大河ドラマ「義経」 覚え書き 第十九話 上

本当の北条政子は気配りの人だった!?」】


大河ドラマ「義経」19話を観た。正直少し飽きてきた。もうドキドキ感がない。理由は、どの程度のドラマかということが分かってきて、新しい発見があるようには思われないからだ。家族の絆をを中心に描くという原作者の意図は、明らかに空振りに終わっている。平家では、ひとり宗盛の無能さを強調し、平家滅亡の原因は、彼の無能さに起因しているような描き方にすら思える。

その一方で、源氏では頼朝の政治家としての手腕と政子の男勝りの政治家振りが強調されていて、これまでのステレオタイプの頼朝と政子像から一歩も抜け出していない。政子などは、ネオ「尼将軍」的イメージで、嫌らしいほどに「女の業」のようなものが強調されていて、見る者に不快感すら与えかねない印象がある。義経を見つめる時の心の屈折さ色目の入り交じったような目は下品そのものであり、いったい本当に頼朝を愛しているのかということすら疑ってしまうほどである。一歩間違えれば、権力の権化のようにも見え、女性として魅力に乏しい女性として描かれているのは、誠に残念である。大体、常に頼朝の側にいて、父時政以上の補佐役振りは、どのように考えても現実の政子とはかけ離れ過ぎている。

私が思う政子像であるが、彼女は、夫頼朝が、鎌倉における政治基盤の弱さから、とかくアジテーターとなり、虚勢を張っているようなところがあるために、その緩衝材になって気配りをしていたと考えている。政子は当時の新しい女性の代表のような女性であった。それはこれまで言われていたように、単に武家の出で、しかも伊豆という田舎育ち故に、そうなのではなく、一種の時代の流れがあって、その中に伊豆の生まれの政子も都生まれ(?)の静もいたということになるのではないだろうか。

後に、義経と別れた静が吉野で囚われて、鎌倉にやって来た折り、舞殿で義経に対する愛の歌を臆することなく頼朝の前で堂々と歌い舞った折り、頼朝が癇癪を起こした時に、静へ共感を示し、頼朝の怒りを鎮めたのは、政子だった。頼朝は、慎重な部分もあるが、非常に偏屈な部分があるが、政子がここでも緩衝材にとなって、場を収めている。その後も政子は、静を哀れに思い、何かと面倒を見ている。静に政子が共感を示したのは、もちろん可哀想と憐れみをかけたこともあるが、それよりも、しっかりと自己主張をする静に自分と似た感性を感じ取っていたからではないだろうか。

しかし歴史的には、政子は、男勝りの代表のように描かれることが多い。今回のご多分にもれず、政子はえげつない権力志向の女性として描かれている。現実の政子が、頼朝に輪をかけて偏屈だったとは思われない。頼朝死後における彼女のイメージが強いために政子という女性の男勝りの面がひとつの「北条政子伝説」となってエスカレートしたということではないだろうか。

私は、先ほども言ったように政子は、中世日本が新しい世となる時に登場してきたニューウエーブの女性であったと考える。彼女は一途な女性ではあるが、その後の「尼将軍」というイメージから類推されたような強いだけの女性ではなかった。気配りのできる柔軟な女性であったと思う。

したがって、先の回で登場した大工馬引き事件でも、大河ではあたかも政子が裏でシナリオを書いたごとき描き方であったが、むしろこの時でも、政子は義経の許に言って、「あんな言い方したけど、鎌倉殿の真意はそうではないのよ」と緩衝材となって慰めたとすら思うのである。

今回の大河の「政子」という女性の描き方に対し、私は極めて不満である。あの政子の性格は、頼朝の分身のようで陰湿でしかもひねくれ過ぎである。しばしば歴史(吾妻鏡)の中で見せたような気の強さの反面にある周囲に気配りのできるイメージの政子像とはかけ離れている気がしている。要はもっと魅力的な政子が見たいのである。いやもっと正確に表現しよう。私はもっと魅力的な人間が登場する真実の人間ドラマが観たいのである。

つづく
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


« 判官贔屓 1... 大河ドラマ「... »


 
コメント
 
コメントはありません。
コメントを投稿する
ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません
 
コメントをするにはログインが必要になります

ログイン   新規登録