中国をめぐる様々なニュースが続いています。
中国ほど歴史的に興味をひかれ、面白く、深い国はないと思うのですが、
最近はちょっと心配ですね、、、。
写真は
シルクロードの調査隊に加わった時のものです。
玄奘三蔵が旅した道をたどる、というものでした。
『西遊記』で有名な三蔵法師は実在した人です。
もともとは釈迦の教えの「経」、仏教者の守るべき戒律の「律」、
経と律を研究した「論」の三つを究めた僧を三蔵といったそうです。
ですからたくさんの三蔵がいたはずなのですが、玄奘はきわめて優れていたので、
三蔵法師といえば玄奘のことと、多くの人が考えています。
(私も三蔵=玄奘=西遊記と思っていました、ずっと!!)
玄奘は、今でいえば国際交流の達人だと言えるでしょう。
唐の時代
西域(シルクロード)ではたくさんの国が興っては滅びて行きました。
玄奘はこのとき、30数カ国を旅をしてインドに仏典を求めて向かいます。
西域は広大です。国や地域によって言語が異なりますが、
ことばがよく通じなくても、玄奘は多くの国で大歓迎されました。
玄奘に留まってほしくて、出発を妨げようと画策した王もいたほどです。
玄奘の人柄、コミュニケーション能力は抜きん出ていたのでしょう。
3週間ほどの調査に同行して、学者やその助手,現地スタッフの話を聞いているうちに
私は玄奘が大好きになりました。
真実を求めてそれに真っ向からチャレンジしていく魅力的な人です。
シルクロードは隊商がたどった道ですが、実は『仏の来た道』でもあります。
玄奘はインドから仏典を持ち帰りましたが、他にもたくさんの修業僧がシルクロードを
通りました。
数えきれないほどの仏教の遺跡,石窟が今でも残っています。
例えば、敦煌の遺跡などもすごく有名ですよね。
あ~、もう一度行ってみたいな~。
実は現代でもシルクロードの旅は過酷な旅です。
40代の時には体力も気力もあったのですが、
今は、どうでしょうね~、、、、。
5年前のクチャ、カシュガルへの旅がもしかしたら最後になっちゃうかもしれません。
さて
玄奘三蔵は27歳の時、密出国し、43歳の時仏典を持って帰国します。
実に16年の歳月をかけて、シルクロードを往復したのです。
バスも列車も飛行機も使える現代の旅とは異なり、
砂漠のほとんどを歩いて旅したというのは驚異であり、
奇跡であったといえるでしょう。
敦煌の近くで小さな女の子に聞かれました。
「どこから来たの?」
『日本からよ。』
「日本まで何日くらいかかるの?」
『8時間ぐらいかな~、、、。』
何だか二人の会話の基盤がが微妙に食い違っているのに、
お互い気づいていたような、いないような、、、。
砂漠は砂漠のスケールがあるのだと思います。
玄奘三蔵のスケールかもしれませんね。
にほんブログ村
にほんブログ村