判官贔屓 6

 【聖徳太子のイメージの変容と判官贔屓】 源義経という人物は、非常に強い意志を持った人間です。人によっては、そんな義経を父義朝の復讐しか頭にない単純な男と切り捨てる傾向があります。彼の意志の強さと軍事の才能がなければ、源氏軍は、あのように華々しい勝利によって、鎌倉に独自の政権を打ち立てることは叶わなかったはずです。 この義経さんの意志の強さに比肩しうる歴史的人物は、聖徳太子という人物ではないで . . . 本文を読む
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判官贔屓 5

中尊寺の「伝源義経公肖像」考 平泉の中尊寺に源義経の肖像であるとして伝わる画があります。この画について、詳しいことは分かっていません。いずれにしても室町期から江戸中期に描かれたものと推測されます。室町期と言えば「義経記」がまとめられた時期ですし、江戸中期と言えば、江戸庶民が、判官物の芝居に熱狂していた時期です。芭蕉は、そんな悲劇の英雄を思いを馳せて、心の中で「ヨシツネ、ヨシツネ」とかけ声を掛けな . . . 本文を読む
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判官贔屓 4

 【「益荒男」から「手弱女」への義経像の変化】 歌舞伎の判官物を見てみると、判官物といわれる出し物でも、義経さんが中心になって、ガンガンと活躍するものはまずありません。いつも義経さんは脇役です。まあこれは「能」の流れを汲んでいると思うのですが、「舟弁慶」でも「勧進帳」でも、「義経千本桜」でもみな不遇を託(かこ)つ義経さんは、主役ではなく、あくまで物語を展開するための脇役に過ぎません。主役と言えば . . . 本文を読む
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判官贔屓 3

 【江戸庶民と贔屓】 何年か前、小笹寿司のオヤジさんに、「佐藤さんはオサムライだからな」と言われたことがありました。「オサムライ?」その時は、何の意味かと思いました。しみじみその言葉を噛みしめてみると、「江戸前寿司という文化を背負っている」という強いアイデンティティを持っているオヤジさんの言いたいことが段々と分かってきました。 江戸文化には、サムライ文化と町人文化のふたつの流れがあります。サム . . . 本文を読む
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司馬遼太郎の「義経論」

 「日本人と日本文化」 中公新書 司馬遼太郎/ドナルド・キーン著 「日本人と日本文化」という本が中公新書(1972年刊 285)から出ています。司馬遼太郎とドナルド・キーンの対談集です。 この中に「英雄のいない国」と小見出しを付けられた部分があります。 キーンさんがこんな問いかけをします。 「もしいまの日本人に、日本の歴史でいちばん偉い人物はだれであったかと質問すると、どういう返事が返って . . . 本文を読む
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