散歩と俳句。ときどき料理と映画。

田村松魚・著『小仏像』を読む(その5)

あまり田村松魚の批判を続けてもおもしろくはない。
話題を変えて、鎌倉時代の懸仏について見てみよう。
田村の〈鎌倉期になると、金銅小仏も、数はそんなに稀ではなく、坊間、なほ、尤物を探り得ること無しとしない。そして、この時代には、所謂掛(ママ)仏といってる半ぺら坐像の、掛板のかけられて、礼拝の用に供した小仏が多い。その中には鍍金が残って、線刻りの確かな名品がある〉と、ここまで読んでワタシは梶井さんの『骨董遊行』をまたもや思い出した。

田村松魚『小佛像』より。馬頭観音立像、丈四寸七分とあるから14センチほどか

たしか鎌倉時代の懸仏についての記述があったはずだ。
「懸仏」と題するその文章は梶井さんが巡り合った一点の懸仏について書かれている。
おもしろいことに鎌倉時代の懸仏について梶井さんも田村松魚と同じような感慨を述べている。
〈しかし、せめて中世、鎌倉時代くらいの小仏なら見られるものが見つかるかもしれない。それも、入手可能な値段のものとなると懸仏だろう。と思いながら骨董市場を見回すと、時代を問わなければ鏡板を失った懸仏の残欠は、まだまだけっこうあることに気がつく〉
そして田村松魚は自著の懸仏の金銅馬頭観音の写真を掲げ、
〈これは鎌倉末期、南北朝を下らないであらう〉と述べ、
一方梶井さんは入手した懸仏残欠の汚れや錆びを洗い落として、その細部も確認できるようにしたあと
〈蓮弁が線刻されていたにちがいない台座部分の小振りにひきしまった薄い形も、すくなくとも古様を示している。やはり、店主がいった「室町時代」よりすこし時代は上げてもさしつかえないだろう。一四世紀、鎌倉時代〜南北朝時代のものと見るのが正しいように思われる〉と書いている。

梶井純『骨董遊行』より。十一面観音像、丈6.5㎝。素人目ながら田村松魚の掲げる馬頭観音像よりもこちらの作行の方がよいように思える。

思わずワタシは笑ってしまった。
懸仏の小仏を巡って時代も環境も違うふたりが同じようなことをつぶやいているのである。
ワタシも骨董市で鎌倉時代だとする懸仏に出会ったことがある。
こちらは何の知識もないので、それが確かに鎌倉期のものであるかどうか判断はできなかったし、
ワタシの経済事情が許すような値段ではなかったから、買うことはなかった。
梶井さんが存命なら、写真に撮って判断をあおぎたかったのだが。

(つづく)

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