ジダン伝説の誕生と義経伝説

人は心のどこかでヒーローを探しているようなところがある。ヒーローとは、常人の考えが及びもつかないような能力や才能を発揮し、時には時代を一変させてしまう魔のようなパワーを持つ存在である。

そのような人物が、時代の寵児となり、一躍ヒーローの玉座に座ることになるのである。古くはアレキサンダー大王もそのような人物だった。わが国を遡れば、思い出されるのは源義経である。フランスには、皇帝まで上り詰めたナポレオンがいる。彼はフランス革命の熱を世界中に伝えたと言われるヒーローだった。

奇しくも、上に挙げた三人のヒーローは、武人であるが、現代の戦士ともいうべきサッカー界で、ひとりの特別なヒーローが誕生しようとしている。その人物の名はジネディーヌ・ジダン。彼はフランスの植民地から独立したアルジェリアからの移民の二世として、1972年南仏の港町マルセイユに生を受けた。

ジダンのサッカーのキャリアは今更説明の必要がないほど素晴らしいものだ。

1996年、フランスリーグFCボルドーから世界最高峰のサッカーリーグ(イタリア)セリエA「ユベントス」に移籍するとたちまち才能が開花した。

2年後の1998年、地元フランスで開催されたFIFAワールドカップでは、優勝の原動力となり、同年には欧州最優秀選手及びFIFA年間最優秀選手に選ばれ、文字通り世界最高の選手となった。

2001年には、巨額の移籍金(80億円?)でスペインリーグのリアル・マドリッドに移り、ブラジルのロナウドやイギリスのベッカムなど世界選抜といえるようなチームメートとともに、世界中のサッカーファンの憧れのスーパースターとして活躍をしているのである。

しかしそんなスーパースターにも紆余曲折は付き物である、

2002年アジアで初めて開催された日韓開催のワールドカップでは、練習試合で負傷し、フランスチームも予選リーグを勝ち上がることができずに敗退。ジダンは屈辱を舐めたのである。

2004年、ジダンはフランス代表からの引退することを表明し、フランスサッカーファンの失望を買った。ジダンの心の中で様々な葛藤があっての決断だったはずだ。しかしジダンは、細かいことについては多くを語らない。寡黙なジダンの生き方は、時に憶測を呼び、ジダン神話のようなエピソードが少なからず形成されていった。

しかし2005年ジダンは、突如として、代表復帰を宣言する。それはフランス代表チームの低迷を見かねたファンの声がジダンの心を動かした結果だった。祖国のために2006年のワールドカップ出場を果たそうと、体力の衰えを感じながらも、ジダンは自らのサッカー人生のすべてを2006年のドイツワールドカップにかけて戦ったのであった。

しかしフランスチームの前評判は低かった。事実、予選リーグ第一戦のスイス戦(6月14日)は、決定打を欠き、0対0のスコアレスドローに終わった。続く韓国戦(6月19日)も1対1で引き分け。この時点で、フランスの決勝トーナメント進出は厳しいとの声が上がり始めた。しかも韓国戦でイエローカードをもらったジダンは続くトーゴ戦(6月24日)は出場できないのである。いくら格下とはいえ、ワールドカップは何が起こるか分からない。頼みの綱のジダンも居ない。

ジダン欠場のピンチをフランスチームは懸命にカバーした。選手の背中には「何としても、トーゴ戦に勝って決勝リーグにジズー(ジダンの愛称)と一緒に進むのだ」そんな思いが漲っていた。トーゴチームの善戦に前半は苦戦したものの、結果は2対0の大勝だった。そしてフランスは苦戦しながら予選リーグGを突破した。

決勝トーナメントは、文字通り、負けたら母国へ即刻帰還しなければならない勝負だ。後はない。しかも相手は強豪スペインチームである。双方の気迫は凄まじく、好試合となった。中でもジダンの形相は、凄まじく神懸かっているようだった。訥弁なジダンがこの試合の後には、珍しく饒舌でこんな言葉を発した。
「我々は今夜、信じられないくらい飢えた状態で試合に臨んだ。どうにか勝利を物にしたからには、このまま勝ちつづけたい。」

ジダン自身も後半全盛期を彷彿とさせるドリブルで左サイドを抜け、デフェンダーをかわして鮮やかなゴールを決めた。おそらくフランスチームにとって、この試合はベストゲームではなかったかと思う。心配されたフランスチームは、こうしていつの間にか、優勝候補に数えられるようになったのである。

しかし次の相手は、FIFAランク一位で、絶対の優勝候補といわれるブラジルチームだ。いかにこれまで相性のいいブラジルチームとしても容易に勝てる相手ではない。

ブラジルには、ジダンの後を継ぎ、現代最高のサッカー選手といわれるロナウジーニョやレアル・マドリッドの僚友ロナウドやロベルト・カルロスがいるそれ以外にも、MFのカカなど才能豊かなタレントがいる。いくら何でも、フランスチームが勝てる確立は低い。誰もがそう思っていた。

そして2006年7月2日、笛が吹かれる。すると不思議なムードのゲームになった。ブラジルが普段のブラジルらしくないゲームの組み立てをした。ロナウジーニョは、ロナウドと並んで、最前線にいるために、彼らしい敵陣の中断から鋭く切り裂いて行くようなプレーが見られない。何か魔法にかけられているような感じにさえみえる。珍しくミスも目立つ。明らかにブラジルチームは焦っていた。ジダンがいつの間にか魔術師のように見えた。縦横無尽な自由な発想のプレーをするブラジルの良さが封じられていた。これをブラジルはジダン病に罹った、と表現した報道があったようだが、言い得て妙である。そして奇跡の瞬間がやってくる。ジダンが左サイドのペナルティエリア付近からゴール前に鋭く早いPKを蹴ると、エースのアンリがボールをインサイドキックでゴールに押し込んだのだ。

「こんなはずはない」ブラジルチームの焦りは頂点に達した。いったん狂ったリズムというものは容易に当て直せるものではない。それに相手には、ジダンというカリスマが居る。まさにブラジルはジダンの魔術にはまってしまったということが言えるだろう。ジダンは、再び吠えた。「あとは優勝トロフィーを目指すだけだ。こうなった以上、止まるつもりはない。」

こうしてフランスは最強と呼ばれたチームを破り、続いてポルトガルチームも0対1で撃破したのである。ジダンの言う通り、明確に優勝トロフィーが見えてきた。一戦一戦ごとに実力を発揮し始めた。もちろんフランスの原動力は、凄まじいまでのジダン気迫とこの戦いにかけた執念であった。

決勝はイタリアとの間で戦われることになった。イタリアチームは、いかにジダンの魔法に罹らず、ジダンを押さえ込むか、この一点に集中したように見えた。あの頭突き事件も、そんなジダン封じ込め作戦の中で起こったハプニングだったと思われる。決勝戦は、とにかく重苦しい一戦となった。互いに相手の実力も熟知しているだけに、好試合というよりは、息の詰まるような試合となった。とかく、頂点を決めるような試合はこのようなことになりがちである。互いに神経質になり、はっとするような想像力に欠けるゲームになってしまったというべきか。そんな時、己の弱さをカバーする理性も意思力も無力となってしまうことがある。しかしそれもサッカーというものであり、私はそれを否定する気は毛頭ない。ジダンは、このゲームの消耗な神経戦において、明らかに一瞬怒りに我を忘れたかもしれない。しかし私はそれさえも美しいと思う。単純な暴力否定論には、今回のジダン問題には与したくない。もちろんジダンだから暴力が許されると言うつもりは毛頭ない。ギリギリの闘争本能むき出しの真剣さが、観る者の心を打つのだ。

ギリシャ神話でも旧約聖書でも、インド神話でも、神々は特に雷(いかずち)となって怒り狂うものである。そうして人間の心の奥底で、人類に関わる神話と伝説は形成されてきたものである。ジダンの決勝戦でのひとつの暴走は、私からみれば、非常に神話的で伝説的であり、そして何よりも美しい。

すでに今回のジダンによる劇的なハプニングから、様々なジダン神話が形成されつつあるように感じる。つまり世界人類は、ジダンというひとりのヒーローの行動の中に、新しい神話を発見し、それを記述し始めているということになる。私は義経伝説というものが、長い年月の中で、様々に発展してきた過程をつぶさに学んできた経験から、ジダンという人物が将来において、21世紀のスポーツ界を代表するような伝説的ヒーローになると確信するものである。
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