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田村松魚・著『小仏像』を読む(その3)

口絵の最初に出てくるのは、四十八体仏の内、金銅菩薩像である。
丈八寸台三寸とあるから、合わせて33㎝ほどか。
けっこうな丈である。これを小仏というのだろうか。

「御物」(ぎょぶつ)とは、皇室の私有品として天皇家に伝来した美術品や古文書などの所蔵品のこと。

田村松魚によれば小佛の定義は〈材料は(略)何でも好い。一尺内外の大きさの佛像をいふのである。(略)なるべく小さな方が好いのである。/併し、小さいと云って、眼の中に這入るやうな餘り小さなものも、寶石ではないのだから、彫刻技術が充分に施され得る程度の、相當な手應へのある大きさの方が好いのだ〉と述べている。
また「この尊像を飛鳥時代の代表小佛として巻頭にのせる光栄を著者は謹んで萬謝したてまつる」と書く。
この四十八体仏は明治11(1878)年に法隆寺から皇室に献納された宝物の一部にあたる小金銅仏群の総称。
昭和22(1947)年に東京国立博物館に移管され、現在は同館構内の法隆寺宝物館にすべて陳列されている。
実際は52点あり、日本における最大の金銅仏コレクションとして、また伝来が確実な点でも、
7~8世紀の様式展開を知るうえでも貴重な存在である。
30センチメートル前後の像が多いが、ほとんど互いに関連のない像であるうえ、
寺の行事とも関係が少ないこと、造像銘のある2体もその文案からみて個人的な造像であること、
寺の礼拝像としては小さすぎることなどから、これらはおそらく貴族たちの念持仏であり、
なんらかの記念に法隆寺の末寺や周辺の寺へ納められたものが、
しだいに法隆寺に集まったものであろうと考えられている。

上の写真は東京国立博物館に収蔵されている菩薩立像(188号)像高30.0センチ、7世紀の造立。光背は外しての丈寸だと思われる。

田村松魚はこのあたりの事情を、自身の聖徳太子崇拝と推古朝への過大な評価と傾倒から、少々見当はずれなことを述べている。
もちろん科学的な検証の不十分な時代であったことは間違いないが、その件については次回に。

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