散歩と俳句。ときどき料理と映画。

田村松魚・著『小佛像』を読む(その2)

『小佛像』とびらには100体の印仏が掲げられている。


これがどこのものなのかの説明はない。
梶井純さんの著作『骨董遊行』に出てくる〈阿弥陀如来印仏断簡〉によく似た印仏である。
『骨董遊行』の印仏よりも密に押されているが、図像としては同じ阿弥陀如来だろう。

梶井純・著『骨董遊行』の〈阿弥陀如来印仏断簡〉

とびらの前には著者・田村松魚の自筆の書と仏画がある。
書も絵もなかなかいい。ただし書は崩しが強く、ワタシには数文字しか解読できない。
最初の30ページは口絵で用紙は本文よりほんの少し厚みと光沢がある。
ここに40体の小仏像が掲載されている。
戦中の印刷物であるから精緻なものはのぞめないがそれほど悪くはない。
ただ、切り抜きをもう少し丁寧にやってくれていればいいのだが。
次回から掲載されている小仏を鑑賞すると同時に本文も見ていきたい。

著者の田村松魚(たむら・しょうぎょ)は1874年生まれ。20歳で幸田露伴に師事し寄宿した。明治31(1898)年「磯馴松」「五月闇」を雑誌『新小説』に発表し世評を高めた。34(1901)年には露伴との合著『三保物語』を執筆。35(1902)年4月『若旦那』を青山嵩山堂から出版した。36年26歳のとき渡米、インデアナ大学に学び、42(1909)年帰国、『北米の花』を刊行、この年佐藤俊子と結婚、44年万朝報に入り記者生活をおくり、新聞に「乱調子」を連載する。大正7(1918)年田村俊子と離婚、翌年入江妙子と結婚し、大阪時事新報の懸賞小説に入江新八の名で「凝視」が当選。昭和4(1929)年『高村光雲懐古談』田村松魚編を出版11(1936)年に「闘うもの」(土佐協会雑誌)を書いたがその後しだいに文壇から遠ざかり、晩年は書画骨董店を開きその道によって知られた。昭和23(1948)年3月6日病没、享年72〉ということであるから、骨董は専門家であった。

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