Yokusia の問はず語り

写真担当: Olympus E-400 / Panasonic FZ5

井の中の蛙 (後編)

2007-03-26 | Weblog

前の続きです。

さて、昨日の映画に話を戻すと、信頼の置ける雑誌や新聞でかなり高い評価がされて
いたから、期待してたのに、内容がないだけではなく、アジアに対する時代錯誤な偏見
と先入観。こんな映画を評価するこの国のメディアに大きな不信感を抱いてしまいました。
批評に頼りすぎる私もいけないんだけど。

ストーリーもくだらなくて、お抱え営業スパイ(実は変態)を雇っているとある工場の社長(?)
が、自社ロビーに飾るフレスコを担当している陶芸家に恋をする。彼女といい感じになりそう
になると、スパイや部下から邪魔が入り、ようやくめでたく結ばれたところでスパイが彼女の
部屋に仕掛けた隠しカメラが発覚し元の木阿弥に。最後はありふれたハッピーエンド。

主人公の工場は中国企業と提携することになっているらしく、一昔前の日本人のステレオ
タイプを思わせるような、エコノミックアニマルそのものの中国人がよく出てくる上、主役で
ある社長の部屋では、いかにもわざとらしく中国語の会話練習テープがかかっているという
具合。

一方、恋人役の女流陶芸家は、日本びいきで日本語を話すという設定。
この日本語がものすごくうそっぽい上、日本人を名乗る力士もどきが出てきて、おかしな
アクセントの日本語(どこが日本人だ!)で、「ボクハカイダンヲツカウヨ。ダイジョウブダヨ。」
などとのたまい、階段を登りきったところで心臓発作を起こしそうになるなど、フランス人の
アジア理解ってこの程度なのと唖然するような内容が山積み。「箸(バゲット)とバゲットを
絡めた程度低すぎのジョークにはひいてしまった。この監督って俗物の権化なのかな。

こんなくだらないジョークに大喜びできる観客も観客。お陰でこの街の住人への不信感まで
膨れ上がった。こんなにおバカな街だったなんて。

それにしても、パリは中国人街も日本人街もあるんだし、東洋風を狙うのなら、たとえそれが
単なる皮肉だとしても、せめて本物の日本人を使うくらいのことはして欲しかった。

日本語を話せるヨーロッパ人だって今じゃあ山ほどいるのだから、エキゾティックな言語とは
言え、あんな怪しげな俳優を日本人だなんて言ったら、この監督の知的レベルが疑われると
思うんだけど。(実際、私の周りには、私よりうまいんじゃないかと思うような達者な日本語
を話す友人がたくさんいる。)江戸時代ならともかく、いくらシラクが相撲マニアで芸者の愛人
がいるとは言え、日本といえばすぐに相撲と寿司に結びつけるのはやめてくれと言いたい。
やっぱりフランスって、胃の中、じゃなくて井の中の蛙の国なのかな。

トゥールーズ在住のルーマニア人が、ラジオのインタビューに答えて、「ここの人たちったら、
ルーマニア=ローガン、ポーランド人=水道夫の図式しかないんだから、いい加減、いやに
なっちゃうわよ。これって差別じゃない?これから同じ共同体で生きていく国に対してこんな
に無知でいられるなんて信じられない!ルーマニア人の方がよっぽどよく知ってるわ。」と
息巻いてたけど、彼女の気持ち、わかるなぁ。

とそれほど日本に愛着があるわけでもない私がついつい熱くなってしまいました。
長文、ごめんなさい。

井の中の蛙 (前編)

2007-03-26 | Weblog

2007年3月26日(月)

昨夜、"Je crois que tu m'aime"(あなたは私を愛してる)と言う映画を近所の映画館
で見てきました。結果はまたまた失望。というのも、実を言うと、こっちに来てから見た
フランス映画(古いものを除く)でいいと思ったものがほとんどありません。

ほとんどの場合、いらない装飾が多すぎる+俳優がへたくそ。内容に深みがない。
筋がくだらなすぎる。コメディーが一番ひどくてただのどたばた劇。

私にとってのコメディーって、すごく人間くさくて、おかしいのに、ついほろりとしてしまう
ような、見た目は軽いけど、その奥に何か深いものを秘めてるような、そんな作品。

だから、日本のトレンディードラマみたいに、アイドルがブランド物着てお遊戯してるような
のじゃなく、装飾はシンプルで、美女やハンサムは出てこないけど、一度見たら忘れられ
ないような性格俳優(日本で言えば昔の黒沢の映画みたいな)が山ほど出てくるような
コメディーが見たい。好みが古臭いと言われてしまえばそれまでなんだけど(笑)

また中東欧びいきになってしまうけど、そういう意味で、チェコやポーランドのコメディーは
すごいです。俳優の声音、しぐさ、さりげない物音や映像の全てに意味があって、無駄な
ものが一切ないし、キェシロフスキ映画の常連であるシュトゥールやザマホフスキのような
名優(ローカルですみません)になると間の撮り方も絶妙。セリフなしで自由に観客を操る
ところなど、ほとんど森重さんの世界です。

主人公をとりまく状況はものすごく悲惨なのに、どこかおかしい。これって、多分、絶妙な
距離をとって、世界を見てるからなんだろうなあ。キエシロフスキの「白」や「アマチュア」、
監督は忘れたけど、チェコ映画の「すばらしきかな人生」とかはその典型。

クストリッツァの「黒猫白猫」や「ライフ イズ ミラクル」もすごかった。
あの状況を喜劇に仕立て上げられること自体、普通じゃないけど(笑)

それから、二年くらい前に見た、ヴォルフガング・ベッカー監督の「グッバイ・レーニン」。
元東独映画とでも言うのかな。

簡単にあらすじを紹介すると、ピオネール(共産党版ボーイスカウト)合唱団を熱心に指導
していた母親が心臓発作で倒れ、意識が戻ったのはベルリンの壁崩壊後。家に帰りたい
と言う母親。精神的ショックを与えれば命にかかわるという医師の警告のもと、息子である
主人公、その恋人、妹夫婦、会社の同僚など、みなが協力し合い、何ひとつ変っていない
ように見せかけようと、涙ぐましい努力をする。

子供たちに小遣いを与えて、ピオネールの格好で共産主義賛歌を歌わせたり、ピクルスの
ビンを、わざわざ統一前の古臭いパッケージのものに入れ替えたり、コカコーラの広告塔を
見て驚く母親を納得させるため、同僚とビデオを回して、嘘のニュースをでっち上げたり。

この映画が共産主義社会への皮肉(+オマージュ?)であることは確かだけど、ここにある
笑いは、共産主義を知らない人でも、十分、理解できる(と思う)し、イギリスのシニカルで
ニヒルなユーモアとは違い、あくまでも温かく、人間臭い。ある意味、酸いも甘いも知った
ようなこの種のユーモアって、不条理が現実そのものであるような時代を長く生き抜いて
初めて身につくものなのかも。

最近、偶然、見たルーマニア映画は、世界中で仰々しく報道されたチャウチェスク事件が、
大多数のルーマニア人にとって単なる他人事に過ぎなかったという事実を、のんびりした
筆致(?)で描いたもの。

この映画もセットはシンプルだけど、俳優がすごくうまかった。(見た目は(実際も?)単なる
さえないおじさんなんだけど。)以前、話したことのある能天気な(というか異常に楽観的な)
ルーマニア人の女の子(「ルーマニアがロシアに占領されたお陰でロシア語をただで学べる
機会を与えられたんだからよかった!」と素直に喜べるポリアンナ(古すぎ!)みたいな子!)
を彷彿とさせるほのぼのとした映画だった。

この「ほのぼの」も「ほろり」と並んでコメディーに欠かせないもののような気がする。
フランスでも「コーリスト」や「アメリー」みたいなほのぼのコメディー(種類は違うけど)もなく
はないんだけど。