Yokusia の問はず語り

写真担当: Olympus E-400 / Panasonic FZ5

日本編 10

2007-09-24 | Weblog
↑これが福井名物のおろしそば


空木岳の頂上についた後はひたすら降りるだけ。
無事、登山口を出て、駒ケ根のユースに戻ったのは、山に入った日から数えて4日目の
午後でした。

荷物を置いてすぐ温泉に行き、名物の信州そばを食べた後、ゆっくりお湯につかって、
これまでの垢を落としました。本当、気持ちよかったです。露天風呂もあって、湯船で
文字通り裸の付き合いをしてしまいました。相手は60すぎの女性。ご多分にもれず、
出身地の話から始まりました。「どちらからですか」と尋ねると「福井です」と言う答え。

この後、松本、富山経由で、福井に住む相棒の星友を訪ねる予定だったので、その話
をすると、「それならぜひ、おろしそばとお刺身を試してみてちょうだい。」

この人曰く、「信州そばが有名って聞いて、一度くらい食べてみようと思って来たけど、
慣れているせいか福井のおそばの方がおいしくて」とのこと。

このおばさん、二十年前から、ご主人と二人で登山を始めたそうです。
年齢にして四十過ぎからですね。

これまでは北アルプスばかりだったから、中央アルプスに来られてとてもうれしい、
山を下りて最初につかる温泉ほど気持のいいものはないと話していましたが、不惑
を過ぎてから夫婦で登山を始めるなんて素敵ですね。

というわけで日本編はこれまで。
次はポーランドの話題です。

日本編 9

2007-09-24 | Weblog

面白かったのは、この時、隣の布団に寝ていたオジサンが一緒についてきたこと。
隣の人の鼾のせいで、眠れぬ夜を悶々と過ごしていたらしく、「どうせ寝付けないから
ご一緒させて下さい」と言って来たのだけど、私同様、こんなにたくさんの流れ星を一度
に見たのは初めてだったようです。大地に、直接、寝転がって見た満天の星空は、天然
のプラネタリウムの趣でした。

この話にはまだ続きがあります。
翌日、山小屋から空木岳(うつきだけ)に向かったのですが、その途中で会った人が、
開口一番、「昨日、山小屋に泊まられたフランス人の方ですか」と相棒に尋ねるんです。
同じ山小屋にいた人かと思い、「あなたもあそこに泊まられたんですか」と聞くと、「いや、
僕は逆側から来たんだけど、ついさっき、山小屋で会ったフランス人のお陰で流れ星が
見られたと喜んでいる人を見たもんだから、この人がそうかなと思ったんですよ」という
返事。

ベレーをかぶり、シャツの襟元からスカーフを覗かせた小粋な人で、今年、定年を迎えた
ばかりだそう。山小屋が満員で足の踏み場もないくらいだったことを話すと、「そんな話を
聞くと責任を感じてしまうなあ。最近、旅人口が増えたのは、僕たち団塊の世代が定年
になったからと言う説もあるくらいだからね。」思わず笑ってしまいました。おじさんなんて
呼ぶのが失礼なくらいスマートな人でした。本当、格好よかった!

日本編 8 

2007-09-24 | Weblog
↑木曽殿山荘(山小屋)から


こんな状態だったので、翌日には、山を降りようという話も出たのですが、ここで辞めて
後で後悔するのも嫌だったし、体調も多少は回復したように思えたので、このまま登り
続けることにしました。次の宿泊地は山小屋。宿泊費はそれなりにかかりますが、
食事つきです。

キツイのは相変わらず。出発が遅かったせいで午後の炎天下を歩き続けることになり、
暑さに弱い私はへろへろでした。

山小屋に予約を入れていなかったので、途中で会った人たちに携帯で予約してもらった
のですが、午後4時半以降に就いた場合は、予約が入れてあっても夕食がもらえないと
聞き、焦りました。意外と大変だったのが下り。山小屋は道を下った先にあって、距離は
それほどでもないけど、砂地なのでずるずる滑るのです。着いたのは午後4時25分。
滑り込みセーフで無事、夕食にありつけました。

ちょっと笑えたのは、相棒の横に立っている私を見て、「通訳の方ですか」と聞く人がいた
こと。こんな山奥までクライアントにつきあわなければならないのなら、通訳という仕事も
大変ですよね。「夫婦です」と答えると先方は目を白黒させていました。

山小屋は満員で、布団は他人でも二人で一枚。二階の広間に隙間なく敷き詰められて
いるので、寝ている人を踏まないように歩くだけでも大変です。一番奥にいた私たちは
無事でしたが、夜、顔を踏まれた人も少なくなかったようで、食堂のある一階に寝袋を
持って避難する人たちもいました。

前日の避難小屋より高度が低かったせいか、屋外でも暖かかったです。
天候にも恵まれ、この日ようやく、念願の流星群を見ることができました。午前二時から
三時にかけて20以上は見えたでしょうか。これまでに見た流れ星を全部足しても、まだ
両手に余る程度だったので、これは感動ものでした。中には真正面に落ちるのもあって、
この場合は、最初に見えた星の像がほんの少しだけ大きくなって消えます。尾の部分は
真後ろにあるので見えないんですね。

日本編 7

2007-09-24 | Weblog
↑檜尾避難小屋


ようやくたどり着いたねぐらは、寝袋暖房装備で快適に過ごせましたが、宿泊費を
とらない避難小屋でこういうのは珍しいそう。

ところが、ほっとして眠りに就いたとたん、また一難。夜中頃だと思いますが、隣に
寝ていた相棒に、突然、起こされました。見るとガタガタ震えています。その状態で
ひたすら、「暑くて寒い、暑くて寒い」と日本語で繰り返すので、私は焦りました。
額に手を当てると熱もかなりあるし、言うことも支離滅裂だから、高熱のせいで頭に
来たのかも。いくら何でもそろっているとはいえ、山の中でお医者さんもいないし、
日本の携帯もない。どうしよう。そうしているうちに、周りもなんとなく気づいたらしく、
近くにいた人がお水とカロリーメートを恵んでくれました。登山好きな人って、大変な
状況に慣れているせいか、優しい人が多いですね。

びっくりしたのは、カロリーメートを数切れ食べた途端、すっと熱が引いた事。
翌日にはピンピンして、私より元気なくらいでした。後で聞いた話ですが、飢餓熱と
言うのがあるそうですね。山の高度に慣れないまま食欲が減退し、まともに食べて
いなかったのがいけなかったようです。

実を言うと、この日は流星群のピークだったのですが、寒いのと体調不良でとても
観測どころではなく、相棒も泣く泣く断念しました。

それにしても、山では、普段、想像もつかないようなものが食べたくなります。
今回、一番おいしいと思ったのは、リンゴ、レモングミ、梅干し、CCレモン、日本茶
など、酸っぱいものやビタミンCを大量に含んだもので、塩味や甘味はそれほどで
もありませんでしたので、気候や空気の違いもあるのかもしれませんが。

次回の参考になるように、ここに書いておきます。

日本編 6

2007-09-24 | Weblog
↑木曽駒ガ岳の雪渓です


と言うわけで、初日からしてすでに危なっかしかったのですが、木曽駒ケ岳、中岳と
登り、巻き道経由でナイフのような岩の連なる宝剣岳を登り切った頃は、すでに一日
が終わったような気がしていました。こんなのはまだまだ序の口だったと知るのは、
近いはずの避難小屋を探して放浪していた時。

地図の通りならそろそろ見えるはずの避難小屋が影さえもない。山を数え間違えた
ことが原因だったのですが、途中で会った人も同じ間違いをしていたところを見ると、
地図の方にも問題があったのでしょう。そのせいで想像以上に時間がとられ、最後
の山を登り始めたころにはすっかり日が暮れていました。ほとんど手探りで辿った
道の怖かったこと。

怖い思いの代償と言うわけではないでしょうが、この日はめったにないような貴重な
体験をしました。ブロッケン現象をこの目で見たのです。名前は聞いたことがあった
けど、これまでは、どういうものか想像すらつきませんでした。なんでも、山に慣れて
いる人でさえ滅多に見られないとか。とりわけ日本の場合、夏でも日が短いため、
夜も明けやらぬ早朝に登山をはじめ、夕方四時頃には山小屋で疲れをとるというの
が普通になっているせいでしょう。

私たちが見たのは夕方の6時過ぎ。
最初はわずかに虹色を含んだ霧のようなものが見え、その色が突然、七色の半円
を作りました。よく見ると、その内側に私たちの影が見えます。

日本編 5

2007-09-24 | Weblog
↑宝剣岳頂上のケルン


一週間の筑波滞在を終え、横浜の実家で羽根を伸ばした後は、ペルセウス流星群目当て
に、長野の中央アルプスへ。青春十八切符でローカル列車を乗り継ぐのんびり旅行です。

名をそらで言えるほど日本の山に詳しい相棒はともかく、私の方はかなり不安でしたが、
流れ星が見えるという言葉につられ、ついつい足を運ぶことに。火山帯は乾燥した砂地が
多いので、足元が滑って大変でした。猿年の私は岩登り専門なのです。

一日目は駒ヶ根のユースホステルに泊まり、翌朝、ロープウェイで千畳敷へ向かうことに。
乗り場まではバスですが、始発だけユース脇の国民宿舎から出るので、無理して乗ったの
はいいけれど、何と朝の4時台。山の生活は朝が早いんですね。

日本の場合、夏は山上でも暑いので、朝涼しいうちにどれだけ登れるかが鍵。朝一のバス
に乗れたお陰で、席も取れ、ロープウェイも待たずに乗れて万々歳だったのですが、かなり
の高さを一気に上ったせいか、着いて早々、登山病気味になりました。ダイエットの記事で
も少し触れましたが、ほんの少し上っただけで心臓がばくばく。
こんなのは生まれて初めてでした。

日本編 4

2007-09-24 | Weblog
↑松本城下町の古い家屋


私は、ルネッサンス期の大詩人ロンサールの名を冠した通りに住んでいるのですが、
住所を交換した際、このことに触れ、「ロンサールの名は、今では詩人よりバラの名前
として有名みたいですね。でも、私は、大学で西欧文学をかじったせいもあって、詩人
としてのロンサールの方に愛着があります。専攻はフランス文学ではないんですけど」
と言うと、Dさんは「へえ、それじゃぁ、どこ?ポーランド文学とか?」などとおっしゃるの
です。

ポーランド文学を単なる例として挙げるなんて、と驚きつつ肯定したのですが、偶然
はこれだけではありませんでした。今は故人となられたお父様は、ポーランド関係の
専門家で、私もよく行くパリのミツキェーヴィッチ図書館の文献目録を作成した方だとか。

そのため、Dさんも、幼い頃からポーランドとのつながりは深く、最初の家庭教師も
ポーランド女性だったそう。「子供の頃はしょっちゅうポーランド語を聞いていたはず
なのに、すっかり忘れてしまってね」と残念そうでした。こんなわけで、結局、話題は
ポーランドのことばかり。

日本でフランス人に会うことさえあまりないのに、その相手がPolonophile(親波家)
だなんて。


日本編 3

2007-09-24 | Weblog
↑松本城のお堀に浮かんでいた睡蓮


ポーランド語に較べるとポピュラーなせいか、フランス語で話していると、見ず知らず
の人に声をかけられることがよくあるのですが、今回は、学内に足を踏み入れた途端、
「クロアチアから来られた先生ですか」(笑)「クロアチアじゃなくてフランスです」と相棒
がたどたどしく答えると、声をかけた相手は、私なんかよりずっと流暢なフランス語で
話し始めるではありませんか。購買部で働いている女性でしたが、聞くと、学生時代
は仏文専攻で、フランス語が公用語であるアフリカ某国の在日大使館で働いたことも
あるとか。お陰で、到着間もなく、一緒に夕食をとる約束ができてしまいました。
フランス語恐るべし。

この方はKさんと言って、筑波の日仏友好協会の活動にも携わっておられるとのこと。
筑波を愛し、この地に住みたがるフランス人は意外に多いんだそうです。「フランスに
行く機会がないから、ここに来るフランス人を片端から捕まえて練習台にしてるの」と
笑ってました。

とても社交的な方で、彼女を通して、織物の専門家Aさん、元ジャーナリストで、今は
日本で余生を過ごしていらっしゃるフランス人のDさんとも知り合うことができました。
今回はお会いする機会がありませんでしたが、ご主人はプロの天文学者だそうで、
星好きなうちの相棒は興味津々。

ちょうど学会発表と重なったので、唯一のフランス人である相棒抜きで、Kさん、Aさん、
Dさん、Dさんの付き添いの方、私、の五人で会うことになりました。Dさんは、かなり
いい家の出ということで、普段、下々の世界としか接触のない私はかなり焦ったのです
が、ユーモアのある気さくな方で、初対面にもかかわらず、会話が弾みました。

うちの相棒が数学者であることを知ると、すぐさま、「日本の某政治家が、フランスは
数学の分野に関して全く貢献していないと放言したとフランスの雑誌で読んだが、
あなたのご主人はこの件に関してどう思われているのかね」なんて聞くんですから。

加えて、ここでも、信じられないような偶然が。

日本編 2

2007-09-24 | Weblog
↑筑波の写真はないので、山以外の写真から。これは福井の東尋坊


普段はそれで問題ないのだけど、大変だったのは初日で、まだ時差ボケが取れてない
から、とんでもない時間に徘徊したくなるんですね。それでなくても、冷夏のフランスから
来た身に日本の猛暑は辛く、それだけですでにバテ気味。夜、へとへとになって部屋に
入ると、クーラーのおかげで中は冷えていたけど、ファンの音がすごくうるさい。

「うるさくて眠れない」と相棒が言うので、音に関しては彼よりずっとバリケードな私は、
「それならスイッチ切ればいいじゃん」と言って眠りに就こうとしたのだけど、切ったら
切ったで、当然のことながら暑い。おまけにムシムシする。「暑くて眠れない」と相棒。
しょうがないので、暗い中、ふらつく足でクーラーを調べると、柔らかモードとかいう、
よくわからないモードが。試しに押してみると、ひどい音が瞬時にして止まりました。
睡眠時用のモードだったようです。先に気づいていればと悔やみましたが後の祭り。

それで一段落したと思ったら、今度は「お腹がすいて眠れない」。
本当、世話が焼けると思いつつ、時計を見ると夜中の4時。当然のことながら入口は
閉まっています。とりあえず館内になにかあるかも…と二人で探索に出かけましたが、
見つけたのは自販機だけ。一つ目はビール、二つ目はなぜかブランデー(?)、三つ
目はおつまみ用。曲がりなりにも機能しているのはビール用だけで、二つ目は故障、
三つ目は品切れでした。せめて、おつまみだけでも買えたら、少しは腹の足しになった
のだけど。問題は、門限解除の時間がわからないこと。あきらめて仮眠した後、朝一
で向かった先が、近所のコンビニだったことは言うまでもありません。セブンイレブンで
買ったお弁当の美味だったこと(笑)

日本編 1(8月2日~23日)

2007-09-24 | Weblog

日本とポーランドで旧友たちとのおしゃべりにかまけている間に、あっという間に
日がたってしまいました。遅ればせながら、まずは帰国中の話題から。

前にも少し触れましたが、今回の滞在は筑波から始まりました。
と言うのも、日本滞在の表向きの理由は、毎度のことながら、相棒の学会出席。
お陰で一週間ばかり、筑波大のゲストルームに宿泊させていただくことに。交通も
不便そうだし、あまり気が乗らなかったのだけど、調べてみると、筑波-秋葉原間
を一時間弱で走る「つくばエキスプレス」という急行があるんですね。私の友人は
東京在住がほとんどなので、筑波にこもっている相棒を尻目に、毎日、この筑波エ
キスプレスで上京しては、友達とだべるという生活に相成りました。

ゲストルームは、レセプションの人たちも親切だし、宿泊費も手頃でとてもよかった
のだけど、一つだけ問題が。

門限が夜の11時で、それ以降は出入り禁止というか、出入り不可能。
というのも、守衛さんが帰る時、入口にチェーンをじゃらじゃらかけて、ドアをがんじ
がらめにしてしまうから。これまで門限がある寮と言えば、ポーランド、ルブリンの
カトリック大学女子寮くらいしかなかったので、これにはちょっとびっくりでした。

お陰で、せっかくセブンイレブンやローソンが近くにあっても、夜遅くちょっと買出し
にというのは無理。(つづく)