ふしょうなブログ

ご不要になった詩は粗大ゴミでお出しください

返歌集について

2005年08月19日 10時37分32秒 | 詩の背景
 現代詩フォーラムで大変お世話になっている落合朱美さんの秀作にお礼の意味を込めて返歌しているのですが、何となく振り返ってみると結構な数となりました。そろそろ落ち葉の季節もひたひたと忍び寄ってきそうな気配を感じますので、ひとまとめとしてみました。

 やはり、元詩、元歌が優れていると返歌もそれなりに綺麗にまとまったようです。

 落合さんの作品は現代詩フォーラムもしくは、ホームページ「お昼寝の時間」でご覧になれます。是非、ご一読をお願いします。

 お昼寝の時間へのリンクはお気に入りに設けてありますので、そちらからどうぞ

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返歌集

2005年08月19日 10時31分11秒 | 短歌のようなもの
せみ時雨夏の心は風誘い
  剥き出しの肩陽に揺らぎゆく


通い合う心模様を重ねれば
  枕に添えるタオル直して


向日葵の風の音遥か陽に遊ぶ
  日傘の先をくるるりと舞


よもすがら聞こえるさまに風あおぎ
  瞬く星と枕並べて 


ひとひらの想いの里にうちいでて
  咲く花もまた永久に変わらず


触れずども尽きぬ想いに乱れゆく
  心模様は逝く空の下


木漏れ日に森の内へと彷徨いて
  あけぬ夢見に抱かれるまま 


振りかぶるグラブに隠した君の手は
  ズドンと来るかひらり舞うのか


掌を合わすはまなすの空藍深く
  菩薩の慈恵永久に八千代に


なおのことダイダイをむく一房に
  香る仕草は頬に抱かれて


占えど一夜の恋と人は言い
  帯止めの艶解く手に添えて


君は言う戦のあとの夕暮れは
  浮世にうつす あかよりもあかく 


尾を振って街角巡る君ならば
  恋の行方も 愛の終わりも 


移りゆく雲のあしたは風まかせ
  白い綿毛に我が身託して 


たらちねの母のぬくもり安らげど
  ひさぐ瞼に涙ひとすじ


姥捨ての山は何処か問いぬれば
  渡るみそらに鐘は鳴るらん


舌先で君の吐息をなぞらえば
  ぬめる臥所に うなじは染まる


秋近し海をただよう水母来て
  涙をお拭きよ明日を詠おう 


秋近し寄せては返す月影に
  ただひたすらと君の名をよび


引く手にも優しき君の思ひ出は
  小舟に乗りて流るるままに


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使うべきか使わざるべきか「ような」という言葉

2005年08月19日 08時51分48秒 | 詩と言葉
 「~のような」、「~のように」、辞書で引いてみると助動詞の連体形とありました。詩や歌詞で良く用いられる言葉だと思いますが、開設2日目の記事として投稿してみます。

 詩学的な堅苦しい考察(Yock自身もあやふや)では無く、実際につかった場合の効果などについて考えてみたいと思います。

(例1)
宇宙のようなテーブルに座って
地球のようなお皿で

(例2)
宇宙のテーブルに座って
地球のお皿で

 どうでしょう?(例1)だと軸足がこちら側にあると言うか、目の前にある普段のテーブルやお皿を大げさに誇張している感じですよね。ところが(例2)だと、なにやら何かを暗示しているような、広がりのある詩的な感じがします。

詩の内容にもよりますが、「ような」を使っている場合には、外してみる、使わないようにする。そうすると面白い、詩らしい詩になるのかも知れません。

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