勘三郎の役者魂でみせる幕末2時間ドラマ「河井継之助」を評す

【大河義経と同じ脚本家だが民放に来ると斯くも違うのはなぜ?】 日本テレビで勘三郎が河井継之助を演じるという。どんな河井、どんな幕末になるのかと、興味津々でテレビの前に座った。脚本は大河「義経」と同じ金子成人氏であった。まず勘三郎の役者としての覇気が伝わってきた。演技としてはかなり入れ込んでいて、勘三郎の役者としての体温のようなものを感じた。 また幕末、長岡藩という新潟の小さな藩が否応なく置かれ . . . 本文を読む
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大河ドラマは手作りの感性を失っている?!

この05年12月27日、襲名したばかりの中村勘三郎が、長岡藩の河井継之助を演じるそうだ。あまり知られた人物ではないが、このような地味な人物に光を当てる試みはいいことだ。 制作は日本テレビであるが、この作品に河井継之助を研究している地元の郷土史家が制作に加わっているそうだ。地元の歴史家がシナリオの段階から入るということで、よりリアリティが増すことであろう。 また勘三郎も、制作段階からこのシナリオ . . . 本文を読む
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菱沼一憲氏「源義経の合戦と戦略」を義経論として読む

まず、大まかな読後感。 義経の軍事的天才性をほんのりと否定し、常識の範囲に置く目論見のように感じた。一方政治家としての能力の側面を「鎌倉遺文」などによって、再評価しようとする動きもあるように見える。 厳しく言えば、本書が何を目指して書かれたのか、そのテーマが不明。つまり本書は、「義経の合戦の評価」なのか「鎌倉幕府成立史における義経の役割論」なのか、いったいどっちなのか。 内容をみる。 第二章「 . . . 本文を読む
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全国に広がる義経伝説の特徴と諸相

【横井寛氏の「その後の静御前」への解説】昨日、工学博士であるという横井寛氏より、下にリンクしたような静御前に関するご投稿をいただいた。タイトルには、「その後の静御前」と記されていた。讃岐に伝わる静御前にまつわる伝承をまとめたものであった。そこには、抑えた文章ながら、筆者の静御前とふるさとへの思慕の情が香り立つようであった。義経の伝承伝説というものは、このようにして形成されてきたものなのか、そのよう . . . 本文を読む
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大河ドラマ「義経」 覚え書き 第四十九話(最終回) 中

イメージの貧困な昇天シーン   さて大河の衣川合戦である。まず最初に、義経の甲冑が、第一話の一ノ谷と同じというのは実に貧乏臭くていけない。義経はオシャレな武将である。ひとつの戦の中でも、次々と甲冑を代えて、敵の目を欺くような人物が、まさか一ノ谷で使用した甲冑を後生大事にもっていて、それを最後の衣川合戦で着ているということはあり得ない。NHKはそんなに貧乏なのか。次に肝心の合戦である。 . . . 本文を読む
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義経謀殺説 2

一般に今日、義経の死に関し史実として伝えられていることは次のことである。 文治五年閏4月30日、衣川館に住む義経主従を泰衡の兵が取り囲み、合戦に及ぶ。主従は奮戦したものの、最期の時を覚った義経は、持仏堂に籠もって、まず妻子を殺害、自害に及んだ。 しかし郎等の供養塔の配置や最期の地をめぐる比定地(衣川館と高館)など、地元の伝承などとかなりの食い違いがあり、吾妻鑑の伝える義経の死の真相とは、少し矛 . . . 本文を読む
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義経謀殺説 1

伝義経終焉の地平泉義経堂 義経の死を廻る事件の概要とその情報が鎌倉から京都に伝播する流れを追ってみたい。吾妻鑑文治五年閏四月三十日の条に、義経の殺害事件がこのように記されている。「今日、陸奥の国で、藤原泰衡が源義経(義顕)を襲撃した。これはひとつは勅定の責任によって起こったのであり、もうひとつは頼朝公の仰せに従った結果である。この時、義経は民部少輔藤原基成朝臣が居住する衣川の館にいた。泰衡の . . . 本文を読む
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神奈川県藤沢の白旗神社

義経を祀る藤沢の白旗神社 藤沢市本町に白旗の地がある。ここに源義経を祀る白旗神社がある。かつての神社の境内はもっと広くて、今「義経公首洗い井戸」として伝わっている周辺まであったと言われている。江戸時代の古地図を見ると、「首洗い井戸」の傍らにこんもりと盛り土された一角があり、ここが「義経の首塚」として伝えられてきた。夏の恒例行事になっている白旗まつりでも、御輿は、必ずこの付近に参集し、藤沢の町 . . . 本文を読む
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大河ドラマ「義経」 覚え書き 第四十九話(最終回) 上

【頼朝の戦略と奥州の内部抗争】 大河ドラマ「義経」最終回を観た。画面があまりにも慌ただしい。たった一ヶ月に満たない「腰越状」を三回も引っ張るから、二年三ヶ月ほどの義経の最後の奥州での時間が、二回でみみっちく終わってしまうのである。何しろ、冒頭でいきなり文治五年(1189)となる。ここからのストーリーがもっと悪い。和田義盛率いる鎌倉勢が鎌倉勢白河の関を越えて奥州領内に侵入しているとの情報が義経 . . . 本文を読む
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平泉の夏

平泉の夏(北上川)砂州の向うに左に亀ごとく関山中尊寺その右手前に衣川遠くに栗駒山が見える 【芭蕉の平泉への思いの奥を探る】 文治五年閏四月三十日(1189)義経の死とともに奥州平泉の黄金文化も滅んだ。いや藤原秀衡が亡くなった時、義経の命運と平泉の運命も決まったというべきか。   松尾芭蕉(1644ー1694)は、この美しい北の都が灰燼と化したちょうど500年後の夏(元禄二年陰 . . . 本文を読む
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京都 鞍馬山の木の根道

  鞍馬山の木の根道京都は義経にとって、かけがえのない「ふるさと」であり、母そのものである。しかし京の都は義経にとって必ずしも安住の地ではなかった。そこは己の運命の過酷を知る厳しい場所であった。牛若と呼ばれた義経は生まれながら、平家の監視下に置かれ、常に命の危険があった。そこで母常磐は、わずか7才の牛若を鞍馬山に預けるしかなかった。一般にふるさと言えば「ゆりかご」のような穏やかなイ . . . 本文を読む
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大河ドラマ「義経」 覚え書き 第四十八話

ー秀衡の遺言とは?ー 義経第48話を観た。卒業前、駆け足気味で日本史の授業を受けているような淡泊で義務的な印象の回。安宅の関から東下りの苦労譚を一切カットしているため、逃亡の苦労そのものが、ダイレクトに伝わって来ない。 本来、義経と秀衡の対面シーンは。南部神楽にもなっているように実に感動的な場面なのであるが、義経があのように涼しい顔では、名場面が丸つぶれである。まず第一に何度も言うのだが、作り . . . 本文を読む
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大河ドラマ「義経」 覚え書き 第四十七話 下2

ー勧進帳小論 続ー 能の演目である「安宅」が、およそ350年ほどの歳月を経て、歌舞伎「勧進帳」として変化した。このことの意味を少しばかり考えてみたい。「安宅」とは言うまでもなく地名であり、関所のあった場所である。これが、歌舞伎となった時、「勧進帳」と題目を変化させた。一般的に「勧進」とは、寺社への金品の寄進を乞うために各地を巡り歩く行為である。あの西行法師も勧進僧として、平家によって焼かれた東大 . . . 本文を読む
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