Yokusia の問はず語り

写真担当: Olympus E-400 / Panasonic FZ5

Quartier Latin の謎 2

2007-06-04 | Weblog

この近くなのは確かなのだから、途中で誰かに道を聞こうと言うことになり、再出発。
歩き始めてすぐに出会った中年の女性に聞いてみました。「カルチエ・ラタンを探している
んですけど」と言うと、彼女、開口一番に、「あら、それならここだってそうよ。」

そもそもカルチエ・ラタンと言うのは、中世からルネッサンス頃、当時の知識人の共通語
だったラテン語の日常会話があちこちで聞かれるところからついた呼び名。つまるところ、
当時の学生街で、ソルボンヌ付近を闊歩していた私たちは、文字通り、カルチエ・ラタン
のど真ん中にいたわけです。「青い鳥」に出てくるチルチルミチル並の間抜けさですね。

彼女のお薦めは、中世博物館から、ソルボンヌ大学、パンテオン、理工大学校を通り、
パリVII大学まで歩くと言う純アカデミックなコース。五区には、市場や色とりどりのカフェ、
お洒落なレストランなどが並ぶ、Moufftard 通りと言う名の小道があって、以前、誰かが、
「カルチエ・ラタンだよ」と見せてくれた覚えがあったから、「あそこもそうですか」と聞くと、
「そうだけど、あそこはシックな地域ね。」

彼女が去った後、E嬢と話しました。「今のフランス人がカルチェ・ラタンの正確な場所を
言えなくても当たり前だよね。今時、ラテン語を話す住人なんて、どこにもいないのだから。」

以前、この辺は、書店、古本屋、画材屋などが建ち並び、知的芸術的雰囲気が満ちて
いたとか。その面影は今も健在ですが、最近では、レストランやカフェ、お土産屋など、
観光客相手の店に押され気味のよう。時代こそ変われ、学生が貧乏なのは今も同じで、
そのせいか、美味しくて値段も良心的なレストランが多いです。

もやもやが晴れてすっきりした私たちが、意気揚々とパリ散策を続けたことは言うまでも
ありません。

Quartier Latin の謎 1

2007-06-04 | Weblog

2007年6月4日(月)

昨日は、ブルゴーニュ地方のDijon でポーランド語を教えているE嬢に会いました。
ポーランドから休暇でフランスに遊びに来た幼友達2人と、1日の金曜日に「上京」し、
翌日の土曜日は、観光名所を飛び回ったとか。

ノートルダム寺院で待ち合わせした後、ソルボンヌまで歩き、大学脇のエクリトワールと
いう喫茶店で休憩。学生がたむろする場所にしては値段は高めです。面白かったのは
この後。ポーランドから来たニ人にどこへ行きたいか尋ねると、即座に「カルチエ・ラタン」
と言う返事が返ってきました。この辺にあるのは知っていたけど、何しろ相手は観光客。
いい加減なことは言えません。

それで確認がてら地図を見ると・・・ない。LatinでひいてもQuartierからひいてもないし、
四区、五区、六区と地区ごとに探してもありません。まさか、こんなはずは・・・と思い、
E嬢の地図を見せてもらったけどやっぱりない。「そうでしょ。私も昨日、言われて、地図
やガイドブックを調べてみたんだけど、カルチエ・ラタンって地名はどこにも載ってないの
よね。」とE嬢。

とりあえず、暇そうに見えたウェイターのお兄さんのところに行き、市内地図を見せながら、
「カルチエ・ラタンってどの辺?」と聞くと、「知らないなぁ」とつれない返事。「あなた、パリ
ジャンでしょ。地元なのに知らないの?」とさらに畳み掛けると、申し訳なさそうに、「でも、
本当に知らないんだよ。」しらばっくれているわけでもないようなので、しかたなく別の方法
をとることに。