散歩と俳句。ときどき料理と映画。

俳諧文久千三百題[秋・冬]その二

昨日この『俳諧文久千三百題』秋・冬を、1864(元治元)年の発行と紹介したが、
じつはこの本自体は、明治に入って翻刻されたものである。 奥付には「東京書林」とある。江戸が東京と改称されたのは68(慶応4)年9月のことである。
とりあえず手許の本を明治版、64年に発行されたものを江戸版とよぶことにしよう。
千葉県野田市にある、私設の俳句図書館鳴弦文庫の明治期俳書目録によると、明治版は78(明治11)年発行とある。
15年後に翻刻されたわけである。発行者は「山梨 内藤伝右衛門」と書かれている。
しかし江戸版にも明治版にも、奥付に内藤伝右衛門の名はない。

骨董市で見つけた1878(明治11)年発行の翻刻版の奥付

1864(元治元)年発行の原本の奥付(酒田市立光丘文庫蔵)

内藤伝右衛門は72(明治5)年に山梨県で最初の新聞「峡中新聞」(現在の山梨日日新聞の前身)を創刊した人物で、
出版事業にもつくしたらしい。したがって明治版を翻刻した可能性はあるかもしれない。
また『芭蕉翁記念館 芭蕉文庫目録 書冊篇』(芭蕉翁顕彰会・編/八木書店/2005年)によれば、
たしかに発行者として内藤伝右衛門の名が記載されている。 写真を見てもらえばわかるように、明治版は江戸が東京に変わっているほかは江戸版と同じである。 江戸書林について調べてみたがまるでわからない。
東京書林については、永井荷風が「古本評判記」(『日本の名随筆 別巻12 古書』に収録)ですこし触れている。

一、そもそも都下の古本屋に二種あり(略)。一は活字本当世新刊和洋の書籍雑著を主として和本唐本を置かず、他は和本唐本を主となし活版本は僅に古書の翻刻物を売買す。/一、後者は東京書林組合と云ふものを設け行事世話人を選び春秋折々両国美術倶楽部にて古書珍本現金即売展覧会を開く事已に年あり

東京書林は翻刻版もふくめ古書の販売を行なう組合ということになる。
その前身が江戸書林であったのだろうか。本文部分を見比べると同じである。
残されていた版木を使って翻刻したものだろう。
私には江戸期から明治期にかけての出版事情の知識はほとんどないから、推測だけで書くしかない。

句についても、前回「暇なときに解読するのも楽しいかもしれない」と書いたが、
情けないことにとてもわたしが太刀打ちできるようなくずし字ではない。

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