散歩と俳句。ときどき料理と映画。

田村松魚・著『小仏像』を読む(その4)

田村松魚の四十八体仏への思い入れは強い。
小仏の優劣価値について田村は次のように力説する。
〈信仰本位でなく、芸術的価値を重視するとしたら、(略)言うまでもなく、帝室御物であるところの、あの「四十八体仏」に止めをさすのである〉(原文は旧字、以下同)
そして
〈六朝様式と三國仏のいずれかの点に酷似しており、その製作は、多くは帰化人(止利仏師:筆者注)の手によって成されたもので、我国人は、僅かに手伝った位のものであろう〉
という言説に憤り
〈私は、その見解は反対だ。その殆ど全部が純日本民族の頭脳と手によって成され、他の鋳造工事の、雑用の方を帰化人たちが手伝ったのだと断言するに憚らないのである〉
と国粋主義、民族主義丸出しの論を展開しはじめる。
さらに
〈単的にこれを喝破すれば、四十八体仏は、「日本人の製作だ」に終り、作家は、といへば、「畏くも聖徳太子の御創作だ」に終る〉
と述べ〈日本人それ自体の霊と魂の中から生まれたものだ〉と結論する。
もちろん戦時下という、あるいは天皇制の支配下にあった時代である。
こういう考え方に固執するのはある意味処世術とも言える。
しかし古美術としてのあるいは仏教美術としての小仏の鑑賞に、
〈北魏、六朝、隋と支那の古い小仏を見て、四十八体仏の如き幽玄高邁があるか〉
〈支那は支那臭、朝鮮は朝鮮臭をもつて何処となく異国の体臭が私の鼻を撲つ〉
とまで言い出す始末である。
東洋、あるいは南方の仏像についてのまっとうな見解も見られはするのだが、
侵略戦争遂行を我が事のように喜び、〈純日本民族〉という観念に高揚する姿は時代のせいだけにできるものではないだろう。

たとえば今では次のようなことが明らかになっている。
〈一光三尊仏立像は中国南朝との交流が盛んであった百済からの伝来を思わせる。立像の三尊形式や中尊の渦巻き状の頭髪なども中国仏の影響を感じさせる。造像面では裳裾と足元部分に特徴があり、裾の内側から両足首を造り出す形式は日本の金銅仏にない技法〉
つまり田村の言う〈支那臭、朝鮮臭〉をもつ仏像なのである。

一光三尊像

〈菩薩半跏像は数ある半跏像の一つであるが、像高20.5㎝と「四十八体仏」の中では最も小さい像。
胴や腕を極端に絞り、台座に掛かる裳の表現なども含め全体にデフォルメされた感のある特異な造形で、様式、技法とも渡来系の像であることをうかがわせる〉

菩薩半跏像

支那臭だの朝鮮臭という田村の感覚、純日本民族の作り出したものという国粋(民族)主義的転倒をどうとらえるか。
それはなにも田村ひとりの問題ではないだろう。
また時代のせいだけにするわけにはいかない問題でもある。
いまだにこういった愚かな純日本民族主義者は多数いる。情けない話である。

(つづく)

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