「学びの森」の四季と   楽しい各務原

「学びの森」
 住  所 各務原市那加雲雀町15
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と 楽しい各務原の見どころ

各務原の戦時遺跡探訪

2014-10-13 15:56:47 | 各務原の史跡
先月26日に「各務原野外セミナー『各務原の戦時遺跡探訪』」が開催されたので
各務原で生まれ育っても戦後生まれの桜ヨッシー、戦時遺跡など知らないことばかり
戦争遺跡をバスで巡ってきました。


ライト兄弟が初飛行して14年後の大正6年に、市内に「各務原飛行場」が開設され、
現存する国内最古の飛行場(現在は航空自衛隊岐阜基地)がある市、
大正時代から飛行場の周りには軍需工場が立ち並び、
第二次世界大戦に係るたくさんの戦争遺跡や遺物が残っているようです。
今回はその一部を知ることができました。

長根山掩(えん)体壕…現存する2基の一つ
掩体壕の作りがすべてコンクリート製になっています。
間口22m・奥行き22m・高さ6mのかまぼこ型
上には土を被せてあり、ここには戦闘機があったと言われています。
今は会社の倉庫として利用。




矢熊山掩体壕
各務原飛行場の近くには、戦時中、敵弾から飛行機を守るために掩体壕がたくさん造られ、
終戦で未完成ながらここも完全な姿で残った貴重な遺跡です。
間口19m・奥行き29m・高さ7m






東西飛行場連絡橋
誘導路の下に造られた通路用のトンネルで
県道の上に建設された。
今は基地に隣接したところになっています。




高射砲陣地陣営具庫
基地の境界付近にあり、陣営具庫は四方がコンクリート壁の穴倉式で窓はなく
屋根の部分を覆った蓋で出入りし、中には陣営具庫のほか多くの官給品が収納されていました。


連絡橋を通り抜けていくと基地が見える場所に
カメラを持った人が数人いました。


蘇原八幡神社
爆弾で破損した石灯籠や石碑が数多く残っている神社
いまも隣接して航空機産業の工場が建っています。


蘇原八幡神社境内の爆撃で破壊された記念碑 


弾痕のある民家の倉庫




丸子格納庫
今は周囲が畑で、格納庫のコンクリートの基礎部分の一部が残っています。
格納庫が未完成のまま終戦を迎えましたが、基礎には鉄筋もなく
コンクリートを節約するため河原の石を入れる粗雑な作りです。



飛行第二連隊所属の二棟の薬品庫
連隊医務室前にあったコンクリート製の薬品庫で屋根は後に補修され、
今は農機具庫として利用。
薬品庫の向こう側に段差1mの高台が東西に延び当時弾薬庫がありました。








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