文を読む
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