東京駅、三菱一号館を見学途中、ランチに寄ったのが、東京駅南口のオアゾ、丸善で『早矢仕ライス』を
食べました。
ハヤシライスの由来にはいろいろな説があるそうですが、丸善の創業者早矢仕有的(はやしゆうてき)が
作ったとも言われています。
早矢仕有的はもともと医者でした。
安政4年(1858年)、江戸に上り開業しました。
その後、坪井信道に学んだ後、慶應義塾に入塾して福澤諭吉らに蘭学を学び
明治維新後の明治元年(1868年)に横浜黴毒病院の医師となりました。
しかし、有的は医学だけに才能があったのではなく、商才にも長けていたようです。
医師となって数ヵ月後の11月10日(12月23日)に、書店丸屋をオープンさせ、
明治2年1月1日(1869年2月11日)付けで「丸屋商社之記」制定し、
正式に横浜新浜町(現・尾上町)に書店丸屋を開業したということです。
当初は洋書、や日本語訳した医学書、などを販売していました。
さて、明治初期の横浜は外国人でとてもにぎわっていました。
明治学院を創設したヘボンもこのころは横浜でヘボン塾を創設したり
辞書を編纂したりしていました。
有的はヘボンら当時日本を訪れていた外国人と親交があったそうです。
ヘボンも医者で、日本へは医療伝道師として来日したのですし、辞書の編纂などで
早矢仕有的とはつながりがあったのでしょう。
また
有的は、西洋料理にもなじみがあったため、友人が訪れるとあり合わせの肉や野菜をゴッタ煮にして、
ご飯を添えて振る舞っていたようです。
やがてこの料理は「早矢仕さんのライス」といわれるようになり、評判が評判を呼んで、
ついには「ハヤシライス」の名で街のレストランのメニューになったとか、、、、。
さて、丸善のハヤシライス、お味の方はどうかというと、
ふんわりしたオムライスのたまごの中に白いライスが入っていて、
マイルドでまあるい感じのソースがかかっています。
有的の作った西洋風ごった煮というより、洗練された上品な料理です。
1人前1200円。
下記はハヤシとカレーが一緒になった二色のものです。
さて、最後にヘボン博士の編纂した『和英語林集成』は
徳川幕府により初版の版権は認められたが、明治政府になり外国人の版権は条約改正の担保となり、
許可されませんでした。
ヘボンはこの辞書の版権を横浜時代から薬種商として付き合いのあった丸善に譲ったそうです。
下記はhttp://www.meijigakuin.ac.jp/mgda/topics_hepburnhall.html明治学院図書館デジダルアーカイブス
からの引用です。
1886年(明治19)10月29日の毎日新聞は
「ヘボン氏の義捐:丸善より発売したる同氏著述の『語林集成』は一万八千部ほども予約ありし
とのことなるが、外人が現行法の下に版権を有するあたわざるにより、
同氏は丸善の請いに任せ、五、六千円とかにて稿本を売り渡し、
その金円は残らず米国の伝道会社へ寄付したりという。」
『明治学院五十年史』は「和英語林集成の版権を丸善商社に托して一萬円を獲た時も
その全額を明治学院寄宿舎の建築に寄贈した。」とし、
その金額は2000ドル(1万円)が通説とされている、と書かれているようです。
丸善のハヤシライス、明治の味わいがありますね。
引用/参考文献
http://www.meijigakuin.ac.jp/mgda/topics_hepburnhall.html 明治学院図書館デジダルアーカイブス
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A9%E7%9F%A2%E4%BB%95%E6%9C%89%E7%9A%84
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